鎌刃城まつりに参加、『番場城』見学会!
番場城(遠景)
お城のデータ
所在地:米原市番場殿屋敷 (旧坂田郡米原町番場 殿屋敷)
現 状:山林
遺 構:曲郭・土塁・堀切・櫓台
区 分:平山城
標 高:200m 比高差:約100m
築城期:南北朝期
築城者:土肥氏カ?
城 主:堀氏カ?
目 標:西番場バス停
訪城日:2017.6.5
お城の概要
西番場地区の2ヶ所の鎌刃城登城道が番場城尾根の東西直下を走っていて、どちらからでも頂部に建つ送電鉄塔を目指せば辿り着く。目印は名神道ガード「彦根42」と「彦根43」の間である。
縄張は三方を土塁がめぐる南北約35mの主郭を中心に、先端に腰郭、山側に櫓台を備える。櫓台の背後は山頂方向の尾根筋を堀切にて分断している。堀切の外側は、約20mの自然地形を経て、さらに薄い堀切が確認できる。
全体的に風化が激しく、土塁は薄く、櫓台は鉄塔建設により改変され不明瞭な部分が多い。尾根先は名神道開通により削り取られているので、本来の大手道は消滅したと思われる。
お城の歴史
『江州南北諸士帳』に、「番場 住 佐々木随兵鎌倉平氏 土肥三郎、同 同男左京進」とあり。(番場城に関して、文献等の資料は少ない。)
鎌倉幕府成立頃から頼朝の家臣として活躍した土肥氏は、箕浦庄の地頭として下向した。土肥氏はその後、番場・多和田・醒井をそれぞれ分派に与え、箕浦庄の三土肥と称された。
番場に居を構えた土肥氏は、その後もこの地で活躍して室町時代に鎌刃城を築いたとされるが、それ以前に居城としたのが番場城と殿屋敷であった。
番場城の尾根先には殿屋敷と称される鎌刃城主堀氏の屋敷と伝承される地があるが、立地からみて番場城との詰城と居館の関係とみるのが普通である。
南側の土橋
南側の堀切
東側に下りる。
https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/1042130015949573
西麓には「今福寺遺跡」とされる遺構が存在する。背後を水堀で遮断し、ほぼ中央の段築部には石積みが見られる。この遺跡は番場城遺構の一部のように思えるため記載しておく。
鎌刃城まつりで番場城と今福寺跡を長谷川博美先生に案内いただきました。今福寺跡は現在番場集落内にある称揚寺の前身の今福寺があったところとは知っていましたが、この地の歴史的な意味は地元でもあまり話題になる地域ではありませんでした。先生の説明を聞き3段の堀や石垣を備えた屋敷跡であったことが説得力のある説明と現地の形体から良く理解できました。番場城と一体的な中世の城下町的な屋敷ではないかと興味を持ちました。
参考資料:『滋賀県中世城郭分布調査』、『江州南北諸士帳』、鎌刃城公式サイト
本日も訪問、ありがとうございました。