曇天の中に、哀れみ程度の青空見える土曜日。
最初の会社で出会い、その後も故意にしていただいている
方と映画を見てまいりました。お会いする事自体も久しぶり
でしたので、積もる話を突き崩すのも、また楽しみです。
目的の映画はハリウッド超大作でもなく、ガーリーな
単館上映ものでもなく、社会派ドキュメンタリーです。
「BOY I AM」という、トランスジェンダー(FTM)の方に
焦点をあわせたドキュメンタリーです。
トランスジェンダーを行うにあたり、その方法は様々です。
映画で仕入れた付け焼刃の知識ですが、男性的な服装を身に
纏ったり、男性ホルモンを摂取したり、乳房を切除したり、
エニシング。今回の作品は乳房の切除を行うにあたり、本人の
心境や周りの変化、切除自体に絡む問題を扱っています。
正直、下調べもせずに見に行ったおろかな私には難解でした。
次々と出る専門用語(ブッチ?フェム?)と立場(アメリカの
ドキュメンタリーなので人種、階級、宗教などが絡む)の違う
3人の異なるトランスジェンダー感を理解しつつ、字幕を追う・・・
なかなか深淵を知るのは困難でした。
ただ、乳房を除去したことにより、結果的に「彼ら」が幸せ
そうに感じていたのは理解できました(この映画は、乳房の
切除を積極的に薦めている訳ではありません。単に、私自身が
感じたことです。誤解のないように)。そして、単純に
男性化する事が彼らの望みではなく、男性化にも段階があり、
許容がある事を知りました。
そりゃそうです。ステレオタイプで解決するなら、社会は悩み、
衝突する事はありません。紋きりで処理すればいいのですから、
この現象にかかわらず何でも。何事も多種多様であり、それに
対する理解を得る糸口がなければ、動機すら生まれないのですから。
動機があるから希望が生まれ、希望があるから変化があり、
衝突があるのです。結果、本当に望むべきを手に入れる可能性が
生まれるのです。
とはいえ、妹がトランスを希望したら・・・兄として、私は否定的な
行動に出るかもしれません。他人には許容できることであっても。
最初の会社で出会い、その後も故意にしていただいている
方と映画を見てまいりました。お会いする事自体も久しぶり
でしたので、積もる話を突き崩すのも、また楽しみです。
目的の映画はハリウッド超大作でもなく、ガーリーな
単館上映ものでもなく、社会派ドキュメンタリーです。
「BOY I AM」という、トランスジェンダー(FTM)の方に
焦点をあわせたドキュメンタリーです。
トランスジェンダーを行うにあたり、その方法は様々です。
映画で仕入れた付け焼刃の知識ですが、男性的な服装を身に
纏ったり、男性ホルモンを摂取したり、乳房を切除したり、
エニシング。今回の作品は乳房の切除を行うにあたり、本人の
心境や周りの変化、切除自体に絡む問題を扱っています。
正直、下調べもせずに見に行ったおろかな私には難解でした。
次々と出る専門用語(ブッチ?フェム?)と立場(アメリカの
ドキュメンタリーなので人種、階級、宗教などが絡む)の違う
3人の異なるトランスジェンダー感を理解しつつ、字幕を追う・・・
なかなか深淵を知るのは困難でした。
ただ、乳房を除去したことにより、結果的に「彼ら」が幸せ
そうに感じていたのは理解できました(この映画は、乳房の
切除を積極的に薦めている訳ではありません。単に、私自身が
感じたことです。誤解のないように)。そして、単純に
男性化する事が彼らの望みではなく、男性化にも段階があり、
許容がある事を知りました。
そりゃそうです。ステレオタイプで解決するなら、社会は悩み、
衝突する事はありません。紋きりで処理すればいいのですから、
この現象にかかわらず何でも。何事も多種多様であり、それに
対する理解を得る糸口がなければ、動機すら生まれないのですから。
動機があるから希望が生まれ、希望があるから変化があり、
衝突があるのです。結果、本当に望むべきを手に入れる可能性が
生まれるのです。
とはいえ、妹がトランスを希望したら・・・兄として、私は否定的な
行動に出るかもしれません。他人には許容できることであっても。