城郭探訪

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新田義貞軍の一部が戦没した、河野・土居・得能三将が率いる300騎 塩津の谷

2016年01月07日 | 武将

新田義貞軍ぼ武将・河野氏をまつる宝塔

下鹽津神社 (下塩津神社)

所在地:長浜市西浅井町集福寺455(旧・西浅井郡西浅井町集福寺455)map:http://yahoo.jp/SXZ2Yx

参拝日:2015.12.12

集福寺の下塩津神社の境内、 同社の社務所の裏手の山際

その大きさや形状から、 十分南北朝期に~」鵬=るものと推. 定される。 かっては、 より ... HH、 足利尊氏に追われて京都を脱出した新田義貞軍の一部が、 敦賀に 向かう ... 西浅井町横波日吉神社境内に、 大小の五輪塔が低い. 段上に建って いる~ ...

 

式内社 近江國淺井郡 下鹽津神社 旧村社

御祭神 鹽土老命
配祀 伊邪那岐命 伊邪那美命

滋賀県長浜市(旧西浅井町)にある。近江塩津駅の北2Kmほどの集福寺に鎮座。
8号線から東へ、北陸本線のくぐって、大川沿いに進む。

参道入口に鳥居が立ち、傍らに社号標。参道を歩くと、目の前に美しい巨木が聳えている。

境内入口に案内板があり、右手が広い境内。左へ進み社務所の裏手に回ると「五輪塔」がある。

境内の右端に社殿があり、本殿は覆屋の中にあるようだ。本殿の左横に、小祠・白山社。その横に二棟並んだ神明社がある。

創祀の由来は、社伝によると、応神天皇が、皇子の頃、塩土老翁の託宣を得て、即位の後、大雀命・宇遅能和紀郎子命の二皇子に
この神を崇敬するように命じた。
そこで、二皇子は、淡海の集福蘇翁に命じ、仁徳天皇三年四月、浅井郡下塩津郷集福寺小松山小稲森に社殿を創立し、塩土老翁を鎮祭し、下塩津神社としたという。

醍醐天皇昌泰二年(899)、今出川大納言の二子で、天台僧の大法深が当社の社僧に任ぜられ、信仰していた熊野三所権現を勧請し、
伊邪那岐命・伊邪那美命を配祀した。

社殿には、三つ巴・桐・菊の3種の紋が付いていたが、案内板に、神紋は、菊と桐とある。このように神紋を記載してくれるとありがたいな。

式内社 下塩津神社の由緒

 当社由緒に関する古記録によると、人皇十五代応神天皇が塩 土老翁の神徳を知り二人の皇子に、塩土老翁の神霊を祀る事を 命じられた。茲に二皇子、淡海の集福蘇翁に命じ下塩津の郷、集 福寺小松山小稲森に社祠を建て塩土老翁の神霊を鎮祭させて下 塩津神社と称え奉った。
 第六十代醍醐天皇の昌泰二年(八九九)今出川大納言の子の 天台僧が当社神宮寺の吉祥寺の社僧となり、紀伊の国熊野神社 の伊邪那伎命・伊邪那美命の二神を勧請して熊野三社権現と称 え奉るに至った。下塩津郷五ケ邑並びに境内七町四方を神領と した。永享四年(一四三二)二月従五位の神階を宣下される。神紋(十六弁菊花 五七の桐)
 延喜式神明帳に浅井郡十四座とあるが、その中に下塩津神社 とあるのは当社である。

当神社の主な祭

八月十六日 例大祭 花笠踊(ちゃんちゃこ踊)奉納(滋賀県選択無形民俗文化財)

二月十一日 神事祭(おこない)奉納  -境内案内板より-

 

 南北朝合戦の爪

長浜市西浅井町横波の日吉神社の建つ五輪塔群【南北朝~室町期=戦国時代】

 天保5年(1834)の建立で、駄馬仲間や塩津浜およびその枝村8ヶ村(祝山、野坂、 塩津中、岩熊(やのくま)、横波、余、集福寺、 ... なお、塩津と木之本を結ぶ道として、 塩津神社の前から国道8号(県道514号筋)で賎ヶ岳の南腹を越えて木之本に至る道と 、祝山から ..... 集落中央あたり右手に日吉神社、集落の北はずれで自然石に掘られた 小さな大日如来が祠に安置されていた。 ... 南北朝時代の延元元年(1336)、新田義貞 らの南朝軍は後醍醐天皇の皇子恒良親王と尊良親王を奉じて北陸に下り、金ヶ崎城に 入った。

日吉神社の境内に、大小16基の五輪塔が低い段上に建っている。これらは、平成18年に背後の山際の斜面から発掘されたものだが、それに先立つ平成11年には、同地域から「延元戦没」と記された石碑が発見されていた。

この周辺は、織田信長の元亀兵乱で破壊された石塔が埋まっているという伝承があったが、平成になってその事実が確認された。

発見された石塔は錯乱状態であったが、村の有志が現在の「地・水・火・空」風輪の組み合わせは、再建当時の推測である。

「延元戦没」と刻まれた石碑には、「古えを しのばざらめや 今とても 色を得能の 塚の紅葉は/玄夢作」と和歌が刻まれている。ここで「延元戦没」とあるのは、南北朝期延元3(1336)年10月11日に、足利尊氏によって京を追われた新田義貞軍の一部が戦没したこと指す、本隊に遅れていた河野・土居・得能三将が率いる300騎は雪が降りしるなか、塩津の谷で、敵軍に取り囲まれて自害した。(太田浩司…横波の西田覚氏から聞きとり)

  本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!


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