黒津城(大日山城)
- お城のデータ
- 所在地:大津市田上黒津町 一丁目14 map:http://yahoo.jp/jLEbJc
- 別 称:大日山城
- 区 分:平山城
- 現 状:山林・古墳・寺社地
- 築城期:永享年間
- 築城者:山岡資広
- 遺 構:曲輪・土塁・櫓台
- 標 高:129m 比高差:40m(湖水面) 比高差:25m(駐車位置)
- 目標地:大津市田上黒津町 一丁目14
- 板碑
- 訪城日:2017.2.16
- お城の概要
瀬田川と大戸川の合流点に位置する大日山(三尾山)の山頂に築かれた山城。
大日堂が建つ東端の平坦地を主曲輪とし、その西側に2段の曲輪が連なる連郭式の構造。
主曲輪の北側と東側に小曲輪が確認でき、北側には櫓台と思われる3m四方の土盛りが残る。
瀬田川に面する西端には高さ3mほどの土塁の上に櫓台と思われる平坦地があり、瀬田川・大戸川の監視の目的が窺える。
各曲輪は堀切で区切られ、北側は切岸、南側には土塁と東西に長い帯曲輪を配置。
城域の南西に虎口と思われる地形が確認でき、瀬田川へと続く。
1896年の南郷洗堰建設に伴って山の西側が大きく崩されており、当時は瀬田川に突き出た半島状の地形の上に建っていたことが推察される。
- 滋賀県城郭分布調査3には、「瀬田川と大戸川の合流点、大日山の頂部付近に複数の平坦地が存在する。特に瀬田川に面する北西部分には、古墳の頂部を削平したと考えられる櫓台状の郭とその周囲に犬走りが認められるが、縄張の全体については判然としていない。」
お城の歴史
『佐々木南北諸氏帳』に、「栗太郡 勢田大日山城主 佐々木末丹州籏頭随一 〇山岡美作守秀俊
宇多天皇八代季定公二男山岡次郎 胤綱俊胤
山岡八郎左衛門景隆
同 佐々木随兵後信 勢田掃部介
山岡氏の本城。
永享年間、山岡資広が勢多村を平定して「山田岡」に城を築いたことが始まりとされる。
山岡氏は元は毛枚氏・大鳥居氏を称した甲賀郡の土豪。
大鳥居資広が勢多(瀬田)を領して山岡氏を名乗り、佐々木六角氏に仕えて「江南の旗頭」と呼ばれるほど湖南地方に絶大な勢力を有した。
永享年間に山岡資広は瀬田城を築いて山岡氏の本城を移し、自身は石山城に隠居した。
瀬田城と同じく、賤ヶ岳の戦いの後に廃城になったと思われる。
『江州佐々木南北諸氏帳』には、「栗太郡 黒津河村 住 佐々木隋兵元丹州藤氏 川村孫兵衛」「黒津川村 住 笹岡権兵衛」「黒津川村 住 佐々木隋兵 好瀬庄右衛門」の名が見えるが、永享年間、山岡資広が勢多村を平定か?
井戸
武者隠しか?
参考資料:遺跡ウォーカー、『日本城郭大系』11。滋賀県城郭分布調査1・3、さきろぐ。
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