馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

視界は白い闇。

2013-03-04 18:47:42 | 日記

3月4日(月)北海道を襲った猛風雪。

父親が娘を凍死から守るため自分の身体が刻一刻

熱を奪われ意識が薄れても覆い被さった。

痛ましく言葉も出ない。

 

昭和46年3月初旬 

私は大学4年 まもなく卒業して4月には就職が決まっていた。

卒業した先輩と二人で八幡平縦走を計画した。

卒業したら二度と積雪期の登山は出来ないと

最後の雪山への挑戦だった。

5日間の行程を組んで松川温泉から秋田駒ケ岳まで縦走。

天候も安定して順調に4日目を迎えた。

大雪原がブリザードになった。

視界が真っ白、白い闇になる。

50センチの距離にいる先輩が見えない。

当然 声も聞こえない。

二人手を繋ぎ、しゃがみこむ。

互いに背中合わせになって、一瞬の吹雪の切れ間を見る。

白い闇に違う色が見えれば、少しずつ近づく。

それが 木か岩か、斜面か崖かを見極め

30分以内に天候と現在地と時間と体調を瞬間判断する。

30分過ぎるとリングワンダリングとなり

 

 方向感覚がなくなり周囲を円く歩き回りだす。

精神的異常が生じる。

 

私達は平原の斜面を見つけ、ピッケルとストックで

横に雪洞を作った。

4日間動けず吹雪が止むのを待った。

雪洞はマイナス0度以下には下がらず

雪が降り積もって塞がれても空気を通す。

但し湿度は高い。

昭和46年3月 八幡平の雪洞

雪洞3日目、後で分かったのだが、営林署の作業員4人が

近くの樹林帯で猛吹雪の中凍死していた。

食料、燃料も尽きていた。

雪溶かした冷たい水に煮干を2尾浸して食べただけ。

只 死ぬとは思わなかった。

雪洞に篭り我慢している限り、天気は必ず回復する。

4年間の山岳部生活での体験と実感だった。

5日目 快晴、風なく銀白に太陽が照り返す。

網張温泉に下山。

温泉地では学生二人が下山しないと大騒ぎだった。

町役場、駐在所、旅館に、心配させた謝罪をした。

11日間が経っていた。

 

今回の父娘の悲劇。

私だったら どうしたかを考えて見た。

答えは見つからなかった。

只 40年前はではこのような事故は起きなかっただろう。

当時は道路の除雪はしない、車も乗らない。

冬の間は冬篭り、人の行き交いは殆どない。

雪融けの春まで行き交いを待ったのだ。

社会網の発達は人間の能力を排除してしまう。

原発は快適な暮らしをもたらしたが、安全ではない。

 

自然に歯向かいせず適応して生きてきた。

 3月4日 スカイツリー

 


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