城郭探訪

yamaziro

布施山城 近江国(八日市)

2014年07月08日 | 戦国山城

布施公園から布施山を望む!(右の山が布施山城址)

所在地:東近江市布施町 (旧八日市市布施町)  map:http://yahoo.jp/8KIHxC

築城期:室町期

築城者:布施氏

城 主:布施三河守

区 分:山城

遺 構:土塁、井戸、畝状竪堀(西側)・くぐり門

現 状:山林

訪城日:2014.7.6

平成 布施山合戦

 ファイル:Japanese Crest mitumori Kikkou ni Hanabishi.svg平成 布施山城 救援隊

 永禄の昔、布施氏は東近江の布施山城に籠城し観音寺城の六角氏に反旗をひるがし数度の合戦を繰り返すが、浅井本隊は南進するも布施山城は今一歩ののところで惜しくも、落城する。平和な平成において、旧浅井町の宮本さんを中心とする約15名が、紙小旗を持ち市辺れきし発見塾 布施山城見学会の救援に向かう。

催事 2014 市辺れきし発見塾 布施山城見学会

日時 201476() 13001530 少雨決行

場所 滋賀県東近江市布施町 布施公園 奥駐車場(みちる舘側)

主催 市辺地区まちづくり協議会(市辺コミセン内)

申込み0505-802-3392  info@icinobe.com

講師 長谷川博美氏

     元滋賀県中世城郭分布調査員・蒲生郡、神崎郡、担当

1986年3月刊行の滋賀県教育委員会と(財)滋賀総合研究所の中世城郭悉皆調査、『滋賀県中世城郭分布調査』(旧蒲生郡、神崎郡の城)において、旧八日市市布施町布施山城の現地城郭分布調査員を務めさせて頂いて以来、時の流れる事蛍雪28ヶ年、此度、私は「市辺地区まちづくり協議会」各位と代表様から、「布施山城」の現地解説講師の依頼がありました事を慎んで御報告申しあげます。

 つきましては地元東近江市の皆様はもとより滋賀県内外の一般参加者様も含めて、地域まちおこし事業や、素朴な城址見学会へ御参加を、お願い申しあげす。

   米原市文化協会 教養部部長 城歩会 長谷川博美

     現NHK名古屋文化センター講師、滋賀民俗学会理事

201476() 丸山竜平先生も来訪

 

 

   

 平内屋敷跡で解説

はじめは勾配が緩く、だんだんきつくなる山で、主要部は石垣で構成され、縄張りはごくシンプルである。

 前方後円墳に築かれた山城 

(主郭が後円墳・副郭が前方墳) 近江では、数少ない畝状竪堀が西側に!

 蒲生郡誌より 主郭虎口の潜り門  

約20分ほどで尾根に出る。尾根道は東西に走っているが、布施山(玉尾山または願成寺山)山頂へは東の道をとる。

 山頂には狭い面積を目一杯利用して、円形に近い形の主曲輪(約南北30m×東西30m)があり、南東隅には井戸(溜め井)と思われる5m×4mほどの窪地が認められる。

 主曲輪周囲には、高さ1m前後の土塁が廻らされている。この土塁は幅が相当厚く、土塁幅からすれば相当の高さがあったであろうとことが推測される。

 主曲輪の北には幅5mほどの袖曲輪を介して20m×20mの方形曲輪を配している。こちらの曲輪にも周囲に土塁を巡らせている。高さは50~60cm程度でしかないが、主曲輪同様に土塁底の幅は相当広い。

           主要部は石垣で構成され、縄張りはシンプル。

      

 

削岩のノミ跡がくっきり残っています。

スマイルTVのインタビュー!

(クリックすると拡大します)記念撮影(写真は先に下山された子供連れが入ってません。)

 資料が無かった人含めると70人以上参加です。



 布施山(玉緒山)山頂にあり、石積の虎口、土塁、井戸跡、畝状竪堀が残る、自然の要塞となっている。観音寺城、雪野山、小脇城、長光寺城を望むことができる。

 布施氏は佐々木六角氏の家臣で、永禄6年(1563)の観音寺騒動後の戦い(布施山の戦い)では浅井氏に通じ布施三河守が籠城した。

永禄11年(1568)布施三河守の時、織田信長の上洛の際の近江侵攻により、布施山城は落城し、廃城となる。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城

 

 本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!

     

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