木祖村 Gリポート

木曽路や木祖村の話題を報告します。木曽川源流の里の議員日記。

8月27日 森林・林業・林産業活性化促進議員連盟総会

2007年08月27日 | 活動日誌その他
8月27日 13:00~ 
 森林・林業・林産業活性化促進議員連盟総会および研修会に出席。
 参加議員:武居・柳沢・古畑・中村・深沢え・深沢妙・星(敬称略)

 森林・林業・林産業活性化促進議員連盟・長野県連絡会議とは、その名称のとおり、林業関係の活性化と山村振興に資することを目的とし、それらに関する調査研究・意見具申、活性化促進を行なうものです。総会は南箕輪村民センターホールにて行なわれました。



 研修内容
 1、新たな財源確保について

 長野県林務部により、森林づくりのための新たな財源確保の方策についてのプレゼンが行なわれました。

 長野県内の森林・林業の現状は、木材価格低迷等により林業生産活動が停滞しており、加えて各森林地の過疎化・高齢化による林業従事者の減少などで県内林業は管理放棄が増加、森林機能の低下という事態に陥っています。
 今後は、森林を社会全体の共通財産としてとらえ、山地災害の防止や水源のかん養、地球温暖化防止といった森林のもつ多面的機能を持続的に発揮させながら、健全な姿で次世代へ引き継いで行くために、集中的な間伐事業等を実施する時期に来ています。
 こうした森林づくりのため、新たな財源確保の仕組みとして森林税(仮称)を創設し、県民に協力を広くお願いするものです。
 森林税検討案は以下の内容になっています。

 課税方式:個人県民税及び法人税の均等割超過課税方式
 実施期間:5年間
 税率については懇話会の議論や県民の意見をふまえ今後検討。
 
 上記に伴い本年9月から10月に県民の皆様の意見を聞くとして、地域説明会やシンポジウム等が行なわれることになっています。
 なお、木曽地域では9月18日(火)木曽合同庁舎にて「みんなで支える森林づくり県民集会」が行なわれる予定になっており、県のホームページでも意見収集を行なうとの事でした。
 みんなで支える森林づくり県民集会(日程表)
 意見を寄せる窓口はまだないようですが・・・こちらでも受け付けるか???




 2、現地視察:森林セラピーについて(大芝高原)
 南箕輪村では、平成17年2月に大芝高原「みんなの森」を全国に発信し、観光振興に役立てるために森林セラピーの申請しました。同年9月、林野庁等で構成する森林セラピー実行委員会が全国27箇所のうち10箇所で「心身の癒し効果の生理実験」を行い、18年4月に「信州大芝高原みんなの森」が森林セラピー・ウォーキングロードとして認定されたものです。

 県内各地から参加した議員が6班に別れ、林務部職員の説明を聞きながら、約30分のウォーキングコースを歩きました。
 個人的な感想としては、木祖村のこだまの森や水木沢天然林の方が標高も高く、清涼感と森林の香りに満ちているのですが、大芝高原のコースは斜度も緩く車椅子でも通ることが可能であり、ウッドチップ歩道なので足腰に負担が少なく、誰にでも歩きやすいコースであるといえます。


8月25日 第2回ふるさと案内人養成講座

2007年08月25日 | 活動日誌その他
8月25日 木祖村の「水の始発駅フォーラム・遊牧民プロジェクト」事業での、第2回ふるさと案内人養成講座」が、水木沢ハイキングを兼ねて行なわれました。
 フォーラム事務局および村民約20名が、水木沢天然林「太古の森」からこだまの森までの「里山あるきコース」を踏破しました。


案内人講座参加者

 水木沢天然林は、木曽村内のハイキングコースでも最も登山道が美しく、まさに程よく人の手が入った自然、同時に観光登山客に荒らされてもいない森といえます。個人的には、上松の赤沢自然林よりも自然をのんびり落ち着いて体感できる世界です。

 今回はこの水木沢からこだまの森までをつなぐ里山歩きコースを歩きました。中でも最も興味深かったのは、里山歩きコースのほぼ中央に位置する床並沢(とこなみざわ)です。
 コースから少し外れて、この床並沢を少し遡行すると右手に岩盤壁が現れ、このあたりの渓流は花崗岩帯の総ナメ(滑め)になっています。この緩い総ナメは約200メートルほど続いており、まるで天然のシャワー滑り台のようです。

 

 現在は林道の入り口にゲートがあり、また林道から簡単に降りられる場所が少ないため、あまり人の出入りが少ないのですが、ある程度枝打ちなどの整備をして簡単に入渓できれば、夏は憩いの沢遊びの場所としてうってつけの穴場になりえると思います。

 その後、大笹沢(おおざっさ)~小木曽の丸山観音~こだまの森の白菜畑に出ましたが、途中いくつか旧林鉄跡の石垣などを目にすることができます。西山の白菜畑の一部には、「ここが昔、林鉄の停車場だった」と地元の方からの説明がありましたが、役場の人にもあまり知られていないようでした。
 林鉄だけでなく野中資料館所蔵品など、村内の近代遺産については、役場すら把握していないことが数多くあるのを実感しています。

 コースの途中、立派なマイタケ(ハナビラタケ)を参加者の一人が発見。本当に自然の恵み満載の里山コースです。


人の頭ほどあるハナビラタケ

8月23日 伊那中央病院に行ってみた

2007年08月23日 | 活動日誌その他
8月23日 伊那中央病院に人間ドックに行きました。

 今回人間ドックの検査先を伊那中央病院に選んだのは以下の個人的理由によります。
 1:権兵衛トンネル開通直後に、伊那中央病院まで40分かからないし、木曽病院ほど待たされないという噂を聞いていた事。
 2、以前人間ドックでかかった松本のI病院で、採血検査と胃カメラで非常に苦い思いをしたので、別の病院で検査したかったから。

 伊那中央病院の検査では残念ながら異常が見つかってしまいました。
 医師との問診で木曽病院にカルテがある事を告げると、木曽病院で再度診察を受けるように勧められました。こちらでこのまま診察は受けられないかと聞くと、7月から専従の医者が何人も減ってしまい、夜間の救急医療でさえ応援を頼んでいる状況で、重症患者や地域を優先せざるを得ないとの事でした。
 
 以前、木曽病院から一部の医師が伊那中央病院に移ったという噂を聞いていたので、伊那中央病院でも医師不足になっているという話は大変ショックでした。木曽病院でも医師と看護婦が4~5人足りないという話でしたが、県内全域での医師不足は非常に深刻だと思います。

 なお、個人的な話に戻りますが、人間ドックの結果を3つの病院で実体験した結果から言うと、採血検査と胃カメラに関しては、木曽病院の施療が一番でした。

 木曽病院の医療レベルを確保するのは地域だけでは限界があります。木曽郡議会議長会でも指摘されているように、長野県としても本気で対策に取り組んで欲しいと思います。




8月21日 みねばり育樹の草刈

2007年08月21日 | 活動日誌その他
8月21日 8:30~ コア山村有林に本年植樹したみねばりの草刈作業が行なわれました。 みねばり育成プロジェクトは 「お六櫛の木=みねばり」を次世代に伝えるために始められた事業です。
 参加者はみねばり育成プロジェクト会議のメンバーを中心に、お六櫛保存会、役場職員、森林管理局、。参加議員:武居・田上・深沢え・中村・星(敬称略)

 

 今年の春に植樹した苗ですが、約80%が順調に生育中です。木祖村も今年は30℃以上の猛暑を迎えており、苗の乾燥が心配されましたが、みねばりの苗を一本一本チェックしてみると、植樹した際の主軸の枝は枯れてスッポ抜けてしまっても、脇芽が出ているものがいくつもありました。あらためて「みねばり=峰に張り出す木」の、その生命力の強さに驚かされました。



 数十年後には、地元産の櫛材の森がみごとに復元されているよう心から願っています。





8月18日 第8回 木祖村源流夏祭り

2007年08月21日 | 活動日誌その他
8月18日、16:00~木祖村役場前駐車場で「木曽川源流夏祭り」が行われました。



 木祖中吹奏楽部演奏によるオープニング、愛知県からは日進市市長・一宮市市長が来賓として参加されました。祭りには菅の太鼓や各種村民団体による盆踊りのプログラムのほか、途中木祖村出身者による歌など飛び込みの参加もOKという自由さもあります。

 

 周囲の出店ではトン汁の無料サービスがあり、商工会や木祖村漁協、郵便局などによる出店やゲームなどで日没後もにぎわいました。

 この木祖村源流夏祭りは、村民による村民の祭りという位置づけです。ただ、以前は上下交流の関係で、愛知県からバス数台で観光客が参加したことがあったとの話ですが、今年は村外からの参加もなく少し寂しいとの声が聞かれました。

 実際に薮原祭りほど盛り上がっていないのは否定できません。自立で財政難のあおりで規模が小さくなってゆくのが残念です。
 協働の声の元、村民自身が村全体で本当にどんな祭りをやりたいのか、どういう工夫ができるのか、もう一度真剣に考えてみる時期に来ていると思います。

8月14日~15日 糸鋸おもちゃフェスティバル開催

2007年08月15日 | 活動日誌その他
8月14日 10:00~ 第二回糸鋸おもちゃフェスティバル「糸のこ大作戦!」が開催されました。
 主催:水の始発駅フォーラム
 第一会場:木祖村こだまの森。第二会場:味噌川ダムふれあい館。


糸鋸おもちゃコンテスト:小学生も出品しています


 こだまの森管理棟では、糸鋸おもちゃコンテスト
の作品が展示されました。応募総数は104点。
とても一枚の木から作ったとは思えないユニーク
な作品が多数出品されました。

 このほか木祖村の伝統産業であるお六櫛実演
やお六櫛製作体験(¥1000)も行なわれており
体験者は自分だけのオリジナルの「みねばりお六櫛」にそれぞれの思いを込めて作っていました。

 また、野外イベントステージでは様々な催しが行なわれ、こだまの森にオートキャンプで訪れた観光客で賑わいました。


 
イベントステージ前で水鉄砲ゲーム             木の魚釣り?


 野外のクラフトマーケットで、木祖村のナルカリクラフトでは木のおもちゃ「ナルカリ寿司」が注文でき、わずか30秒で好みの動物や様々な形を切り抜いてくれます。あまりの早業に私もつい注文。400円でうさぎの親子を作ってもらいました。



8月14日 木祖村成人式

2007年08月14日 | 活動日誌その他
8月14日 13:00~ 平成19年度木祖村成人式

 木祖村村民センターで平成19年度木祖村成人式が行なわれました。今年の新成人対象者は52人(男23・女29)です。議員は来賓として出席しました。





 式では、栗屋村長の式辞、武居議会議長、原選挙管理委員長より祝辞が贈られ、新成人代表による新成人宣誓、記念品贈呈が行なわれました。

 新成人による「はたちの主張」では、『木祖村都市化計画』といった夢と希望に満ちたユニークな提案がされる場面も。木祖村の未来を背負う新成人たちに大いに期待したいところです。


 15:00~ 柳沢議員より、吉田地区のある文化財について村民の一部から修復の要望が出ているとの事。現地確認に向かう。中村議員同行。


8月11日 水の始発駅フォーラム 草刈作業

2007年08月12日 | 活動日誌その他
8月11日 15:00~水の始発駅(川の駅)草刈作業

 木祖村が行なっている「水の始発駅フォーラム」の活動で、川の駅~子供専用釣り場近辺の草刈作業が行なわれました。


 


 今年は猛暑のためか雑草が伸びるのが速いようで、2回目の草刈作業になります。
 木祖村産業振興課「水の始発駅フォーラム」の関係者ほか、村民有志の参加者約30名以上が集まって、環境整備に汗を流しました。

 草刈は、副村長や武居議長をはじめ数名は草刈機持参で参加。さらに今回は、味噌川ダム管理所から流木チップを提供いただきましたので、深沢(え)議員や村づくり協議会有志の方々と中心に、それを歩道に敷く作業を行ないました。
 当初鋤簾と箕で流木チップを運んでいたのですが、道具が足りないとわかるや、一部の有志の方がすぐに一輪車を自宅から貸してくださったので、作業を効率よく進めることができました。

 作業中にペットボトル等のゴミも回収しましたが、全体的にゴミは少ないようです。やはりきれいに清掃してあるとゴミの投棄も減るようです。
 
 村内を流れる木曽川は、ヤマメやイワナの魚影も濃い美しい源流です。木祖村の持つ自然や文化などの資源に誇りを持ち、源流の里にふさわしい環境や景観を次世代へ伝えてゆきたいと思います。

8月9日 長崎被爆から60年

2007年08月09日 | 活動日誌その他
8月9日 今日、長崎被爆60年。

 極めて個人的な話ですが、今日、長崎市では原爆投下から60年を迎えました。市内では核兵器廃絶と平和を願う諸行事が終日行われます。





 実家は爆心地から半径4キロ圏内にありました。当日家にいた祖母は爆風と共に家ごと吹き飛ばされ、気がついたら敷地の片隅に、粉々の状態で堆く吹き寄せられていたガラスや漆喰壁の瓦礫の山に仰向けに倒れていたといいます。母は当時雲仙市の小浜に疎開中。投下時の衝撃派が橘湾を越えて校舎を揺らし、驚いて外に飛び出した目の前に、市内から立ち昇るキノコ雲があったそうです。祖父は三菱造船所に勤めていましたが、偶然にも島原に出張中でした。
 祖父は広島と同じ新型爆弾が落ちたと知って急遽帰宅。母も1週間もたたないうちに終戦を迎えて帰宅したので、3人とも被爆者です。

 曽祖父は放射能性白血病で亡くなりました。不幸中の幸いだったのは、祖母は熱線を直接浴びてはおらず、祖父も母も直後に爆心地を通って帰宅しましたが、被爆線量は少なかったようです。
 しかし、放射線の影響は体内に取り込まれた後、どれだけの年月を経て何を引き起こすのか60年たった現在でもまだ十分に解明されていません。祖母は数年たってから様々な症状が出始めたため、当時まだ認定を受けてなかった母に対し、被爆者手帳の申請を急ぐように勧めたという経緯があります。
 ほとんどの市民が発症におびえていた当時の事。母は短大卒業後、自らABCC(「放射線影響研究所(放影研)」の前身:原爆傷害調査委員会)に勤務し、翻訳業務につきました。

 被爆者にとって原爆のむごさは相当深い心の傷となり、それは簡単に言葉で言い尽くすことができないようです。投下直後に爆心地から国道を歩いて来る被爆者の列を目撃していた祖母は、当初は被爆体験を語りたがりませんでした。
 私が中学生だったある日、当時はまだ珍しかったイタリアン・ピザを初めて注文したのですが、それを見た祖母は顔色を変え、「…こんなオトロシカもん、食べきらん」と言い出しました。ピザの表面が、裸で歩いていた被爆者の皮膚を思い出させるというのです。その後「神も仏もないと思った」。そう言って、投下当時の事を話してくれました。

 唯一の被爆国である日本。
 広島や長崎の「核兵器廃絶、戦争のない世界」を求める声は絶やすことなく、若い世代にも受け継がれるべきだと思います。



8月6日 薮原の七夕祭り

2007年08月06日 | 活動日誌その他
8月6日 18:00~薮原七夕祭り。

 各区(5区から10区)ごとに子供神輿が出て、薮原神社
で神様(ご神木)を入れてもらったあと、薮原町内をねり
歩くお祭りです。
 子供たちが「たーかい山から谷底みればー、・・・」
と唄いながら、短冊で飾った竹を持ってお神輿とともに
行列し、最後は役場前の駐車場で提灯行列をしました。
 
 幼児から中学生ぐらいまでが中心になった子供が主役
のお祭りです。昔は駅前まで歩いたと聞いていますが、
最近は子供が減っているために規模が少しずつ小さくな
っているそうです。この七夕祭は神輿に大きな掛け声も
なく、薮原祭りとは対照的な、静かで風流な祭りに思えました。

 木祖村は冬が厳しいためでしょうか、竹が生えないといいます。実際に村内で竹林(クマササ以外)を見たことがありません。七夕祭をやるのは薮原だけのようです。
 どこから竹(笹)を調達してくるのかが以前から謎でしたが、聞くのを忘れてしまいました。


8月4日 境峠の縁結び神社

2007年08月04日 | 活動日誌その他
8月4日 縁結び神社祭礼。14:00~

 木祖村の境峠、白樺平別荘地に「縁結び神社」があります。今日はその祭礼に参加しました。参列者:栗屋村長・武居議長・役場関係者・小木曽連合自治会他、松本市議(奈川選出)・奈川観光協会関係者、中部森林管理局、白樺平別荘地住民等30名余。



出雲大社の宮司さんによる祝詞。


【縁結神社】 祭神:大国主命
 縁結神社は分水嶺境峠の麓、鍋割坂に出雲大社の分祠として祭られたもので、もともとは境峠にあった山ノ神との説もあります。昭和34年木祖村白樺平別荘地の開発に伴い、現在の場所に遷座されました。
 古くから参拝祈念すれば憶う人と縁が結ばれるという伝承があり、その霊験はあらたかで、今もひそかに参詣者が絶えません。
 昨年、長年の風雪の傷みから本社が修復され、銅版葺の新たな装いになりました。今回の祭礼はそのお披露目式ともいえます。

 
 祭礼後の直会(なおらい)では白樺平別荘地の方とお話しする機会を得ました。中には、県外・海外出身の方もおられ、色々と話をしているうちに、やはり共通の話題となるのは「木祖村の自然の美しさ」。都会からの居住者は、いかに自分達が多くのものを無くしてきたか。この地に来るとそれを実感すると言います。
 そのほか、今後どのようにしてこの神社を後世に伝えてゆくか等。夏季には別荘地の住人が80人ほどまでに増えるとの話ですが、なかなかお互いの面識をもつ機会が少ないそうです。せっかく縁結神社があるのだから、何か気軽に集まれるきっかけが欲しいとの事でした。

 境峠は太平洋と日本海を結ぶ分水嶺。飛騨街道境峠は古くから旅人の行き交う場所です。今日も縁結神社が様々な土地から来た人々の縁を結んでくれました。


8月1日 ふるさと講話2・昭和大不況下の村おこし

2007年08月02日 | 活動日誌その他
 8月1日 19:00~第2回ふるさと講話(村民センター)
 テーマ「昭和の大不況克服の村おこし」 講師:奥原修 村民13名

 文化公園からの帰りが遅くなったので19:20頃からの出席になりました。
 今回はかつての木祖村で昭和の大恐慌下にどのような村おこしが行なわれてきたのかを学びます。

 第一次世界大戦後の世界恐慌は、日本での米国向け生糸の輸出低下として波及しました。木祖村でも古くからの因習的経営を行なっていた養蚕・稲作・畑作のどれもが打撃を受け、特に職人の町であった薮原ではお六櫛不況により失業者が続出しました。
 当時の木祖村では十区の嘆願書から始まり、不況対策区民大会の開催、経済改善委員会の組織化など村を挙げての取り組みが展開されています。昭和8年には木祖村経済厚生計画書による取り組みが始まり、昭和11年にはその具体化が示されましたが、翌年の日中戦争勃発により戦時下統制の組織に変わっていってしまいました。

 一方で同じ頃、木祖村郷土会が発足。大正15年に発足した「菅自動車商会」を母体として薮原スキー場開設構想が浮上します。昭和6年には木祖小学校を会場として設立総会を開き、スキー倶楽部発足、薮原スキー場の開発が行なわれました。

 現代に当てはめるならば、まさに平成の大合併による地方財源の減少、木祖村自立計画と「奥木曽グリーンリゾート」の状況に似ています。
 昔のの薮原スキー場開発ではパンフレット及びポスターの配布、村長自らのスキー場小唄作詞作曲など、徹底した宣伝やユニークなPR活動が行なわれていたようですが・・・

 温故知新。先人に学ぶべきものは多いと思います。


8月1日 C.W.ニコル「森から未来を見る」

2007年08月01日 | 活動日誌その他




 8月1日 15:30~環境特別講演 C.W.ニコル「森から未来を見る」。
 この講演は木曽郡町村議会議長会主催の議員研修会でしたが、一般公開・入場無料のため、文化公園ホールは平日にも関わらずほぼ満席になりました。
 郡内の9割が国有林という木曽郡地域。森林保全についての意識の高さを伺わせます。

 すでにご存知の方も多いと思いますが、ニコル氏は黒姫在住。自ら荒れた森林を購入し(アファンの森)、20年かけて動物が棲める豊かな森の再生を行なっています。ニコル氏の実体験に基づく熱い語りかけは、まさに国有林を目の前に生活している私達に様々な未来をイメージさせてくれるものであり、そこには森の未来だけでなく、人間の未来があるということを実感させてくれました。
 アファンの森での子ども達の心のケアの実例など、いわゆる森林セラピーともいえる事例は、調和のとれた森林が持つ様々な可能性を示しています。

 ニコル氏の「森がなくなると、文化がなくなる」という言葉が印象的でした。

 ニコル氏の活動: (財)C.W.ニコル・アファンの森財団公式サイト
 

8月1日 木曽郡町村議会議員総会

2007年08月01日 | 木祖村議会と議員
8月1日 13:00~木曽郡町村議会議員総会に出席。

 提出された議案
1:木曽川水系の河川管理とダム及び河床整備の促進について(木曽町議会)
2:松枯れ北上防止対策の推進について(南木曽町議会)
3:信州まつもと空港の活性化を求めることについて(木曽郡町村議会議長会)
4:県立木曽病院の医師等医療技術者の確保について(木曽郡町村議会議長会)
5:鳥獣による被害対策の推進について(木曽郡町村議会議長会)
6:木曽地区主要幹線道路の整備促進について(木曽郡町村議会議長会)
 が討論されました。

 1に関しては、取水用ダムの堆砂堆積対策や河床整備に関しては、その原因である土砂流出対策すなわち砂防整備も念頭に置き、相乗的な対策が必要かと思われます。

 4について。県立木曽病院は地域内唯一の病院であり、救急に関しては全診療科が365日・24Hで対応、医師のみならず検査員やスタッフも15分以内に駆けつける体制を維持しています。しかし現在では医師定数26に対し5名が欠員となっており、非常勤での対応も限界に近づいているといえます。国では「医師確保法」の制定を含めた対応を検討中ですが、財源不足や過疎地を理由に地方医療の切捨てがあってはなりません。是非とも早急な対応を望みます。

 6について。広域観光ルートに関する要望として、県道奈川木祖線の整備促進が含まれていました。このルートは飛騨高山上高地方面と木曽地域:御嶽山・木曽福島・奈良井等の観光アクセスルートであり、木祖村はまさにその分岐にあたります。木曽の自然や歴史的資源を活用した観光産業は、地域振興の大きな柱であり、同時にこれらの道路網は各種の産業活動や住民の日常を支える生活道路でもあることから、里山景観保護を意識しつつ、さらなる整備促進を期待したいところです。