城郭探訪

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大萩城  近江国(愛東)

2016年09月01日 | 山城

大萩城

お城のデータ
所在地:東近江市(旧:愛知郡愛東町)百済寺甲町(大萩茗荷村) map:http://yahoo.jp/qKOkTe
現 状:山林(山頂部)
区 分:山城
築城期:室町期
遺 構:空堀、土塁、虎口
築城者:村山五郎三郎
城 主:村山五郎二郎家政・村山五郎三郎・平山五郎右衛門
標 高:430m  比高差:40m
目標地:萩の宮・T字路
駐車場:萩の宮向かいに空き地か、路上駐車
訪城日:2016.8.31
お城の概要
 旧愛知郡愛東町大萩村は、鈴鹿山脈の山懐に位置している。百済寺は背面を塞ぐように北要害と南要害を結び空堀、土塁、河川で防御ラインを形成していたと思われる。
城址は、東西50m×南北10m程で、標高:430m急峻な比高差40mの山上で、街道の要所を抑える役割を担っていたか?
 

お城の歴史

『佐々木南北諸氏帳』には、「愛知郡 大萩村 住 佐々木隋兵 村山五郎三郎・同 平山右五郎左衛門」と記す。
『淡海国木間攫』には、愛知郡 大萩村 古昔村山五郎二郎家政、平山五郎右衛門等ノ武士居住セシ由、於今屋敷跡在存ス」と記す。
 百済寺の背面を塞ぐように北要害と、北坂本城は南要害を結ぶ。
空堀、土塁、河川で防御ラインを形成していたと思われる。
此処から直登したが!虎口登城口
T字路の永源寺町は10m、左手の山が城址、多賀町方面10m右手が山麓館




山麓館跡







旧大萩集落住宅図
集落内では、金色の仏像が道路沿いに立っている。敷地内にはかつての集落の地図や、大萩についての解説が刻まれた碑などがある

萩の宮と辻仁一氏と居宅跡

此処は旧大萩集落跡地、麓から来れば一番奥まったところに唯一残っている建物、此処は旧愛東村二代目村長の辻仁一氏の生家、隣の土地には氏を讃える碑と胸像が建立され、萩の宮と書かれた小さな神社もある。

旧愛東村大萩は、災害で集団離村したが、辻仁一氏家は一人で離村せず住み続けた。

 現在は大萩茗荷村として存続する。


(略)当時民家三十六開田十五町歩開畑七町歩は天文元年頃より永録元年の間と記録され、古来住民山峽を拓き林業を主に生計をたて安永四年全戸焼失の後も再起して醇風楽土の建設に努めた・・・云々(中略)

昭和四十七年九月十六日山崩れの惨禍に遭遇五十年四月上岸本地先へ集団移住に及んだ うたた感無量茲に碑を建て往時を偲ぶ術とする。





角井峠
愛東町内からは加領(かれ)川を遡り角井(かくい)峠を越えることになる。
 
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査3・5 『日本城郭大系』、遺跡ウォーカー、佐々木南北諸氏帳、淡海国木間攫
   本日の訪問ありがとうございす!! 

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