(2)ブログ順位 179位❓ 2024-12-08 08:03:09 | 日記 12月8日(日Iブログ閲覧数深夜から10時過ぎまで急上昇⁇続きです。解析結果は解析表の通りです。目が点になる。一体何事か?目が点になるとはこういう事か?かなり前、政治家の裏金記事悪徳悪質芝信用金庫横領記事糞爺の誹謗中傷記事書いた時も順位が急上昇したが1千番台だった。GOOの何らかの故障?それとも、公序良俗違反行為の検索7本日朝7時25分の時点でも上位?人気ブログではないのだが?
ブログ閲覧数深夜から10時過ぎまで急上昇⁇ 2024-12-07 10:52:16 | 日記 12月7日(土)午前3時トイレに向かう。スマホを開く。ブログ編集を開く解析欄を見る。何だこれこれ⁈PV数が急上昇午前10時の段階でも続く。分かりません。およそ人間たるもの、便器にかかっている時ほど真剣で思いつめ、精神統一を果たしてる時は他ない。【スウィフト】 「ガリバー旅行記」自律神経に優しい音楽 経性胃炎、過敏性腸症候群、吐き気、立ちくらみ、頭痛、不安、イライラなどの症状を和らげることができ睡眠の質を良くしたり、自律神経緩和、リラックッス効果、集中効果
(5)78歳 車内の母性愛に涙が滲む。 2024-12-05 09:15:50 | 日記 (4)79歳と78歳 互いの安否確認。続きです。坂井泉水の負けないでのメロディーがホームドアが開き快速急行新宿往きに乗る。午後3時の車内は空いている。シルバーシートに座る。秦野駅から若夫婦とベビーカーに赤ちゃんが真向いのシルバシートに座る。パパが赤ちゃんを抱きあげる。赤ちゃんは泣きだした。ママが抱き上げると泣き止んだ。だが一瞬のことだ。泣きが段々大きくなる。車内中に広がる。「オッパイ欲しがってるの」オロオロする優し気なパパ。私の隣席の老婦人が立ち上がりママに言っている。ママと老婦人が衣類をバッグから取り出す。近くにいた中年女性が近づく。ママと赤ちゃんは、囲まれて見えない。私は目を閉じた。赤ちゃんの泣き声は止んだ。車内は停車駅ごとに混みだした。私は目を閉じたまま、涙が滲んだ。男にはない母性とは?語る術はない。自らの生まれて今日までを想い巡るのだ。戦後直ぐに、3人男兄弟と次男として育ち。お袋が母乳が出なかったと聞いた。6畳一間の貧乏生活。兄と弟が後年言った。次男は、「可愛がれなかった」幼い頃、脱腸バンドを装着していた。何故だか子供なの理解できなかった。兄が後にに言った。「赤ん坊の時、泣き叫んで脱腸になった」親父はGHQ管理の軍需工場で働きお袋も内職仕事。年子の3男を面倒見るだけで精一杯。兄と弟は、ものごころが判り始めていた。後年も兄と弟は次男の私に気遣いする。お袋の愛情をもらいたいと、尽すのだが跳ね除けられた。近所のオバサンとの会話。「内に3人もの男の子はいらないのよ」小学生4年の時、授業の休憩時間に多摩川べりにいて戻らなかった。家出であった。大騒ぎになった。17歳から登山に熱中したのは家にいたくなかったからだ。学費は高校、大学とも奨学金とバイトで賄った。高校時代は土日は一人ぼっち登山大学山岳部では年間160日合宿仲間の下宿先泊まり土日はバイト。結婚して実家を離れた。貧乏夫婦は慎ましい生活は始まった。妻も貧しい公営住宅2DKで一家5人暮らしの長女。貧乏耐える夫婦のストーリーが続くことになっ。通夜の席およそこの世のものは、いつかは消え去る。青春無頼17歳の焦燥Ⅸ 母との確執母97歳死去、捨そこなった駄犬である次男の想い... 絶縁状を送る。母 97歳 母97歳死去、死にそこなった駄犬である次男の想い.。弟の嫁さんナイチンゲール。お袋は大学病院に入院中孫息子の自慢話を事あるごとに女性看護師に話した。息子とは喧嘩ばかりしていたが孫は別人格なのだ。成長したイケメン孫息子には4年間の留学費用を全て出したのだ。貧しく苦しい子育てを経てやっと晩年に得た幸せであった。私には辛く当たったが年年歳歳、私はひ弱な精神を強く賢くしたのはお袋ではないかと気付き出した。人生のたゆまない生き抜くための術をお袋の叱咤を受けて、激情に駆られたが次第に冷静沈着さに欠けていることに気付くのだ。憎悪と怨念のくびきから徐々に解放され労りの目でお袋を接するのだ。一心の半生製作者https://blog.goo.ne.jp/ikuralove 悲しくてやりきれない / おおたか静流 輪廻 / EXILE ATSUSHI Unplugged cover by Yuya フル歌詞
(4)79歳と78歳 互いの安否確認。 2024-12-03 07:25:28 | 日記 (3)79歳と89歳 過去、現在、将来。続きです。酔いの回って綿羊の里をフラフラ歩く。下記動画は、2020年9月20日に弘法山へ出かけた動画です、実は今回の79歳白髪頭との峠の茶屋での会食は兄が破傷風感染で生死をさまよった時助けてもらった御礼の為です。丹沢弘法山 名古木 丹沢弘法山 冨士見の湯へ 木里館の名は王維の詩からとったのであろうか?竹里館 王維独り坐す幽篁(ゆうこう)の裏(うち)琴を弾じて復(また)長嘯(ちょうしょう)す深林人知らず明月来たりて相照らす現代語訳一人ひっそりとした竹林の中に座り、琴を弾いたり声をのばして歌ったりする。深い林の中なので知る人はいない。明月の光が降り注ぎ私を照らす。午後3時 79歳白髪頭が車で渋沢駅まで送る。2枚の株主優待券をくれる。僕は葛湯を渡す有効期限2025年5月31日。それまでに来いということ。期限過ぎて連絡無きは死んだとみなす。渋沢駅で乗車する、列車が入って来る。坂井泉水の曲が流れる。彼女の出身地なのだ。「負けないで」Music Video 互いの三途の川への旅立ちを案ずるのだ。続く
(2)79歳と78歳 青春を回想。 2024-12-01 09:42:51 | 日記 (1)79歳と78歳の山登り続きです。峠の茶屋でジンギスカン羊肉の煙、秋空へ昇る。私は生大ジョッキと日本酒熱燗2合を呑む。79歳白髪頭はノンアルコールビール2瓶13時半 頂きの展望台まで上がる、細い急登を酔いが回って足取りはヨロヨロフラフラ。79歳は意外にも軽快に登る。下山する3人が、登る私達を待っている。「すいません、酔っぱらっています」お父さんらしき人が「日本酒吞んでましたね」ニコヤカニ応対。そうか、テラス席で、爺さん達の馬鹿会話を聴いていたのだ。尾根道に出ると、階段の男坂と緩やかな山道の女坂がある。当然男坂を登る。79歳はスタスタ78歳はヨタヨタ女性二人が追い抜いて行く。頂きに着く。展望台に上がる。湘南海岸 江の島、房総半島ぐるりと右首を回す。箱根連山その上から富士が覗いた。高校時代を過ごした海辺の街。60年が過ぎたのだ。1964年昭和39年3月13日弘法山林間学校の小学生を引率して海と山と島と富士を眺めたのだ。教師たちは既に黄泉の谷を渡った。小学生も70歳を過ぎた。緑と紅葉と黄葉のパッチワークの秦野盆地初冬の海風が吹き抜けた。夏の熱中症後遺症で左脚は治癒しない。碧の海と黒の山々を見詰め想い馳せるのだ。青春の焦燥に彷徨い、心身の炎を燃焼、そうして心の安定を求めた。みんな逝ってしまった。人生に百歳なし、幼き時は物知らず、年老いて体弱く、ただ残るは青春の数年のみ、名誉と富貴に骨身をけずっても、やがてはみな白髪の老人男は加齢を重ね、罰当たりで復讐される。若い頃は人間が身体を虐め老いては身体が人間を虐める。生死有命!富貴在天(財産や地位は天命によって決まっており、人の思い通りにはならないということ)。一切是命運決定!死ぬか生きるかは天命による。富貴になるかどうかも天命による。(しょせん人間の力ではどうにもならない続く河島,英五「初冬」