城郭探訪

yamaziro

杣中城 近江国(甲賀・水口)

2014年04月12日 | 平山城

切通しカ?虎口ヵ                                                         

別名 芥川城 
・住所:甲賀市水口町杣中 map:http://yahoo.jp/3XlG_j
   旧:甲賀郡水口町
・目標地点:杣中公民館・熊野神社

・形  式:平城   
・現  状:雑木林・グランド・公園

・遺  構:土塁・堀・櫓台
・時代/人物:--期/--
・駐車位置からの主郭まで:2

 杣中城は、別名芥川城とも呼ばれているが築城年代や築城者については定かではない。

杣中城は、杣川の段丘上にに立地、杣中地区の中程にある杣中公民館辺りに築かれていた。 

城域は公民館・グランドになり、城の規模など明確ではない、公民館西側から南側にかけて土塁aが50mに渡り残り、外側に巾最大15mのb空堀(堀跡の水田も含む)の遺構がある。

更に、公民館から北東へ150m程、民家東側の竹藪に長さ約80m程、高さ3mの土塁が残るが川の堤防の可能性も。これらの残存する土塁や堀から推測すれば、杣中公民館辺りが主郭、東側の土塁までの一帯が曲輪、主郭西側の住宅地と畑地が地形から見てもここにもう一曲輪あったカ?。 

郭の背後の土塁

物見櫓カ?

郭内から

甲賀の城(着色加工)より

芥川家カ?

 芥川家は甲賀二十一家の1つ。甲賀五十三家の中でも六角氏より感状を貰うほど信頼の厚かった二十一家を指し、後の甲賀流忍術の中心となった家々である。 芥川家 - 一族の著名人物として芥川七郎兵衛・芥川清右衛門・芥川九郎左衛門がいる

 芥川九郎左衛門義矩 (あくたがわくろうざえもんよしのり)

 徳川幕府が成立すると、忍びとして大いに名を上げていた伊賀衆や甲賀衆は、幕府や各大名に登用された。その末裔として印象深い1人に、信州松本の戸田家に仕えた芥川九郎左衛門義矩がいる。もともと芥川家は甲賀二十一家に数えられる甲賀忍びの系譜だが、九郎左衛門義矩は享保17年(1732)に生まれ、文化7年(1810)に没している。

 芥川義矩には、不思議な伝承が数多く残されている。天明3年(1783)、隣藩のお家騒動で悪臣に監禁された家老を、身体を透明にする薬を用いて助け出した話。藩主から酒席にて忍術の披露を求められた折に、宴席の腰元たちが気付かぬうちにその腰巻きをすべて剥ぎ取ってみせた話…。

  歴史の陰で活躍してきた「忍び」の実像を具体的に描き出すのは、実はそう容易ではない。だが忍びは、虚を実に見せ、実を虚に見せて相手を翻弄する「虚実の転換」を大事にしたという。腕利きの忍びがいるという評判自体が、敵の侵入を憚らせる抑止力にもなった。世の人の度肝を抜く「忍者伝説」の数々も、その意味では極めて「忍び」らしいものといえるのかもしれない。

杣中城…侵入口(切通しor虎口?)

杣中城(遠望・・・グランドより)

・・・杣中公民館の無料駐車場を利用。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査(甲賀)、近江の城郭、淡海の城、甲賀の城、甲賀郡誌

 

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