月曜日は久し振りに動楽亭昼席へ。1月以来。
働いていると月2回の土曜休みか日曜祝日しか来られず、
しかも日曜は4月から8月まで予備校に通っていたから、
当然っちゃあ当然。
以前座布団だったところが、座椅子になっていた。
上手側と下手側で間隔が違い、
気に留めず上手側に座るとやたらと狭くて困った。
それでも座布団よりは楽だけど。
平日にも関わらず、かなりの入り。
開場後座椅子を追加していた。
60人から70人台かな。
「商売根問」(優々):△
携帯電話について話しただけで、すぐネタに入る。
こぼれ梅、鶯、河太郎。
全体にはきちんと喋っているのだが、あまりウケていなかった。
マクラを振らなかったために、
客席が笑う雰囲気になるのに時間がかかったこと、
アホを表情付けして作っているのだが、時に素に戻ることがあり、
その際にふっと醒めてしまうこと、
が理由かと思う。
「お玉牛」(ひろば):△+
前半の若い連中の会話、
勢いや「美人をものにしてやる」欲が出ていて良い。
「ウンかグサか」を聞いた時の他の連中は
もう少し怒る、唖然とする等の感情が出た方が良かったと思う。
最初「吸い口を拭いて返す」一言がなかったが、
これは漏れたのかな。
後半はいろいろ粗さが目に付いた。
忍んでいく際の声が大き過ぎるし、特に声をひそませている描写もなし。
少し不自然に感じた。
暗闇で歩いていく際の手の動きも、あまり見えていない感じがせず。
細かくやる必要はないと思うが、
最低限、暗闇の印象が伝わるようにやるのは必須と思う。
牛の毛を(それと気付かずに)「えらい毛深い」と言うのだが、
牛が布団に入った時の「掛け布団を掛けてもらっている」と言うのと矛盾しないかな?
尻尾で叩くところはやはり不細工。
もう少し腕は動かさず、手首を使う方が滑らかに見えるのだと思う。
全体に「見えないまま手を動かしている」雰囲気が弱い。
あと、手に鬢付けが付いて臭いはずなのに、特に拭き取りもせず、
後で何となく手を顔に近付けてしまっていたのは雑だと感じる。
「京の茶漬」(南光):○-
いろいろなあいさつについてのマクラ。
ある程度決まったマクラだと思うが、
客席の反応を見ながらいろいろ入れたり、
ツッコんだりしながら進めていくところが流石。
ネタは、よくウケていたが、個人的にはあまり好みでない演り方。
大阪の男をけっこう濃く描いて、
その捨て台詞や表情付けなどでウケを取っていたのだが、
個人的にはそこを押すのではなく、
「京の茶漬を食べようとした大阪の人間がいた」くらいのお話を
淡々とやる方が、「趣向ネタ」として良いと思う。
今まであまり感じなかったのだが、
大阪の男の言動が一貫しない、と感じてしまった。
もし「京の茶漬というものを一度食べてみよう」とするのが目的なのであれば、
最初に旦那がいない時点で、上がって「腹が減った」とか言わずに、
せいぜいタバコ一服やるくらいで帰ろうとする方が
「ちょっとお茶漬でも」と言いやすいし、自然ではないか?
それをウケを取らんがために上がり込んでいろいろ言うのが不自然であり、
このネタを好きになれない理由の一つなのかも知れない。
もっと言うと、旦那が家にいたらどうするんだろう?
まあ、そんなことを言い出すときりがないのだが。
「くっしゃみ講釈」(米團治):△
「三下り鞨鼓」で出てくる。辛いな。
人間国宝の話をマクラに振ってネタに。
久し振りにこの人の落語を見たのだが、仕草が不自然。
アホがいろいろ手の動きを付けているのだが、当て振りみたい。
普通、人間が喋る時にそんな動きはしないだろう、と感じてしまうレベル。
落語の世界の登場人物が喋っているのではなく、
ずっと米團治がアホを演じている、というところから意識が離れなかった。
まあ、こういう落語もあり得るが、本筋ではなかろう。
「色物」と思って、この程度の大きさのネタをたまに見る分には悪くない。
講釈師がけっこう愛想良いのだが、
もう少し尤もらしさ、おさまった感じが必要だと思う。
くっしゃみをした時の照れ、誤魔化す際に落差がつかない。
あと、くっしゃみそのものも、燻されて自ずと出ているのではなく、
「くっしゃみっぽい声を出している」「くっしゃみの演技をしている」ように感じた。
全体にくっしゃみを含めて流れており、
講釈を進めようとするところを生理現象で遮られている、という感じではない。
「代脈」(こごろう):△+
医者のマクラ。
「点数」といった話が面白い。
病家先での番頭との会話など、
玄関番の台詞をいろいろ入れてよくウケていた。
「羊羹が2切れ」と言って怒るなど。
ただ、個別のウケで少し分散されてしまい、
羊羹を食べ終わっての「帰る」で発散しなかった印象。
「舌を出させる」ところ、普通にウケているのだが、
考えたらここは先生から詳しくは教えられていないんだよなあ。
「教わったことをそのままやってスカタン」が基本線だと思うので、
もう少し先生に「舌を診る」説明をさせた方が良いかも。
説明はダレやすいので、良し悪しはあるが。
「景清」(雀松):○
マクラは大阪マラソンの話、軽く米團治いじり。
全体には過度にクサくなり過ぎず、良い話として伝えていた。
もう少し押した方が良い、
感情を込めた方が良い、と思うところもあったが。
甚兵衛さんが定次郎を心配している雰囲気がよく出ている。
台詞廻しなど、クサいところもあるのだが、
この人の口調があっさりしているので、特に気にならずに済んだ。
甚兵衛さんは「職人として名を残す」ことで説得しているのだが、
「名を残す」ではなく、
定次郎が自分の仕事で満足したか、というレベルの話で済ませても良いと思う。
それは私が左甚五郎物などから感じるの職人像ではあるのだが。
定次郎は口では強がりを言いつつ、心の中では口惜しいと思い続けている訳だが、
時に、もう少し「口惜しさ」が垣間見える方が良い、と感じることがあった。
どこまで抑えるか、とのバランスの問題だが、
本音を吐露する際に少し唐突感があった。
そのためか、泣いたことに少し違和感を持った。
軽い調子で話している時も、同じ強さで抑えているのではなく、
「出そうになる/抑える」流れや変化がもう少しあった方が良いかな、と思う。
雷に打たれて目が明くところ、もう少し派手に喜びが出す方が、
発散して良いと思う。
働いていると月2回の土曜休みか日曜祝日しか来られず、
しかも日曜は4月から8月まで予備校に通っていたから、
当然っちゃあ当然。
以前座布団だったところが、座椅子になっていた。
上手側と下手側で間隔が違い、
気に留めず上手側に座るとやたらと狭くて困った。
それでも座布団よりは楽だけど。
平日にも関わらず、かなりの入り。
開場後座椅子を追加していた。
60人から70人台かな。
「商売根問」(優々):△
携帯電話について話しただけで、すぐネタに入る。
こぼれ梅、鶯、河太郎。
全体にはきちんと喋っているのだが、あまりウケていなかった。
マクラを振らなかったために、
客席が笑う雰囲気になるのに時間がかかったこと、
アホを表情付けして作っているのだが、時に素に戻ることがあり、
その際にふっと醒めてしまうこと、
が理由かと思う。
「お玉牛」(ひろば):△+
前半の若い連中の会話、
勢いや「美人をものにしてやる」欲が出ていて良い。
「ウンかグサか」を聞いた時の他の連中は
もう少し怒る、唖然とする等の感情が出た方が良かったと思う。
最初「吸い口を拭いて返す」一言がなかったが、
これは漏れたのかな。
後半はいろいろ粗さが目に付いた。
忍んでいく際の声が大き過ぎるし、特に声をひそませている描写もなし。
少し不自然に感じた。
暗闇で歩いていく際の手の動きも、あまり見えていない感じがせず。
細かくやる必要はないと思うが、
最低限、暗闇の印象が伝わるようにやるのは必須と思う。
牛の毛を(それと気付かずに)「えらい毛深い」と言うのだが、
牛が布団に入った時の「掛け布団を掛けてもらっている」と言うのと矛盾しないかな?
尻尾で叩くところはやはり不細工。
もう少し腕は動かさず、手首を使う方が滑らかに見えるのだと思う。
全体に「見えないまま手を動かしている」雰囲気が弱い。
あと、手に鬢付けが付いて臭いはずなのに、特に拭き取りもせず、
後で何となく手を顔に近付けてしまっていたのは雑だと感じる。
「京の茶漬」(南光):○-
いろいろなあいさつについてのマクラ。
ある程度決まったマクラだと思うが、
客席の反応を見ながらいろいろ入れたり、
ツッコんだりしながら進めていくところが流石。
ネタは、よくウケていたが、個人的にはあまり好みでない演り方。
大阪の男をけっこう濃く描いて、
その捨て台詞や表情付けなどでウケを取っていたのだが、
個人的にはそこを押すのではなく、
「京の茶漬を食べようとした大阪の人間がいた」くらいのお話を
淡々とやる方が、「趣向ネタ」として良いと思う。
今まであまり感じなかったのだが、
大阪の男の言動が一貫しない、と感じてしまった。
もし「京の茶漬というものを一度食べてみよう」とするのが目的なのであれば、
最初に旦那がいない時点で、上がって「腹が減った」とか言わずに、
せいぜいタバコ一服やるくらいで帰ろうとする方が
「ちょっとお茶漬でも」と言いやすいし、自然ではないか?
それをウケを取らんがために上がり込んでいろいろ言うのが不自然であり、
このネタを好きになれない理由の一つなのかも知れない。
もっと言うと、旦那が家にいたらどうするんだろう?
まあ、そんなことを言い出すときりがないのだが。
「くっしゃみ講釈」(米團治):△
「三下り鞨鼓」で出てくる。辛いな。
人間国宝の話をマクラに振ってネタに。
久し振りにこの人の落語を見たのだが、仕草が不自然。
アホがいろいろ手の動きを付けているのだが、当て振りみたい。
普通、人間が喋る時にそんな動きはしないだろう、と感じてしまうレベル。
落語の世界の登場人物が喋っているのではなく、
ずっと米團治がアホを演じている、というところから意識が離れなかった。
まあ、こういう落語もあり得るが、本筋ではなかろう。
「色物」と思って、この程度の大きさのネタをたまに見る分には悪くない。
講釈師がけっこう愛想良いのだが、
もう少し尤もらしさ、おさまった感じが必要だと思う。
くっしゃみをした時の照れ、誤魔化す際に落差がつかない。
あと、くっしゃみそのものも、燻されて自ずと出ているのではなく、
「くっしゃみっぽい声を出している」「くっしゃみの演技をしている」ように感じた。
全体にくっしゃみを含めて流れており、
講釈を進めようとするところを生理現象で遮られている、という感じではない。
「代脈」(こごろう):△+
医者のマクラ。
「点数」といった話が面白い。
病家先での番頭との会話など、
玄関番の台詞をいろいろ入れてよくウケていた。
「羊羹が2切れ」と言って怒るなど。
ただ、個別のウケで少し分散されてしまい、
羊羹を食べ終わっての「帰る」で発散しなかった印象。
「舌を出させる」ところ、普通にウケているのだが、
考えたらここは先生から詳しくは教えられていないんだよなあ。
「教わったことをそのままやってスカタン」が基本線だと思うので、
もう少し先生に「舌を診る」説明をさせた方が良いかも。
説明はダレやすいので、良し悪しはあるが。
「景清」(雀松):○
マクラは大阪マラソンの話、軽く米團治いじり。
全体には過度にクサくなり過ぎず、良い話として伝えていた。
もう少し押した方が良い、
感情を込めた方が良い、と思うところもあったが。
甚兵衛さんが定次郎を心配している雰囲気がよく出ている。
台詞廻しなど、クサいところもあるのだが、
この人の口調があっさりしているので、特に気にならずに済んだ。
甚兵衛さんは「職人として名を残す」ことで説得しているのだが、
「名を残す」ではなく、
定次郎が自分の仕事で満足したか、というレベルの話で済ませても良いと思う。
それは私が左甚五郎物などから感じるの職人像ではあるのだが。
定次郎は口では強がりを言いつつ、心の中では口惜しいと思い続けている訳だが、
時に、もう少し「口惜しさ」が垣間見える方が良い、と感じることがあった。
どこまで抑えるか、とのバランスの問題だが、
本音を吐露する際に少し唐突感があった。
そのためか、泣いたことに少し違和感を持った。
軽い調子で話している時も、同じ強さで抑えているのではなく、
「出そうになる/抑える」流れや変化がもう少しあった方が良いかな、と思う。
雷に打たれて目が明くところ、もう少し派手に喜びが出す方が、
発散して良いと思う。