城郭探訪

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山室砦(名越ごえの山城) 近江国(山東) 

2015年12月20日 | 戦国山城

 南郭跡で発見された石臼

お城のデータ 

別 称:名越ごえの山城

所在地:米原市山東町山室/長浜市布勢町・名越町 map:http://yahoo.jp/fo9cTP

区 分:山城

標 高:277m 比高差:150m

築城期:室町期

築城者:子足備後守

遺 構:曲郭、土塁、堀切、二重堀切、土橋、竪堀 

目標地:長浜市名越町 後鳥羽神社

駐車場:後鳥羽神社の駐車場

訪城日:2015.12.14

お城の概要

名越ごえの山城は、長浜市名越町・布勢町と旧山東町(現米原市)山室の境界をなす横山連峰の尾根筋上および山室集落に向かって下る支尾根上に、南北約400m、東西約150mに亘って築かれている。この横山連峰の尾根筋上には、鳥羽上城や横山城も築かれている。

遺構は、三つのピークを利用し、南端の標高275mのピークに主郭(南北約80m、東西約43m)が置かれ、琵琶のバチの形をしている。主郭の南側下方には堀底を石塁で2重構造にした堀切に、さらに外方に土橋を付属させた堀切を設け、尾根続きの南側を厳重に防禦している。

主郭の東側は急斜面を下った所に堀切を、その先45m間に廊下状の郭と削平の不十分な郭を設け山室側より直登する尾根筋を防備している。
主郭の北側は、虎口部で東西面に土塁を伴う傾斜地となっており、その先端鞍部は堀切(切通し)で画されている。それより北へ40m程登った標高277mのピークを東西約25m、南北約30mの不整形な郭としている。

ここから西へ下ると布施へ、北西へ下れば名越へ通じ、要の郭である。更に北方に、一段下がって廊下状通路が約45m続き、先端部が15m×18mの不整形な郭になっている。

 その北面、段築の痕跡を残す急斜面を下った所には、中央と北側に土塁を伴う二重の堀切を配し、北からの侵入を防いでいる

堀切外側は緩やかな鞍部を隔て廊下状の尾根道となり、90m先の西面には浅い堀切が見られ、最北端の外郭と考えられている。

郭を取り巻く土塁もなく、削平も不完全で、自然地形に大きく制約されており、古い形式の山城と思われる。

お城の歴史

名越ごえの山城に関する直接史料は見つかっていないが、縄張りが北・東・南の三方に対して防備されているのに対し、西方は手薄なことから、長浜市側の勢力による築城と考えられる。

湖北の坂田郡という地域は,南北につらなる 横山丘陵を囲むように東山道・北国街道・北国脇往還の三街道が通り,戦略的にも重要な交通の要路である。三街道が形成する三角形の中心地区に,いつの頃からかはわからないが,(おそらく室町時代後期には,)小足郷(村)もあった。

『大洞弁天当国古城主名札』に名越館に京極氏の家臣・小足備前守が在城していたとあり、同氏の「詰城」の可能性が高いとされている。

また、『淡海国小間攫』にも、「名越村小足備前守此地ヲ領スル由、古記ニノス」とあり。

名越ごえの切り通し(堀切)

東側の郭

東郭跡で発見された石臼

277m

東端の二重堀切

登り口に下山

和尚谷地蔵堂

背後の郭址堀切堀切

後鳥羽神社

 

 

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、近江の城、淡海の城、『大洞弁天当国古城主名札』『淡海国小間攫』

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