「芝居譚」(13代目片岡仁左衛門)読了。
「随想」「歌舞伎入門」「芸談」の3章立て。
それぞれの内容は興味深く、
特に「随想」や「歌舞伎入門」は
初めて仁左衛門に触れる、という人には良い入り口かも知れない。
個人的には、内容が少し散漫になった気がするので、
分けた方が良かったのでは、とも感じた。
「随想」「歌舞伎入門」とも、
仁左衛門の日常のあり方や考え方がストレートに描かれており、
それはそれで良いのだが、
私が一番参考になったのは「芸談」の部分。
これが本全体の半分くらいある。
様々な演目について「誰のが良かったか」「誰から習ったのか」
「どのようにやっているか、やるべきなのか」といった話、
ものによってはちょっとした逸話がかなり詳細に書かれている。
「演劇界」に連載されていたものらしく、
出てくる人名や用語など、分からないものもあるが、
それでもその芝居の雰囲気は伝わってくる。
個人的に特にプラスになったのは以下の2つ。
1つは、「妹背山」の久我之助の作り方で、
私が誤解していたことが分かった、ということ。
単に前髪の若衆として作るだけではダメで、立役の性根が要る、という話。
もう1つは、「宿屋町」でちょこっと米朝などが触れる
「四方出のちぢみの髪」「武智光秀の家来」の元ネタが、
「時今也桔梗旗揚」で出てくる「四方天但馬守(しおうでんたじまのかみ)」だ、
ということ。
「菅原と忠臣蔵」でも感じたことだが、
仁左衛門の芸談は
長い芸歴から来る「この人はこうやっていた」という話も、当然面白い。
しかし特に、
単に見た目の動きや筋の運びに触れるだけでなく、
その元となる性根やハラはどのようなものであるべきか、や
芝居のし易さ、見た目なども考慮して動きが作られていることを指摘するあたりが
具体的であり、
論理的に(ここは感覚だ、と明言されているところも含めて)説明されていて、
しかも芝居の雰囲気も何となく感じ取れて、良い。
また、現代の時間の流れに合わせて「ここはカット」「ここはそれでもきっちり」と
考えられているところは、特に歌舞伎以外にも通じる話だろう。
もはや手に入れられない本も多いようだが、
仁左衛門の芸談は図書館などで探して読むと良いと思う。
「随想」「歌舞伎入門」「芸談」の3章立て。
それぞれの内容は興味深く、
特に「随想」や「歌舞伎入門」は
初めて仁左衛門に触れる、という人には良い入り口かも知れない。
個人的には、内容が少し散漫になった気がするので、
分けた方が良かったのでは、とも感じた。
「随想」「歌舞伎入門」とも、
仁左衛門の日常のあり方や考え方がストレートに描かれており、
それはそれで良いのだが、
私が一番参考になったのは「芸談」の部分。
これが本全体の半分くらいある。
様々な演目について「誰のが良かったか」「誰から習ったのか」
「どのようにやっているか、やるべきなのか」といった話、
ものによってはちょっとした逸話がかなり詳細に書かれている。
「演劇界」に連載されていたものらしく、
出てくる人名や用語など、分からないものもあるが、
それでもその芝居の雰囲気は伝わってくる。
個人的に特にプラスになったのは以下の2つ。
1つは、「妹背山」の久我之助の作り方で、
私が誤解していたことが分かった、ということ。
単に前髪の若衆として作るだけではダメで、立役の性根が要る、という話。
もう1つは、「宿屋町」でちょこっと米朝などが触れる
「四方出のちぢみの髪」「武智光秀の家来」の元ネタが、
「時今也桔梗旗揚」で出てくる「四方天但馬守(しおうでんたじまのかみ)」だ、
ということ。
「菅原と忠臣蔵」でも感じたことだが、
仁左衛門の芸談は
長い芸歴から来る「この人はこうやっていた」という話も、当然面白い。
しかし特に、
単に見た目の動きや筋の運びに触れるだけでなく、
その元となる性根やハラはどのようなものであるべきか、や
芝居のし易さ、見た目なども考慮して動きが作られていることを指摘するあたりが
具体的であり、
論理的に(ここは感覚だ、と明言されているところも含めて)説明されていて、
しかも芝居の雰囲気も何となく感じ取れて、良い。
また、現代の時間の流れに合わせて「ここはカット」「ここはそれでもきっちり」と
考えられているところは、特に歌舞伎以外にも通じる話だろう。
もはや手に入れられない本も多いようだが、
仁左衛門の芸談は図書館などで探して読むと良いと思う。