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「雨族」 断片30-風のなかで眠る女:「2章・パリのまねき猫」~4.雨族の謎:kipple

2010-01-01 00:28:00 | 雨族(不連続kipple小説)

ようこそRAIN PEOPLES!超バラバラ妄想小説『雨族』の世界へ! since1970年代


               「雨族」
     断片30-風のなかで眠る女
           「2章・パリのまねき猫」~4.雨族の謎


 有史以来、遙かな時の裏側を、ある種の人々の間で、延々と受け継がれてきた伝承がある。

 ある種の人々とは、たとえどんなに恵まれた条件のもとで生まれようが、たとえどんなに幸福そうに見えようが、あらかじめ悲しみの雨にズッポリと湿らされているので人生に愛も楽しみも感じることの出来ない連中の事だ。

 僕は知っている。僕の身体には雨族の烙印がナスカの地上絵のようにしっかりと刻まれているんだ。少し離れて見ると分かるようにね。十メートルくらい離れて見ると僕の身体は輪郭を風景に滲ませている。

 僕が雨族なんだ、そうか彼女たちはこの事を言っていたのか、と気づいたのは二十五才を過ぎてからだ。はっきりと「雨族」と言われたのは例の二人の女の子たちからだったが、その時はそれが何の事なのか、さっぱり分からなかった。

 その後、社会をリタイアしようと決意して家に籠もってビデオで、「雨の中の女」という映画を見た。そして雨族の実在を確信した。その映画は、ごく雨族の片鱗を伝えたものだったが、はっきりと「雨族」(RAIN PEOPLE)という言葉が使われていた。

 あの時、二十五才の時、僕の全ては終ろうとしていたのではなく、始まろうとしていたのだ。二十五才の僕にとって夢に変わって現実の勝負が開始されようとしていたのだ。楽しい楽しい現実の人生がだ。放棄すべきじゃなかった。社会に参加していれば、たぶん、いい事もあった。でも待てよ。僕は結局雨族なのだ。もう、過ぎた事は、しょうがないのだ。

 雨族の人生の第一認識は「悲劇的」であり、第二認識は「過去は過去で取り消せない」であり、第三認識は「自分が何とか今後も生きていくためには絶望と開き直り以外に無い」であり、僕はこれら全てを深く深く受け入れている。

 三十三才の僕には開き直り以外に進める道がない。もし、少しでも自分の幸福を望むのならば。もう何だかんだ言っていられない。それどころじゃないのだ。世の中の汚さに反抗したり、自分の虚弱さに悩んだり、救いを期待したり、そんな事をしている場合じゃないんだ。

 僕はもう、ほんのちっぽけな幸福さえ摑めないかもしれないんだぜ。もう過ぎちゃったんだぜ。若き反抗と夢幻の時代は。自分の人生で、ほんのちっぽけなゴミみたいな幸福さえ摑める機会はもう残り少ないんだ。

 だから僕は雨族をリタイアする事に決めたんだ。しかし、そんなに簡単にリタイア出来ないのが、雨族なのだ。雨族は雨族を呼ぶ。三十才を過ぎると、もう、すぐに分かる。こいつは雨族だ、こいつもだ、ってね。

 でも、それがどうした。問題は自分が雨族であるという、震撼すべきこの事実なのだ。実に震撼すべき事なのだ。伝承が語っているのだ。「雨族はけっして幸福をつかめない」と。

 雨族が、その伝承に触れるのは簡単だ。しかし雨族以外の人々は決して触れる事ができない。遺伝子のなかに、すでに組み込まれているからだ。雨族は遺伝する。感染もする。

 感染して真の雨族になるものもいる。雨族と自分を認識した時に、その伝承は遺伝子の太古の記憶沃野の彼方から、やってくる。つまり、何となく分かるのだ。

 「雨族は人を愛せない」「雨族は精神にも肉体にも欠陥を備えている」「雨族は悲しみのまま人生を終える」、、、こういう文章が次々と頭の中をよぎるようになる。これが雨族の伝承だ。

 その伝承がやって来るときは、すぐに分かる。来るぞ来るぞ来るぞ、という気がするのだ。何だか脳味噌が三十八分の一くらいに、米粒ほどに縮み込んだような気がする。

 そして独特な匂いがやってくる。きな臭い匂いだ。気が少し遠くなり、意識が薄れる。すると、しばらくして伝承がやってくる。すべてを納得させる重量感を伴なって伝承は、そろそろと僕の脳裏を通り過ぎていく。

 それは「君は雨族だ」で始まり、「1992年七月二十八日、真に偉大な雨族が現われ世界を雨族のものとするだろう」で終わっている。

 謎である。真に偉大な雨族とは何の事だろうか?僕は雨族であるが故に三十三歳を過ぎてから、物事をあまり深く考えないように、あえてしている。1992年七月二十八日に何が起ろうと、しったこっちゃぁ、ない。

 今、問題なのは雨族の世界制覇ではなくて、僕がいかにして雨族を脱することが出来るかという事なのだ。僕は遅くなってしまった幸福への希望を希望だけで終わらせたくない。

 僕は、これからでも、ちゃんと人を好きになり、恋をして結婚をして、仲良く何かを築きあげて行きたい。生きてきた意味を確かめて死んで行きたい。駄目でしょうか?もう遅いんでしょうか?

 ・・・と、そんな事をグルグルと考えているうちにこの物語は始まった。


 僕が三十三歳と九ヶ月になった初夏に幕を開ける。






断片30     終


This novel was written by kipple
(これは小説なり。フィクションなり。妄想なり。)