打出浜なぎさ公園の琵琶湖岸の常夜灯(灯台ヵ)県立琵琶湖文化館(閉館中)
湖畔に石碑【県立琵琶湖文化館のすぐ隣に】
湖畔に説明の駒札【県立琵琶湖文化館のすぐ隣に】
「小舟入の常夜灯」(1808年の建立、高さ8.4m、大津市指定文化財)。旧東海道を大津ハローワークを膳所方面に50m。
【写真の右奥は、県警本部ビル、左はライオンズマンション】
京都で伊勢神宮を信仰をするグループがお伊勢参りをする拠点として建立されたのだそうです
ことわざ「急がばまわれ」は、実は琵琶湖で出来た言葉。
室町時代の連歌師宗長が
「もののふの 矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋」と詠んだのが起こり。
東海道の草津宿から大津宿を抜けて京都へ向かうのに、
草津の矢橋から大津の石場まで琵琶湖を横断する船のルート
約6kmと短いが、比叡山から吹き下ろす突風で舟が転覆するなど危険なコースを行くよりも、瀬田の唐橋を経由して琵琶湖をぐるっとまわっていく陸路
約12kmと長いけれど、安全なコースを行く方が確実だ、という意味です。
さて写真は、語源となった【草津-大津間】の渡し船の目印とされていた「小舟入の常夜灯」(1808年の建立、高さ8.4m、大津市指定文化財)です。
現在は、湖岸が埋め立てられていることもあって、琵琶湖からは離れた場所(中央四丁目の大津税務署付近)にあります。石面には「京都世話人」38名の名前が刻まれ、京都で伊勢神宮を信仰をするグループがお伊勢参りをする拠点として建立されたのだそうです。
この辺りは湖上交通の拠点として、水茶屋が軒を連ねるなど賑わっていた場所だったそうで、石面には大津の世話人として「船方中、小舟入茶屋中伊勢屋甚兵衛・船屋平八」とも刻まれています。
今は、住宅街の中に埋もれるように建っていますが、周辺だけ突然道幅が広くなっているところなどは、昔の船着場のなごりなのかも?
急がば回れ実証なるか 滋賀県建築士会がイベント
京都新聞 転載
「急がば回れ」の語源となった東海道の草津宿(草津市)-大津宿(大津市)間を、船を使うコースと、徒歩だけのコースに分かれて実際に進み、速さや風景を比較する催しが29日に開かれる。県建築士会のメンバーたちが江戸時代の旅装束姿で同日朝に草津を出発。大津に到着後、報告を兼ねた無料フォーラムを開く。
かつての草津-大津間は、瀬田の唐橋を経由する徒歩コース(約14キロ)より、琵琶湖を帆船で結んだ「矢橋(やばせ)の渡し」を使ったコース(約10キロ)の方が近道。ただ、船は突風に遭って転覆する危険があり、遠回りでも安全な道を歩いた方が結局早く着く-との例えから「急がば回れ」の言葉が広まったとされる。
今回の催しは、「矢橋の帰帆(きはん)」「瀬田の夕照(せきしょう)」など近江八景にも数えられた草津-大津間の景観を見直そうと県建築士会大津、湖南両支部が共催。両支部の若手メンバーや両市職員ら十数人が三度笠(がさ)に地下足袋姿で草津宿本陣を朝8時半に出発。瀬田の唐橋を経由して本来の東海道を歩く班と、「矢橋の渡し」を漁船で再現する班に分かれて比較する。
大津支部青年委員会の久木野利一さん(41)は「今回はエンジン付きの船を使うので、船コースの方が速いはずですが、当日の天候次第では『急がば回れ』の実証になるかも。沿道から声援を頂ければ有り難い」と話す。
また、西武百貨店大津店の道路を挟んで公園あります。石橋港跡です。
本日の訪問ありがとうございす!!