城郭探訪

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水口岡山城跡 史跡の指定へ

2016年11月20日 | 文化財
 

=荒神山神社6件 登録有形文化財へ=

水口岡山城跡


 国の文化審議会が十八日に開催され、「水口岡山城跡」(甲賀市水口町水口字古城)を“史跡”に指定し、「荒神山神社」(彦根市清崎町)六件を“登録有形文化財”に新登録するよう文部科学大臣に答申した。
 水口岡山城跡は、天正十三年(一五八五)頃に豊臣秀吉の命を受けた中村一氏(なかむら・かずうじ)により甲賀の直接支配の拠点、東国への抑えとして築城されたと考えられる。その後、豊臣政権下で奉行を務めた増田長盛(ました・ながもり)、長束正家(なつか・まさいえ)といった政権の重要人物が城主とされるなど、その政治的、軍事的な意味合いは大きい。関ヶ原の戦い後には、正家が西軍に与(くみ)したため、接収され、その後しばらくして廃城となるが、その後も幕府や水口藩により管理され、明治時代以降は公有財産として引き継がれたため、保存状況は極めて良好である。また文献資料には、築城にあたって矢川寺(やがわでら)の堂塔を壊して水口岡山城へ運んでいることや、長束正家が城主となった後に大溝城(おおみぞじょう)の天守を解体して、その部材を利用したことなどが知られているが、発掘調査では矢川寺遺跡出土のものと同笵(どうはん)の軒瓦(のきがわら)、高島市の大溝城跡から運ばれたと考えられる軒瓦が出土したことにより、文献史料の記載が考古学的にも裏付けられた。


荒神山神社本殿

 荒神山神社は、荒神山山頂部一帯を境内とし、山麓の参道入り口に鳥居が建ち、山上に本殿、拝殿、渡殿(わたどの)、神饌所(しんせんしょ)、神楽殿(かぐらでん)などが建ち並んでいる。本殿は、前室付の三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で、柱上(ちゅうじょう)は船肘木(ふなひじき)、妻飾(つまかざり)は豕叉首(いのこさす)組とし、彫刻などの装飾も少なく、復古的な意匠が用いられている。拝殿は、入母屋造(いりもやづくり)の優雅な向拝(こうはい)が特徴で、周囲の建具に蔀戸(しとみど)を用いる点に、本殿同様、復古的な意匠が見られる。渡殿、神饌所は、本殿や拝殿とともに神社の構えを構成する建造物として重要だ。
 これらの建造物六件は、明治時代から昭和初期の滋賀県の近代の神社建築として重要である。

■平成28年11月20日(日) 滋賀報知新聞 第17659号


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