みなさん おはようございます。
台風が駆け足ですぎていきました。ご無事でしょうか?
堀田が、感じた宮古島での体験をシェアしたいと思います。お付き合い下さいね。
「宮島旅日記2日目」
宮古島の朝は、ホテルの目の前にある海岸の散歩ではじまります。
白い砂浜とエメラルドグリーンの海!
時間は6:30だというのにすでに泳いでいる人がいる!!(゜〇゜;)
澄んいる海は、驚く透明度です。
そして、二日目朝はヤコブ教会での「柔軟体操革命セミナー」&「合気道交流会」」でした。
保育園は、モンテッソーリ 教育を実施しているので実際に見学させてもらいました。非常に興味深い内容です。
子どもの自主性や興味ある対象を「強制」をなくし、それぞれの理解度に応じて、ステップアップしていく学習道具が沢山あります。
観念ではなく実際に質量や形があるもので、体験することを通じて、
ものの形・長さ・数・立体などを、一つ一つ認識していくトレーニングでした。
僕も実際やってみましたが、大人の認識を修正するにも役立つと考えます。
柔軟革命を、職員16名を対象に行いました。
子供を抱っこしたりするので、肩こりや腰痛で悩んでいる方が、半数いらっしゃいました。
お仕事中の時間をいただいたので、8名づつ25分という変則的なレクチャーになりました。
それでも、全員が運動効果を得ることが出来ました。
職員の方々の素直な心と熱意の結果だと感じます。 感謝です。
戸塚司祭と一緒に合気道の稽古場に移動しました。
全員で6名の教室は、活気があるものの挨拶してから、セミナーをする段取りを組んでいたのですが、やはりどこのウマの骨か分からない者のいうことは聴けないという反発を感じたので、セミナーの前に、技で実力を証明するしかない。という結論になり、用意した原稿は無駄になりました。苦笑
すぐ、組んで「捌き」「転換」を実際に僕にかけてもらいました。結果、男子で一番小さい堀田を誰も投げることが出来ませんでした。
理由は、腕の力に頼った技になっていて、基本である捌きの身法の理解や身体の移動に伴う質量と重心の移動という大切な部分が、不十分でした。
この技術を得ると腕の力に頼らずに身法から大きな力を得ることが出来ます。
これで現在、不足している技術の確認することで、武術体操に移るきっかけを得ました。
体操時でも「軽い反発」をいただきました。ありがとうございます。
まだまだ説明が足りないようです。
実際、ありえないことを目の前で体感してもらっているわけですから、
事実を、受けいれなれない。結果としてやらせのように感じる人もいるのは間違いないです。
立ったときの状態を、横から押してもらう確認があるのですが、これを勝負論で行うと確認ではなく勝ち負けの「ゲーム」になってしまう。
大切なことは、自己評価による体の感覚の変化を感じること。
そのことが2名は、納得できないようでした。
整ったバランスを得て、捌きの基本をきっちり教えると先ほど誰も出来なかった「捌き」「転換」が、できるようになり人が面白いように飛んでいくようになりました。
「力に頼らずに得る身法の力」
心と体ともに相手とも自分ともぶつからずに運動を行う。
これが柔術と言われるゆえんです。
敵を受け入れて、敵のもつ敵意で自滅していただく。
キリスト教の「愛」に近い感覚なのです。
筋力を増したり技技の手順を、覚えれば出来る。
そのレベルの理解では、突破することのできないレベルがあります。
若さとともになくなる強さに執着していては、まず術理と向き合うことが出来ない。そして、頑張れば頑張るほど自分の身体を壊すリスクを自分自身で高めている。ということをお伝えしました。
そのためには変えなければならないのは、自分の思考と行為である。相手ではないのです。
・何のために合気道をするのか?
・どのレベルの合気道を習得したいのか?
・そのためのモデルは誰なのか?
日々、自分と対話して、願っていることと行っていることがかみ合うように、思考し、行為の成果を実証し、研鑽を続けていくこと。
これが武術が、「修行」といわれる理由であるが、成功しよう、上達しようと真に願うならば、目を背けてはならないとおもいませんか?
真摯さで粛々と稽古するのみである。 他の技術や芸能も同じだと考えます。
心と身体を、練っていくことで入ることの出来る領域があります。
相手を害する意図を持たなくても、敵意をなくすことができる。
【合気道の「合う」は相手とひとつになること。】
僕の師爺である映画俳優であり武術家「スティーブン・セガール」の言葉です。
つづく
告知です!
「女子力UP!ココロのストレッチとくびれ骨盤改善セミナー」
http://kokucheese.com/event/index/41196/