第一のハードルは、空知太神社を宗教施設と認定してよいのか?
という点である。
私は、札幌に戻ると、札幌高等裁判所を目指した。
そして、訴訟資料を閲覧する。
そこで、興味を引いたのは、
空知太神社の管理を担当している代表の方が
「私は、仏教徒なのです」
「神社の管理をする者が、仏教徒でよいのか
ということまで、深く考えていなかったのです」
という趣旨の発言をしている点である。
最高裁の個別意見でも、この点をとりあげ、
本件施設の慣習性を強調し、宗教性を否定する見解があった。
代表の方の証言を見るに、
空知太神社をつかった町内会の実践は、
その地域に古くからあるものであり、
町内の人々は、自然に親しむものであったのだろう。
・・・。
とはいえ、
この昔から続いていて、
自然にやっているのであって
あえてそれをやっているという意識もない、
という「慣習性」と呼ばれる要素を理由に、
宗教性を否定するのは、妥当ではなかろう。
林知更先生の論文「政教分離原則の構造」高見他編『日本国憲法解釈の再検討』には、
この点についての、鋭利かつ端的な指摘がある。
「宗教的慣習というものもある」
この()書に記された指摘以降、
慣習であるというだけで、宗教性を否定する理論は立てにくくなっている。
・・・。
さて、ここから先は、私の個人的な認定であるが、
今見た代表の方の発言などからも分かるように、
おそらく町内会の人々は、
「空知太神社に、天照大神が鎮座している」という認識は持っていない。
しかし、
「空知太神社には、祖先の思いが宿っている」と言う認識を持っている。
(だからこそ、神社での儀式に、何らかの聖性を感じるし、
祠や鳥居を撤去し廃棄することには、強い心理的抵抗が伴う)
これは、<天照大神>が<祖先>にかわってはいるものの、
おそらく<祖先>を中心とする(仏教などと矛盾しない)信仰体系なのだろう。
というわけで、やはり、この空知太神社を宗教施設でないと認定するのは
困難なのではないか、と思われる。
という点である。
私は、札幌に戻ると、札幌高等裁判所を目指した。
そして、訴訟資料を閲覧する。
そこで、興味を引いたのは、
空知太神社の管理を担当している代表の方が
「私は、仏教徒なのです」
「神社の管理をする者が、仏教徒でよいのか
ということまで、深く考えていなかったのです」
という趣旨の発言をしている点である。
最高裁の個別意見でも、この点をとりあげ、
本件施設の慣習性を強調し、宗教性を否定する見解があった。
代表の方の証言を見るに、
空知太神社をつかった町内会の実践は、
その地域に古くからあるものであり、
町内の人々は、自然に親しむものであったのだろう。
・・・。
とはいえ、
この昔から続いていて、
自然にやっているのであって
あえてそれをやっているという意識もない、
という「慣習性」と呼ばれる要素を理由に、
宗教性を否定するのは、妥当ではなかろう。
林知更先生の論文「政教分離原則の構造」高見他編『日本国憲法解釈の再検討』には、
この点についての、鋭利かつ端的な指摘がある。
「宗教的慣習というものもある」
この()書に記された指摘以降、
慣習であるというだけで、宗教性を否定する理論は立てにくくなっている。
・・・。
さて、ここから先は、私の個人的な認定であるが、
今見た代表の方の発言などからも分かるように、
おそらく町内会の人々は、
「空知太神社に、天照大神が鎮座している」という認識は持っていない。
しかし、
「空知太神社には、祖先の思いが宿っている」と言う認識を持っている。
(だからこそ、神社での儀式に、何らかの聖性を感じるし、
祠や鳥居を撤去し廃棄することには、強い心理的抵抗が伴う)
これは、<天照大神>が<祖先>にかわってはいるものの、
おそらく<祖先>を中心とする(仏教などと矛盾しない)信仰体系なのだろう。
というわけで、やはり、この空知太神社を宗教施設でないと認定するのは
困難なのではないか、と思われる。
ぜひみなさんもお試しください。
続きに期待(^〇^)
林先生の論文もよく引用されてるので、読んでみます。
周囲の方にも勧めて頂けると嬉しいです。
林先生の論文はいつも充実した内容で、どれもお勧めですが、
政教分離に関する最新の研究として、ぜひ読んでほしい論文の一つです。
木村先生の判例評釈との対比で気になる点があったので質問させてください。
* できればクラシックについて語りたいのですが、「のだめカンタービレ」をみてちょっとハマった程度の「にわか」なので、やめておきます(^^;
質問は、「目的効果基準の位置付け」についてです。
木村先生は、目的効果基準を、「公共目的宗教行為を許容する基準」と位置付けた上で、
津地鎮祭、愛媛玉ぐし(ただし許容せず)もここに含めておられるように思います。
他方、林先生の論文128頁による判例理論の整理によれば、目的効果基準は、
・社会的儀礼を目的とした行為
ex 津地鎮祭、愛媛玉ぐし(許容せず)
・国家の世俗的・公共的な任務の遂行を目的とした行為
ex 大阪地蔵、箕面忠魂碑
を許容する基準と位置付けられています。
木村先生の「公共目的宗教行為」は、林論文の「国家の世俗的・公共的な任務の遂行を目的とした行為」に相当するように思われます。
では、林論文の「社会的儀礼を目的とした行為」はどこにいってしまったのか。
木村先生は「公共目的宗教行為」の枠に津地鎮祭や愛媛玉ぐしを含めておられるので、「社会的儀礼を目的とした行為」に位置づけられる類型も、「公共目的宗教行為」として説明できる、とお考えなのでしょうか。
そうだとすると、それは判例の理解によるものなのか、それとも、判例の社会的儀礼論に問題があるとお考えになり、別の視点から議論を展開されたものなのか、気になっております。
「砂川政教分離訴訟」の続きのどこかで、でも全然かまいませんので、よろしくお願いいたします。
社会的儀礼を尽くすこと、も
当然、公共目的の一種です^-^>
公共目的宗教行為の視点はわかりやすくて感動しました。
この視点でいくつか判例を読んでみます。
法令の審査方法や君が代関連の記事も楽しみですが、
「砂川政教分離訴訟」の続きも楽しみにしておりますm(__)m
平成22.1.20空知太神社の最高裁判決の後に、この課題にぶつかって、先生と同様な見方を判例等を調べて、自分の国立信大学神社違憲判決と、その違憲事実に基づく神社の収去とした時にも、同様な訴訟法上の措置を国有財産に固定資産税賦課と減免となって、この住民訴訟の結果、右の神社を撤去した経緯から、そのような考え方を以って、処理をしてきました。
この行政財産の行政処分は、日本で唯一の政教分離違憲判断となって、有斐閣「判例六法」憲法第89条の6項に、平成19年版以来の掲載です。判例タイムズにも、その平成16年7月14日東京高裁判決の政教分離違憲判断が、本件事実証明書の信大公文書を事実認定して、宮沢俊義元東京大学教授著、「憲法II」353頁(初版本、法律学全書)に述べられた、国有地の神社を政教分離意違憲とする法理に基づく、判決であった旨、解釈が掲載されています。
国家賠償法訴訟の違憲判決と、その後の住民訴訟、財務省と文部科学の命令による大学の神社撤去でした。
さて、私は、その後に、この空知太神社の砂川政教分訴訟について、差し戻し札幌控訴審の新しい判決基づく、最高裁上告審を係争の上告理由書、上告受理申立書などを、目下、読んでいるところです。
この内容と訴訟手続について、先生のご意見をお聞き致したいと存じます
なお、松本市内の一級河川河川敷地国有財産上に、都市公園があって、その中に神社があり、また公職選挙法の候補者ポスター掲示場を設置して、この国有財産不動産占用無許可を、違法のために有料の占用料が、県歳入となった問題で、この先生が掲載された自治研究の論証を適用可能か、目下、調べています。
この国家賠償法訴訟は、既に確定して第一号法定受託事務の国有地上、神社認定になり、権限の長野県管理百パーセント以上を、判断確定しました。これは、新判例ケースでした。
2011.9.19
藤原英夫 拝
そうですねぇ、上告理由などについては、
再上告審判決がでたところで、分析させて頂こうと思っております。
というわけで、再上告審判決について
何か書きましたらブログで、ご報告いたします。
ではでは。