木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

砂川政教分離訴訟(6)

2011-07-21 13:18:32 | 憲法学 砂川政教分離訴訟調査
10月の北海道はさわやかである。

砂川市に入り、はや1時間50分。

ようやく空知太神社に到着した。

空知太神社の敷地に行くとまず、目に付くのは

敷地内にある巨大な石碑である。



高くそびえたっている。

なにか、私に強く伝えたいことがありそうだ。

そこで、私は、神社の分析に入る前に、

その石碑を見ることにした。

石碑の表には

「上川道路開鑿記念碑 
      北海道知事 町村金五書 」

 とある。

どうやら、知事自らお書きになったようだ。

私の勤め先の大学にも、当時の東京都知事の書からなる石碑があり、
私がよく通っていた横浜市立中央図書館にも横浜市長の書からなる石碑がある。

私は、字が汚いので、知事や市長には向かないだろう。

 (ちなみに、私の通っていた高校の生徒会室の看板は、私が書いた。

  当時の生徒会では、生徒会の権威を強調するため、新しい看板を・・・。

  この話は長くなるので、やめておこう。)


この石碑は、どうも道路が開通した時の記念らしい。

なるほど、では、これは、どのような道路なのであろうか。

裏に回ると次のように書いてある。

「 国道十二号線は明治十九年に樺戸及び空知集
  治監の囚人を使役して空知太に集治監出張所
  を設置南北二工区に分けて悪条件の下に工事
  を進め九十粁の上川仮道路を完成したのがこ
  の始まりであるこの難工事に苦役された幾多
  の無名の犠牲者の霊を慰め輝く未来建設の為
  に開道百年を記念してこの碑を建立する
   昭和四十四年九月
        砂川市長 山口正直     」


囚人を使役・・・。悪条件の下の過酷な工事・・・。

とにかく大変な工事だったようだ。

私が訪れたのは10月でさわやかもいいところだったが、
確かに厳冬の北海道での道路工事は非常に困難だっただろう。


さて、この石碑を見て、私の中に二つの疑問がわいた。

表書きに北海道知事、裏書に砂川市長。
そうした石碑と同じ敷地に、神社の鳥居がある。



これは、政教分離の観点から見たとき、確実に好ましいものではない。


それと、石碑の「霊を慰め」の文言。

いいのか、これ。







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