城郭探訪

yamaziro

鎌刃城 近江国(米原)

2015年11月19日 | 戦国山城

城 名: 鎌刃城
所在地: 滋賀県米原市番場
現 状: 山林
築城期:15世紀後半~16世紀後半
築城者:土肥氏
区 分:山城
遺 構:主郭・南副郭・北副郭・堀切・土塁・石垣・虎口
標 高:384m、比高差:250m

駐車場:番場駐車場
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2015.11.16

お城の概要

鎌刃城案内板のある南へ向かう路地へ入り、すぐに道の左側に案内板がある山道のような側道を名神高速沿いに南下、彦根45のガード前に動物避けの門扉があり、開けてカード下をくぐると登城道に出る。くれぐれも門扉は開けたら閉めてください。
山道を入って行くとあと1.7kmの案内板のある分かれ道があり、案内に沿って斜面を上がった畝道を山中に入って行く。途中にあと1.3kmの案内板のあるところに土橋がある。後半は、山裾道を歩き、最後は、折れ曲がり道の斜面を登り切ったところに大堀切が見られる。ここまでやく50分。
大堀切から北の尾根を少し下ると堀切がある。さらに大堀切の西斜面を南へ100m行くと大石垣が見られる。
大堀切の南斜面を登ると北副郭に着く。登り切ったすぐの大穴のところが大櫓跡らしいです。中央東側には石垣造の桝形虎口、中央部に箱に入ったパンフレットがあるのでもらうと良い。
一段上がった南の曲輪には物見やぐらが復元されている。この付近の西側斜面に角石垣と小石垣が残っている。
北副郭の段々曲輪を登ると主郭へたどり着く。主郭北面に石垣造の桝形虎口、南面には土塁跡があり、土塁上に木製の鎌刃城趾碑が建っている。
土塁下に堀切があり、主郭南側が南副郭です。南副郭の奥には土塁跡と消えかけた説明板が建っています。
南副郭の土塁下には深い堀切、鎌刃城の名の由来である南の尾根に続く鎌の刃のような細い土橋が続き、堀切が途中にあります。細い尾根の最後には深い切り通しがあり、道が滝につながっています。
帰り道を引き返す途中、西番場集落へ降りる三叉路を西番場方面へ降りていくと大手口へ出ます。名神高速高架下の彦根43ガードを抜けるた右側の田んぼが殿屋敷跡で田んぼの前に小さな説明板が建っています。



歴 史

  • 土肥氏が築城、のち堀氏が居城する。
  • 文明四年 (1472) 坂田郡の土豪今井秀遠が堀次郎左衛門の籠る鎌刃城を攻める。
  • 文明十八年 (1486) 多賀宗直に属する鎌刃城主堀氏成が今井秀遠に攻められる。
  • 天文二年 (1533) 同四年(1535)、同七年(1538)に近江守護六角定頼が今井定清に命じて鎌刃城を攻め島秀安が城代となる
  • 佐々木六角氏に降った堀氏が再び城主となる。
  • 禄二年以降 (1559) 浅井方の城となる。
    元亀元年 (1570) 浅井長政は織田方に降った堀氏に換えて百々越前守を入れる。
  • 姉川合戦後には織田信長が堀氏を最前線基地となる。
  • 元亀二年 (1571) 浅井軍に攻められるが、横山城を守備する木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の加勢により落城を免れる。
  • 天正二年 (1574) 堀氏が改易され廃城となる。

 

『江州南北諸士帳』に番場鎌刃城主 門根帯兼頼氏男 堀 次郎、樋口次郎左衛門、樋口三郎兵衛とあり

 

『江州南北諸士帳』に番場 住 佐々木随兵鎌倉平氏 土肥三郎、同     同男左京進とあり

 

 鎌倉幕府成立頃から頼朝の家臣として活躍した土肥氏は、箕浦庄の地頭として下向した。土肥氏はその後、番場・多和田・醒井をそれぞれ分派に与え、箕浦庄の三土肥と称された。
番場に居を構えた土肥氏は、その後もこの地で活躍して室町時代に鎌刃城を築いたとされるが、それ以前に居城としたのが番場城と殿屋敷であったのではないかと推測される。

 

 鎌刃城は鎌倉時代に箕浦庄の地頭であった土肥氏の居城として築城されたと伝えられている。
しかし、土肥氏は番場に残る「殿屋敷」に居城していたと考えられ、鎌刃城は番場地区から離れた山中にあり、在地支配の城(仕置きの城)ではなく、軍事目的で築かれた城ではないかと考えられている。
 一説には、鎌刃城近くを通る間道(通称年貢道)を押さえる城であったともされる。

 鎌刃城は江南の六角氏と江北の京極氏や浅井氏の国境に立地していることから、「境目の城」として、文献にも文明4 年(1472)以降に登場し、室町時代に築城されたと考えられている。
 六角氏方の今井氏が京極氏方の堀氏の守備する鎌刃城を攻めたことや、堀氏が後に六角氏方に降り、再入城したことなどが知られている。

 元亀元年(1570)堀氏は姉川の戦いに際し、樋口氏と共に織田信長に降り、翌年5月6日浅井長政に鎌刃城を攻められている。
 この時横山城(長浜市)を守備していた木下籐吉郎(後の豊臣秀吉)が応援に駆けつけ、長政軍を撃退したことが「信長公記」に記されている。

鎌刃城見学会の見学ルート順に、

新林道を車で頂部へ(清流の滝の上、旧林道の終点)、駐車!

いざ、鎌刃城へ南から

 

横堀(堀切)を9を数え、細い尾根を南郭まで!

七堀切と書いてますが、九堀切があります!

南曲郭~副曲郭~主郭

副郭へ

主郭の東側の石垣

大手口の下の石垣(2015.11.29まで、以後埋め戻し(11.23狼煙リレー))

主郭の大手桝形虎口より主郭へ

 

主郭のクマ除け半鐘のBOXに【発掘資料】があります。穴型主郭CG復元図

 

 主郭より、北の展望

狼煙リレーの準備に、杉の枝を背負って「鎌刃城を考える会のⅠさん」の遭遇

主郭で主郭で遺物(茶碗の)発見、写真はないが、碁石8mmも発見…Tさんが!。当然、遺物は元の位置に!

主郭西側石垣

 

北部遺構

大堀切

 

 

主郭西の犬走りの大石垣

 

 

 

主郭のクマ除け半鐘のBOXに【発掘資料】があります。穴型主郭CG復元図

 

西側の刃の部分へ

ここで、林道に降り

林道を「清流の滝」=「水の手」まで約200m

清流の滝

林道の終点

駐車位置の戻り、塩津の「西岡城」の踏査・測量図を披露!

見学会記念撮影(参加者+シャッターマン(小生)=14名)

東側の新林道を車で下山…西に鎌刃城(車中より遠景)

 

集合場所の近くの中山道沿いの案内板

参考資料:鎌刃城見学会のレジュメ、滋賀県中世城郭分布調査、鎌刃城 近江国(米原・番場)講座 鎌刃城まつり、 鎌刃城まつりに参加しました(鎌刃城見学会)

本日の歩数   10,530歩 

本日の歩行距離 7.8km

実歩行時間   2:03:33

消費カロリー 192.4 Kcal

脂肪燃焼量  27.4g

本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!


最新の画像もっと見る