木祖村 Gリポート

木曽路や木祖村の話題を報告します。木曽川源流の里の議員日記。

10月30日 小木曽地区懇話会

2007年10月30日 | 活動日誌その他
10月30日 18:30~ 小木曽地区で小さな懇話会を行なった。

 木祖村の小木曽地区選出の柳原議員の呼びかけで、同地区選出議員他1名と地元有権者数名が集まり懇話会を行なった。出席者は、小木曽商店街の商店主、元議員、木工製造業、土建業といった様々な立場の方である。

 小木曽地区は木祖村の4つの地区(薮原・小木曽・菅・吉田)の中で人口が多い地域である。江戸時代に薮原宿がおかれた際、宿場を維持するためのいわば台所として小木曽では米を生産していた。薮原地区が商店・職人の街であるのに対し、小木曽は農業・製造業に従事する人が多い。

 今回下水道整備の件で、小木曽の中ほどまで進んだ下水道事業が、ある地区から北部の区間で中断したことについての詳しいいきさつを聞いた。生活基盤の不公平感をつのらせているようだ。このほか、役場内での人事、昨年度の決算についてなど、様々な意見交換ができた。
 役場の広報についてもタイムリーな情報公開を望む声が多い。年4回、要するに決まってから3ヶ月たって知らされても遅すぎる。というのが本音である。
 確かに、定例会の会期に応じて発行される議会報と異なり、木祖村広報は、発行日を年4回と定める必要はない。行政の事業の内容や執行期間単位でその都度発行する方法もあるだろう。決まった時期に決まったページを出すよりも、緊急性や要望に応じて少数ページ単位で出されても良いと思う。現状では、結果として、役場は年に4回しか広報の仕事はしないのかという誤解につながってしまう。
 本来はリアルタイムな情報公開のためにHPというものがあるはずだが・・・

 行政の広報の在り方については、自分の前回の一般質問とも関連する分野なので、お互いに思っていることを素直に話し合う事ができた。

 今後ももっとこのような機会が増やせれば良いと思う。



10月29日 木曽福島-新宿の高速バスで

2007年10月29日 | weblog
10月29日 私用で新宿へ。木曽路と東京を結ぶ高速バスに乗りました。

 午後からの用事だったので、往路は「木曽福島-新宿西口行高速バス」を使いました。薮原発08:01-新宿着11:50の便(片道¥4200)です。
 乗客数は、薮原までに乗車していた客が2名、薮原では私を含めて4名が乗車。合計6人でした。お土産袋を提げ明らかに旅行客と思われるのは3人ほどです。月曜日だったので、出張などにも使う人がいるのではと思っていましたが、かなり空いてるというのが正直な感想です。トイレ付車両ですが、中央道に乗ってからも途中二度ほどトイレ休憩があります。ほとんど爆睡してました。

 高速バス内にあった「らくらくバス旅行木曽路一泊」のチラシ:観光タクシー利用のモデルコース。

・奈良井宿~平沢~薮原お六櫛工房~義仲館~木曽福島
・御岳ロープウェイ~開田高原~福島関所
・定勝寺~寝覚ノ床~赤沢自然休養林~木曽福島
・馬籠宿~妻後宿~阿寺渓谷~木曽福島

 ・・・木祖村の見所の少なさに返す言葉がありません。
 上松まで行かなくとも「水木沢天然林」があります。
 阿寺まで行かなくとも「味噌川ダム」や「トコナメ沢」があります。・・・と言いたい所ですが、観光化されてないマイナースポットにしておきたいという気持ちもあって複雑な心境です。
 他は・・・木祖村で宿泊してもらうとすれば、宿泊施設のホスピタリティーやサービス向上が必要かな? 以前から言われている「木曽にはそばしかない。食い物がまずい」の定説を、木曽和牛やその他の特産品で、ひっくり返して欲しいところです。

 新宿からの復路は、特急あずさを使いました。本当は復路も高速バスを使いたいところですが、新宿17:20発-薮原21:09分では帰り着くのが遅くて不便です。もう少し本数を増やして欲しいところですが・・・。木曽福島の到着時間が12:20と21:30の2回というのは、旅行者にとってみれば実質一日に朝便一本です。ほぼ4時間かかるとはいえ、たぶん午後から出て、宿泊先で夕食がとれる時間帯も欲しいところでは・・・と思います。

 新宿の金券ショップでばら売りされている「あずさ回数券」を購入。私の行き付けだった金券屋は、新宿郵便局の近くと旧称ションベン横丁近くの2軒でしたが、どちらの店も健在でほっとしました。新宿-塩尻・松本間:片道一枚¥4590。ちなみに正規料金で片道だと新宿-塩尻間は¥6510かかります。

 高速バスより1時間以上は確実に早く帰れるため、スーパー特急あずさ27号に乗車しましたが、久々の特急あずさは揺れが酷いように感じます。停車駅が少ないものの、高速バスに比べるとゴー・ストップが多い事、運転速度が一定でない事、レールの傾斜によってローリングを受ける事などが原因でしょうか。新幹線より横揺れが多くて疲れる。ここ数年、自家用車や長距離(高速)バスばかり使っていたためか、あまり快適には思えませんでした。
 その上JRだと塩尻から木曽方面は接続ダイヤが悪い。当然自家用車で迎えに来てもらいました。

 結論:時間に余裕があって、渋滞のない時期なら、やっぱり高速バスがお勧めです。

おんたけ交通 インフォメーション
 http://www.rosenzu.com/ontake/kousoku.html
 

10月27日 いまどきの写真の現像

2007年10月27日 | 活動日誌その他
10月27日 終日、文化財の報告書をまとめる。

 報告書には現状写真を添付することになっている。県はASA400の24枚撮フィルムを支給してくれるのだが、最も手っ取り早い方法として近隣のコンビニで同時プリントに出すと、枚数に関係なく1本680~780円かかる。正直言ってこれが意外と経費を食うのである。ちなみに現像費は自腹。
 最初はニコンやペンタのアナログ光学カメラを使っていたのだが、対象が文化財の建造物や貴重な史料となると撮影時の光量に苦労する。紫外線が各種の保存に良くないことが解っているので、保存はあえて暗い室内という場合も多い。
 その点、デジカメは暗くてもフレキシブルにシャッターを切れる場合が多く総体的に使いやすい。その場で失敗も確認できる。
 
 最近のデジカメプリントは一枚あたり15円。最初から必要なだけ、例えば30枚指定してプリントに出しても450円で済むのに対し、フィルムだと用心のために2カットづつシャッターを切る事うえ、同時プリントを使うと結果的に3倍近い経費を強いられるのである。

 経費対効果を考えると、報告書にはデジタル写真でも充分ではないかと思えるのだが・・・県内で委嘱している文化財保護委員の年齢的な問題もあるのだろうか。

 文化財パトロールでは、概観や野外の撮影はフィルムで室内はデジタルでと使い分けることにしているが、最近はフィルムが余ってしょうがない。古い物を相手にする仕事とはいえ、新しい文明の利器は積極的に使うべきだと思う。






10月26日 文化財(隧道)メモ

2007年10月26日 | 活動日誌その他
 中央線旧鳥居隧道の保存を!
 懲りずにスローガンを掲げてみました。

 個人的に、次に見に行きたい登録有形文化財の候補地です。

【宇津ノ谷隧道】 静岡県
明治37年 / 1904年
煉瓦造 全長203m 1基
静岡県静岡市宇津ノ谷~静岡県志太郡岡部町岡部
静岡市岡部町 登録有形文化財

・木祖村から日帰り可能か。

【長島隧道】【海野隧道】【道瀬隧道】 三重県
三重県北牟婁(きたむろ)郡紀伊長島町他
3基のうち,北から長さ約321mの旧長島隧道,その南に208mの旧海野隧道,308mの旧道瀬隧道と続く。登録有形文化財

・以前行った熊野古道の続きを兼ねて三重~和歌山方面へ。

【旧奥羽本線第1鶴形隧道】 秋田県
秋田県能代市字鳥屋場。煉瓦造、長93m、幅3.8m。
現在「喜久水酒造地下貯蔵研究所」に利用されている。登録有形文化財

・東北帰省の折にでも寄ってみようかと。酒飲みには有名な場所らしいです。
・→木祖村のY酒造さん。こういう活用法はいかがでしょうか。




10月23日 木曽の桟(かけはし)で・・・車突っ込む

2007年10月23日 | 活動日誌その他
 10月23日 文化財パトロールで南木曽に向かう途中、交通事故に遭遇しました。
 場所は【木曽桟跡】(県史跡)

 

 事故の状況はパトカー到着直後のようで、お巡りさんが交通整理を始めたばかりでした。進行方向に一般車が2台、反対車線にトラックが一台停車中です。怪我人はないようです。
 「ああ、また橋の出口でやったな」と思い徐行しつつ見ると、文化財パトロールのチェック項目になっている文化財の標柱が無残にもポッキリ。道路わきにあった石碑はパックリ真っ二つに割れていました。

 右岸道路側から橋を渡って国道19号に合流する地点ですが、国道の急カーブで視界が悪く、かねてより事故多発地帯でした。現在はここを迂回する「桟バイパス」の工事が進行中です。


道路下の石積み部分が史跡【木曽桟跡】

 日本の三大奇橋のひとつに数えられる「木曽の桟」。川を渡る橋ではなく、川岸に設置される桟道(さんどう)を意味します。実際の史跡木曽桟跡は現道路の真下にあり、国道から赤い橋を渡った対岸からしか見る事ができません。道幅が狭く、車を停めるスペースも限られており、史跡を見学するには条件の悪い場所でした。
 桟バイパスが完成すると、この旧国道区間は封鎖されるという話ですが詳しい計画は未定です。封鎖された道路部分をうまく活用できれば修学旅行など観光バスの停車も可能になります。今後、この史跡にどのように見学者を誘致するかが課題となっています。



 

10月22日 文化財パトロール(木曽町)

2007年10月22日 | 活動日誌その他
10月22日 文化財パトロール(木曽町)

 文化財パトロールとは、長野県教育委員会の委嘱で担当区域の国指定・県指定文化財を巡回し、異常・変更等について確認・報告を行ないます。
 この日は、木曽町(旧日義・開田・三岳・福島)を一日かけて回りました。

台地上の畑部分が国指定埋蔵文化財【柳又遺跡】



【お玉の森遺跡】国指定重要文化財
 旧日義村には、お玉の森遺跡があります。19号のコメリ付近から日義小中学校一帯に縄文時代~古墳時代の複合遺跡があったもの。現在でも19号宮ノ越交差点近くの畑からは時折遺物が見つかります。現地には国の重文を示す標柱はありませんが、出土した遺物が日義公民館内に展示されています。
 

 今回、現地の解説板が腐って倒れていました。現在木曽町では、旧町村単位での指定基準にばらつきがあるということで整備の見直しや、文化財の新たな活用方法を模索中です。
 「お玉の森遺跡」からは古墳時代の墨書土器が出土しており、中山道以前の古代木曽路を物語る貴重な遺跡となっています。近年、近世以前の「歴史の道」については、木祖村でも菅古道に興味が集まっているので、郡内全域でも古道についての周知・活用を期待したいところです。


10月20日 第4回留学生歓迎交流会

2007年10月21日 | 木祖村議会と議員
10月20日 17:00~
 第4回留学生招聘歓迎交流会が木祖村村民センターで開催されました。「美しい人信州木曽クラブ」主催、木祖村協賛。


皆で花笠音頭!


 今回集まった外国人の方は、長野県内の国際交流員を中心に集まった人たちで、ほとんどが英語圏の方でした。前回と内容が異なったためか、スタッフや里親さんとの交流がメインとなりました。

 それにしても、日本舞踊を毎回演じてくれる花扇会のオリジナル舞踊にはちょっと驚きました。アリスの「昴」に振り付けしたもので、何でも日本舞踊(というか、和風舞踊?)にできるもんだと。マツケンサンバ顔負けの振付師がおられるのでは?
 同席した副村長も「面白いなあ!こんなの初めて見た~!」と大うけでした。

10月20日 木祖村日進市合同育樹祭

2007年10月20日 | 木祖村議会と議員
10月20日 木祖村日進市合同育樹祭が行なわれました。

 木祖村と愛知県日進市の友好自治体提携15周年を記念する合同育樹祭です。木曽川の水源である味噌川ダムの国有林「平成日進の森林(もり)」で、日進市と木祖村民200人以上が参加して、一緒にヒノキの除伐・枝打ちを行ないました。



 前日までの雨模様は回復して秋晴れとなりましたが、ゆうべは-1℃まで気温が下がったため、式典中は冷たい風にさらされることに。じっとしていると鼻水が垂れてくるほど寒かったです。早く枝打ち作業に移りたい・・・

 

 作業説明の後、ようやく作業エリアへと急斜面を登って行きます。あまり手入れされていない地点では、雑木や絡みつくツタとの格闘になります。林の中に入ると風もなく、ムキになってヒノキの枝をノコギリで落としていると汗ばんでくるほど温かくなってきました。
 うっかりすると転げ落ちるような急斜面での作業で、上部からは「わー!」「キャー!」と中学生達の歓声(喚声?)も聞こえてきます。作業後に降りてきた中学生の手には、雑木との格闘を物語るアケビのお土産がしっかり握られていました。

13:00~ 味噌川ダムの「平成日進の森」とは対岸にあたる「正の沢親水公園」で昼食会。
 昼食会では、「杲流」というお酒が振舞われました。
 この「杲流」は、日進市でとれた米を木曽川源流の水で仕込んだ純米酒(湯川酒造)です。文字も日進市と木祖村の頭文字を組み合わせ、「こうりゅう」=(交流)と読ませたもので、ネーミングも友好提携にぴったり。喉越しの良い爽やかな風味が評判です。
 正沢親水公園では湖面から吹付ける風で汗ばんだ身体が再び冷え込むところでしたが、木祖村のブランド野菜「おんたけ白菜」たっぷりで、お変わり自由のトン汁と、この「杲流」で心も身体も温まる上下交流会となりました。

 
一緒に汗を流し、ノリノリの日進市のみなさん


10月19日 議会報最終校

2007年10月19日 | 木祖村議会と議員
10月19日 議会報委員会 於:議会資料室
 出席:深沢え・星、小林事務局長

 最終校のチェックを行なう。
 前回は1校で数字や文字はあらかた修正し、再校で余白に写真やイラストを入れるという作業だったが、今回はこの最終校でたっぷり赤を入れることになってしまった。印刷屋から見ればイヤなパターンである。

 原因は読み合わせのために集まる機会が少なかったこと。
 今回の議会報は、全体的に写真が少なく、一般質問の紙面が文字でぎっしりの感がある。あと2ページ増やせればなあ・・・というのが本音。実は今回掲載できなかった「まぼろしのページ」があるのだ。この未定稿については、後日回を追うにつれて明らかとなるであろう(←ミステリー調)
 
 九月定例会の議会報は10月25日発行です。
 村民の皆様からの忌憚のないご意見をお待ちします。

10月15日 菅古道(熊沢道)と天然記念物

2007年10月15日 | 活動日誌その他
10月15日 14:00~ 菅古道探索。

 前回の取材で確認し切れなかった石造物を探しに、再び野中沢に入りました。途中の溜池より上手にあるサワラ切り株の「馬頭観音像」までは比較的容易に進めますが、そこから上流部はやぶ漕ぎ状態になっています。ほとんどケモノ道とところどころがイノシシの汢場と化しており、古道といえる雰囲気もなくなっていました。

 仕方がないので途中から作業用林道に上がって進むと、野中沢上流の崩落復旧現場に出てしまった。工事関係者に話を聞くと「この辺にも石碑があったとは聞いているんですが、見ないですねえ」との返事。土砂と一緒に流れてしまったのか???


 そこから下部の沢に下降するには斜面が急すぎました。草が枯れた時期のほうが探しやすいので、風吹峠の入り口だけを確認し、続きは日を改めることにしました。

 ついでに、7月にキハダ植樹を行なった場所へ、苗がついているか確認しに向かうと、そこに黒く動くものが!


クマかと思ったらカモシカでした

 キハダの苗は新芽が出ているものは3割以下。残りのうち3割ほどは何かにかじられた跡がある。周辺を見ると伸びたワラビも上部をかじられています。もしかしてニホンカモシカ(天然記念物)の食害?

 本当にクマが出ると怖いので、この日は早々に退散しました。

10月14日 続・鉄道文化財(祝・鉄道博物館)

2007年10月14日 | 活動日誌その他
10月14日 祝! 鉄道博物館 開館。
 根っからの鉄道ファンではないのですが、チェックすべき博物館が増えてしまいました。

 碓氷峠近代遺産の続きです。

 第三橋梁(めがね橋)から、第5~第1のトンネルを抜け、現在線の分岐まで約2キロ。ここから坂本宿への街道へ分かれる観光客もいますが、旧線路をアスファルトで固めた遊歩道がさらに横川駅まで伸びています。途中には「霧積川橋梁」があり、思わず映画「人間の証明」が頭に浮かびました。
 分岐から1キロ弱で「丸山変電所跡」に着きます。

 
丸山変電所蓄電池室(保存修復前)                同(保存修復後)


 丸山変電所は、共にレンガ造りの建造物で機械室と蓄電池室の2棟になります。
 2棟とも穴だらけだった屋根はきれいに修復されました。蓄電池室は廃墟当時の姿とはちょっと異なり、屋根に6基突き出している煙突状の突起物がなく、煉瓦でふさがれていた窓も、建設当時の姿に復元されていました。まだ内部には交流機等の機械類はなくガランとしています。

 すぐ近くには、古代東山道の「関長原関所跡」があります。しかし、こちらは訪れる観光客の興味を引かないのか、それとも整備活用計画が動いていないのか、木橋とそれらしい標柱があるのみで荒地と化していました。

 確かにここに、唐突に古代関所の史跡が出現しても、訪問者の客層の性格から足が途絶えてしまうのかもしれません。この地域一帯を理解してもらうには、標柱だけでなく何らかの解説や工夫、整備が必要に思えました。
 例えば、トレッキングコースの中ですから、公園的に整備してちょっとした休憩所でもあれば喜ばれる場所でもあります。史跡等の保存・活用と、観光政策とのマッチングについて考えさせられるところです。

 
関長原関所跡                  鉄道文化村内資料館

 なお、これらの重要文化財(めがね橋~第1トンネル、丸山変電所等)の保存修復費用は、1億8千500万円という話です。

 ここから横川駅までは、ずっとアスファルトの軌道跡が続き、1.5キロほどで「鉄道文化村」「アプト式鉄道・トレッキングルート起点」に着きます。横川駅前の国道向かいには「おぎのや釜飯」(レストラン・土産物)が健在です。
 20年ぶりに「横川の釜飯」の味を堪能しました。

 鉄道文化村では様々な保存車両を見学できます。ここでの報告は割愛します。
 松井田町ボランティアスタッフのおじさん、解説ありがとうございました。


10月13日 碓氷峠の鉄道文化財

2007年10月13日 | 活動日誌その他
10月13日 碓氷峠の近代遺産(鉄道文化財)を見てきました。

 
碓氷第3橋梁(めがね橋)                    第6トンネル


 6月定例会の一般質問で、私は旧鳥居トンネルを登録文化財として活用するよう提案しました。中央線旧鳥居トンネルは、村教育委員会からも本年度の長野県の近代遺産調査の対象に申請することになった物件です。
 今回はこれに関連して、実際に鉄道遺産として国の重要文化財に指定された碓氷峠の廃線敷がどうなっているかを確認することにしました。

 碓氷峠の鉄道遺産は、明治26年に開通した横川-軽井沢間のアプト式鉄道です。昭和38年に廃止されましたが、中山道坂本宿、碓氷峠が街道ツアーコースというだけでなく、この廃線とトンネル群は(私の学生時代には)ちょっとした肝試しのスポットであり、マニアックな鉄道ファンの探検ルートでもありました。

 観光的には第3橋梁(めがね橋)が最も知られていますが、1994年に国の重要文化財に指定されたものには、トンネル10箇所、橋梁5箇所、カルバート5箇所、丸山変電所などがあります。

 

 
 現在は、めがね橋上部の第6トンネル前から第1トンネルまでは、枕木も線路も撤去された遊歩道に整備されています。トンネル内部は照明も設置され、一部はきれいにコンクリートで補修されていました。(続く)

 

10月9日~12日 議会報編集

2007年10月12日 | 木祖村議会と議員
議会報編集委員会(於議会資料室)

 今回は、議会報の紙面に表を増やし、一般会計~村税等に関わる数字を見やすくしました。また、各会議報告は出席議員名(報告者)を明記することにしました。一般質問で誰がどのように答弁したかの表記は、次回からになりそうです。
 一歩一歩ずつですが公開するべきことは情報公開してゆく予定です。

 一般質問の原稿が全て出揃い、委員会で編集をしていると、やはり各原稿のボリュームが気になります。私個人は議会報用の原稿を、一人一問あたり、相手の答弁含めて576字以内と、一律制限するのには無理があると感じています。他の市町村での議会報はどうなっているのでしょうか。

 一問と言っても、内容によって答弁のやりとりが複数多岐にわたるものもあれば、単純な質問に単純な答弁で終わってしまうもの。単に批判・追求だけで終わる一般質問もあれば、具体的な提案や政策上の提言を含むものまであり、その内容の密度は様々です。
 議会で何が話し合われたかを、村民に知っていただき、議会がどのような役割を果たしているのか。そして各議員は何を主張したいのか。それを正しく伝えるのが議会報であるならば、最初の原稿の字数制限は少なくし、一方で内容は的確にまとめてもらうようにお願いしたいと思います。
 もちろん長々と原稿を書いたところで、その言わんとするところが単純であれば、バッサリ編集されてしまいますが。
 

 本日、印刷会社宛に16ページ分の原稿と写真をメール添付で入稿。
 
 01表紙
 02九月定例会
 03決算意見書
 04村税表・陳情請願
 05人事表・町村議会報告
 06審議内容
 07-08木曽広域議会報告
 09-16村政を問う(一般質問)
 

10月11日 消えた「議会からのお知らせ」

2007年10月11日 | 木祖村議会と議員
 議会報は議会の広報誌である。

 その議会報の余白に、今回掲載する予定だったページがある。他市町村の議会ホームページや広報誌でも過去に幾度となく掲載された「議員の禁止行為」に関する文章だ。

 きっかけは、村内のある地区での行事で慣例的に議員が寄付を求められ、従来の一部議員がそれに応じていたという事実による。

 最初その話を他の議員から打ち明けられた時、自分は公職選挙法で禁じられている以上、絶対にやらないと明言した。もう一人の新人議員からも、地域の行事の責任者に正式に(昔の議員がやっていた)寄付はしないと申し入れたので、是非議会報にも掲載してくれと言われた。
 議会事務局もこれには賛同し、議会報委員会も掲載する方向で進んでいた。一応、正副議長にも文面を見てもらおうという事になり連絡したところ、議長はすぐさま編集現場にやってきて賛成してくれた。
 ところが翌日、「今回は掲載しないでくれ」と180度態度を変えてしまった。狐につままれた気分である。

 古くからの慣習と法律の間で様々な事情があり、過去の議員に対する批判と受け止められることを避けたのであろうか。できればあまり目立つことはやりたくないという心理が働いたようである。ある議員は「自分達の地区ではそのような事は行なわれていないので、いまさら薮蛇になるようなことをしなくても・・・」との事。

 木祖村に選挙区はないが、現実は地元の区長制度が色濃く、一部の議員は自治会長から選出されてきた経緯がある。地元優先じゃないと地元の代表じゃないという考え方は否定しないが、そのために地縁血縁優先の偏ったやり方になっては村会議員の存在意義はなくなってしまう。村会議員である以上、村全域に視野を広げ何が問題になっているかを考えるべきであろう。
 ある地区からは「議会改革」を叫んで議員になった人もいるだけに、過去の悪しき因習すら改善できないのは大いに遺憾だ。

 こうして今回の「議会からのお知らせ」は、まぼろしのページとなったのである。


10月8日 斑尾高原の再生イベント

2007年10月09日 | 活動日誌その他
10月8日 
「Madarao Forest Trails 50km 斑尾高原トレイルランニングレース2007」
 に参加しました。


 この大会は第一回目ということで、何ヶ月も前から出場を楽しみにしていたものです。もちろん選手としてエントリーしたのは主人で、私はサポーターです。

 トレイルランニングとは森や山など自然道を走るニュー・スポーツです。マラソンのクロスカントリー・レースのようですが、ブナの森の爽やかさやフカフカとした足裏の感触、そして稜線から望む絶景など、タイムを競うだけじゃない別の楽しみ方があるものです。体力的には山歩きよりハードだが、マラソンよりリラックスしかつ自然を堪能できるレースといったところ。客層(選手層)も「ランナーズ」系とも「ヤマケイ」「B-PAL」系と若干異なっており、今後のニュー・スポーツ人口の広がりを予感させるものでした。

 斑尾高原スキー場は2005年に経営破綻し、某ファンドが経営を引き継ぎましたが、コスト削減からスキー大会等のイベント中止を決断。その後イベントは斑尾観光協会が引き継ぐことになりました。各地でスキー場破綻が見られた県内ですが、地元自らが危機感をもってイベントを引き継いだという点で、その動向が注視される地域といえます。

 前夜祭のパーティ会場で様々な関係者の方からお話を伺う事ができました。スキー場を抱える木祖村の地域振興にとっても、非常に参考になる部分がありました。今後もこうした事例を参考に様々な提言に活かして行きたいと思います。