先週の日曜は三越納涼寄席だった。
日本橋三越の三越劇場。
休憩時間などに売り場を見て歩いたが、いやあ、値段の桁が違う。
宝飾品の価値の分からない私には、「何じゃこりゃ」の世界。
それに比べて落語会は、
演者のレベルを考えるとリーズナブルな(安いくらいの)値段。
「真景累ヶ淵」から、
「宗悦殺し」(馬石)「深見新五郎」(馬桜)「豊志賀」(雲助)を
抜き読みで演じる、という企画。(遊雀の「死神」も付く。)
それぞれが30分以上(1時間近く?)ある、という、けっこうヘビーなもの。
間に踊りや音曲、大喜利にかっぽれ、で陰気な雰囲気で終わらせないように
考えられているが。
現在の怪談噺の演者では、まあ、雲助・馬桜というのが私の好み。
正雀は、世界が薄くてあんまり好きになれない。
小朝は、小手先でひねくり回している感じが好きになれない。
歌丸は、よく知らない。また聞いておいた方が良いのかねえ。
馬石は雲助の弟子で、初めて聞いたが、
「雲助口調」が最初鼻についてしまい、あまり世界に入り込めなかった。
雲助は、口調にクセがあり、これが怪談にはまるのだが、
私の求めるものとは違う感じ。
「細部を綿密に描いて、結果圓朝の世界を表現する=怖い」のがベストだと
思うのだが、
雲助の場合、口調が描写より先に怖さを呼び起こしてしまった。
描写の確かさのおかげで、いろいろ気付いたことはある。
例えば、豊志賀の病気は「不運」なのではなく、
この人の粘着質的な性格による「自業自得」なのだ、ということ。
(これは、前に馬桜の「深見新五郎」をつけたことで、
「因果は巡る」というモチーフが腑に落ちていたためかも知れない)
単に幽霊・お化けの類が「恐ろしい」「怖い」のではなく、
そうなるに至った人間の感情・因果が恐ろしい、というのが
圓朝の怪談噺のベースだと思う。
そのあたりは、よく出ていたと感じた。
ただ、ハード面も含めて、そのあたりを伝えて
ネットリと、心底から「恐ろしい」と思えるような怪談噺がないものか。
個人的には、ハンデのない馬桜に期待したいところだな。
日本橋三越の三越劇場。
休憩時間などに売り場を見て歩いたが、いやあ、値段の桁が違う。
宝飾品の価値の分からない私には、「何じゃこりゃ」の世界。
それに比べて落語会は、
演者のレベルを考えるとリーズナブルな(安いくらいの)値段。
「真景累ヶ淵」から、
「宗悦殺し」(馬石)「深見新五郎」(馬桜)「豊志賀」(雲助)を
抜き読みで演じる、という企画。(遊雀の「死神」も付く。)
それぞれが30分以上(1時間近く?)ある、という、けっこうヘビーなもの。
間に踊りや音曲、大喜利にかっぽれ、で陰気な雰囲気で終わらせないように
考えられているが。
現在の怪談噺の演者では、まあ、雲助・馬桜というのが私の好み。
正雀は、世界が薄くてあんまり好きになれない。
小朝は、小手先でひねくり回している感じが好きになれない。
歌丸は、よく知らない。また聞いておいた方が良いのかねえ。
馬石は雲助の弟子で、初めて聞いたが、
「雲助口調」が最初鼻についてしまい、あまり世界に入り込めなかった。
雲助は、口調にクセがあり、これが怪談にはまるのだが、
私の求めるものとは違う感じ。
「細部を綿密に描いて、結果圓朝の世界を表現する=怖い」のがベストだと
思うのだが、
雲助の場合、口調が描写より先に怖さを呼び起こしてしまった。
描写の確かさのおかげで、いろいろ気付いたことはある。
例えば、豊志賀の病気は「不運」なのではなく、
この人の粘着質的な性格による「自業自得」なのだ、ということ。
(これは、前に馬桜の「深見新五郎」をつけたことで、
「因果は巡る」というモチーフが腑に落ちていたためかも知れない)
単に幽霊・お化けの類が「恐ろしい」「怖い」のではなく、
そうなるに至った人間の感情・因果が恐ろしい、というのが
圓朝の怪談噺のベースだと思う。
そのあたりは、よく出ていたと感じた。
ただ、ハード面も含めて、そのあたりを伝えて
ネットリと、心底から「恐ろしい」と思えるような怪談噺がないものか。
個人的には、ハンデのない馬桜に期待したいところだな。