昨日 体育会育山岳部の先輩からメールが届いた。
以下 全文
3月9日長野県菅平の根子岳にスキー登山に行ってきました。
天気は快晴、雪山は眩しく絶好の登山日和でした。
朝9時、奥ダボスのリフトを降り登山開始(標高1550m地点)。
途中シールの緩みに悩ませられながら、必死の思いで(何度も引き返そうと思いましたが)なんとか頂上直下の展望箇所に到着。展望を楽しむ間も無く、スキーを脱いで山頂(2207m)に11時30過ぎ頃到着。山頂は天気は良かったのですが風が強くブリザード状態でした。
頂上では、祠に100円(少ない!)のお賽銭を奉げ世界平和?を祈願して参りました。
尚、頂上での写真を撮りたかったのですが、デジカメが寒さの為?調子が悪く撮影を断念。
その後へたくそなスキーで何度も転びながら、ようやく12時30分ごろ登山開始地点に帰着。
ここで電池を入れ替えて再度写真撮影を試みましたところ撮れたのが添付した写真です。
(゜-゜)電池が放電しておりました。
思えば貴殿と八幡平や尾瀬、それと草津白根山方面(田代も同行)にスキー登山に行きましたね。
あれから何年たちましたかね。
又行きたいですね。
先輩は74歳。
単独での山スキー登行。
50年前春 学門をくぐり入学です。
銀杏並木とチャペル間の坂道を上がる。
上がり切った石畳に学生服にくせ毛のまん丸顔立ちが
笑顔で近づいてきた。
山岳部への勧誘であった。
優し気な人懐っこい表情。
シゴキで有名な大学山岳部。
出身地を尋ねられた。
そうすると、横浜のローカル電車で一つ手前の駅名に
住んでいるいと勧誘する学生は言った。
危なくないなと勘違いして入部した。
それから50年以上の先輩後輩の関係。
学業成績は、地上線から鼻で息をゼイゼイ吐くほど。
現在の安全快適な雪山装備品もない時代
と同様な恐怖を体験した。
先輩は、現在74歳
私と同様、サラリーマン社会に馴染めず
ドロップアウト。
ゴム関連の自営業になる。
私の仕事でもゴムの技術で窮地を救ってくれた。
実益と趣味を兼ねて、信州方面での現場作業になると
奥さんと車で出張。
車内には、テント、他装備食料等を積み込む。
宿泊は、テント。
飲む 食べるも、キャンプ場でする。
近場の温泉に浸かる。
会津 奥只見に古民家を所有して一昨年
元気 元気だ。
凄い!
先輩のような、質素でありながら実に充実な老後を送っている。
私もこうありたい。
三浦雄一郎の商業的パフォーマンス
その映像を見ると不愉快になる。