朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

あるべき怪談噺

2007年07月07日 21時54分29秒 | 落語・講談・お笑い
先週の日曜は三越納涼寄席だった。

日本橋三越の三越劇場。
休憩時間などに売り場を見て歩いたが、いやあ、値段の桁が違う。
宝飾品の価値の分からない私には、「何じゃこりゃ」の世界。
それに比べて落語会は、
演者のレベルを考えるとリーズナブルな(安いくらいの)値段。

「真景累ヶ淵」から、
「宗悦殺し」(馬石)「深見新五郎」(馬桜)「豊志賀」(雲助)を
抜き読みで演じる、という企画。(遊雀の「死神」も付く。)
それぞれが30分以上(1時間近く?)ある、という、けっこうヘビーなもの。
間に踊りや音曲、大喜利にかっぽれ、で陰気な雰囲気で終わらせないように
考えられているが。

現在の怪談噺の演者では、まあ、雲助・馬桜というのが私の好み。
正雀は、世界が薄くてあんまり好きになれない。
小朝は、小手先でひねくり回している感じが好きになれない。
歌丸は、よく知らない。また聞いておいた方が良いのかねえ。
馬石は雲助の弟子で、初めて聞いたが、
「雲助口調」が最初鼻についてしまい、あまり世界に入り込めなかった。

雲助は、口調にクセがあり、これが怪談にはまるのだが、
私の求めるものとは違う感じ。
「細部を綿密に描いて、結果圓朝の世界を表現する=怖い」のがベストだと
思うのだが、
雲助の場合、口調が描写より先に怖さを呼び起こしてしまった。

描写の確かさのおかげで、いろいろ気付いたことはある。
例えば、豊志賀の病気は「不運」なのではなく、
この人の粘着質的な性格による「自業自得」なのだ、ということ。
(これは、前に馬桜の「深見新五郎」をつけたことで、
「因果は巡る」というモチーフが腑に落ちていたためかも知れない)

単に幽霊・お化けの類が「恐ろしい」「怖い」のではなく、
そうなるに至った人間の感情・因果が恐ろしい、というのが
圓朝の怪談噺のベースだと思う。
そのあたりは、よく出ていたと感じた。
ただ、ハード面も含めて、そのあたりを伝えて
ネットリと、心底から「恐ろしい」と思えるような怪談噺がないものか。
個人的には、ハンデのない馬桜に期待したいところだな。
コメント
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