春夏秋冬

日々流されないために。

木曽へバス旅行

2005年08月04日 19時17分35秒 | 旅行
8月3日(水)、日帰りバス旅行で、木曽宿場町の馬籠と妻籠へ行ってきた。
 
東武鉄道野田線・江戸川台駅前が観光バス出発場所。ここから木曽まではかなり遠いが、とにかく連れて行ってくれると言うことなので参加。
  
往きは、都心に向かう首都高速が渋滞して、随分時間をロスした。今日の添乗員さんは、1年前中高年採用で入社した方。私のような中高年でも採用して頂いて会社には感謝しております。と、ご挨拶。
 
さて、都心にはいり、渋滞のなかで、添乗員がまわりの有名ポイントを説明していた。と、その時、運転手が突然「嘘つきはガイドの始まり」といいながら、運転しながら、自分で、都心の観光案内を始めた。「ウソを言ってはいけませんね」と説明が始まる。まあ、この運転手、詳しいこと。添乗員は気象庁の所でつい、間違ったことを言ってしまったらしい。
添乗員曰く「私は、中央高速に入ったら詳しいですからね。期待しておいて下さいね」
 
首都高を抜けると、あとは、中央高速道路をどこまでも走り、中津川ICまで行く。このインターを降りると、木曽宿場町は近い。
 
中央高速道はあまり走ったことはないが、今日は観光バスの上から眺めて、中津川ICまで、遠いことよ。甲府を抜けて、八ヶ岳のふもとを走り、諏訪湖を上から眺め、岡谷市で南の方に進路を変え、天竜川沿いに下り、駒ヶ根・飯田市を経て、中津川市に至る。何とここは岐阜県。
 
これを1日で、往復するのだ。自分が運転したらこれは持たない。
  
さて、今日のバス旅行の感想は?
 
(1)先ず初めに、今日は最高に暑かった。
馬籠(まごめ)も妻籠(つまご)も暑かった。それぞれ1時間の散策時間が設定されていたが、もうそれで十分。暑くてゆっくり散策どころでない。ワイシャツまで汗びっしょり。
  
(2)馬籠は観光用の宿場町?
という感じがした。馬籠は明治の頃火災にあったので、今の建物はそれ以降のもの。島崎藤村の小説「夜明け前」の舞台となったところ。馬籠宿のイメージは、時代に取り残されていくモノクロ写真の感じがするが、実際に見てみると少し違うかな。
 
(3)妻籠は昔の旅籠が保存されており、ここは、馬籠より古い。
ここの寺下地区には昔の木賃宿が残っている。実に粗末な宿。中央に土間の通路があり、その両脇に部屋が一つずつある。ひとつは、囲炉裏のある板の間の部屋でここが居間だろう。もう一つは、畳の部屋。畳の部屋は就寝の部屋と思うが雑魚寝式。恐らく数人で一杯になる広さ。
これを見ていると、江戸時代の貧しさが身に滲みて感ずる。
 
(4)馬籠も妻籠も規模が小さい。
当時、どれだけの旅人がいたか定かでないが、馬籠も妻籠もともに宿場町として規模が小さい。今ホテルなどではどことも、一つのホテルだけで、何百人も収容できる設備になっている。江戸時代、日本の人口も今の半分くらいで、また、庶民は旅をするほどの余裕がなかったのかも知れない。
 
が、ここにくると、時代劇を思い出すこと必定也。しかもこれはセットではない!!
 
今日の旅行写真を数枚。


 

中山道馬籠宿の標識のあるところ
 

馬籠郵便局
 

水車のあるお家があった
 

おいしそうなスイカ
 

ここから妻籠宿。これは妻籠郵便局
 

昔が残っている寺下地区
 

観光客が途切れたところ。江戸時代の宿場町。
 

高札所。今で言えば掲示板。クリックすると拡大する。

 


最新の画像もっと見る