馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

ブラックジャック 愛と誠 アンナローディー。

2014-11-06 16:57:25 | 日記

11月6日(木)

朝 スムージー(ほうれん草、レタス、リンゴ、水)を飲む。

これは中々良いぞ!

快便、減量だ。

 

神田川沿いを柳橋に向かって事務所に行くが

最近、柳橋袂の佃煮小松屋の川渕で

和服の姉さんが三味線を弾いている。

ここは、元々柳橋料亭街

芸妓さんが柳橋を渡りお座敷に向かうのだ。

昨日からの煮干し出汁

サッパリ味だ。

 

 

11月3日に本棚を整理していたら

息子が読んでいたシリーズ本

BLACK JACK 愛と誠が出てきた。

  

ブックオフに持って行き

換金をするかと思ったが

念のため、息子に画像を送って確認すると

「帰った時読む」と言う。

手放せない愛読書だそうだ。

 

娘も漫画 あさりちゃんは手放せない。

 

どの本も売れば高値がつくそうだ。

 

本箱、書棚には息子娘の子供本が占領。

 

そう言えば、俺っちが子供の頃は

漫画本は高価なので、貸本屋で借りた。

それと、本棚など家に無かったね。

 

会社を首になって苦境に陥り

妻子を連れて実家に居候するため

本を処分したが

古本屋の親父が自宅に来て値決めしたが

殆んど金にならなかった。

今後、ネット書籍になると、古本の価値はどうなるのだろうか?

 

アマゾンで久しぶりに イタリア アンナローディーアクセサリーが売れた。

在庫が少なくなったのでイタリアに手配しなければ!

アマゾンショップ

 

 

夕方 スカイツリーが雨に煙る。

隅田テラスウオーキングは出来ない。 


アマゾンでパールボールペン販売。

2014-11-05 17:19:46 | 日記

11月4日(火)

昨日のランチは漁港の魚屋で買った鯖塩焼きと冷奴、納豆、油揚げ味噌汁。

   

今日は、白菜が大量に残っていたので

豚バラと白菜の重ね鍋。

初めて調理した。

 

見た目はうまそうだ?

 

醤油味で白菜と白ネギ、万能ネギと豚バラ

シンプルでスープが美味しいな!

安くて簡単だ。

 

秋深まり、街行き交う男女の装いもシックになった。

茜に色づく街路樹、足元の紅葉踏みしめて颯爽とすれ違う女性は素敵だ。

首が折れる程振り返って見たい。

 

デザイナー女性がパール(フェイク)シルバーボールペン製作に没頭。

彫刻は雪の結晶。

  

気を散らさないようにそっと、アイホンで写真を撮った。

 

日本刀アクセサリーの製作

 

新製品弊社オリジナル

パールボールペン(フェイクパール)製作

 

為替円相場¥114円

輸入業者にとっては、しんどいな!

 

安倍のお坊ちゃま

北朝鮮のお坊ちゃまと同様

庶民の暮らしわかんない?

 

お金持ち企業、金融業、特定富裕層を優遇する政策ばかり。

日銀の黒ちゃんの傲慢で庶民を見下したような

面構えは不好感?

 

懸命に好景気を鼓舞するメディアも信用出来ん!

 

消費税アップ反対!

 

消費税転嫁対策室の封書ブログを昨日1.041件も検索があった

 

 

財務省は何としても消費税アップしたいのだろうな

3か月に一度、零細業者に調査書を送付している。

この郵券代だけでも莫大な税金を浪費している。

 

ネット販売が前年当月より減少している。

アマゾンショップ

 


銀座の想い出。再掲。

2014-11-04 15:49:43 | 日記

7月6日(金)11時半には中華三原でタンメンを食べた後

銀座4丁目をぶらつく、思い出深い街角なのだ。

ファッションビルを見上げた。

  

そして、エスカレーターで6階フロアまで上がった。

今は大手書店になっている。

37年前のおしゃれなフロアではなく

書棚を団地のごとく通路を直線で仕切るフロアだ。

面影は何もない。

僅かな店員がレジにいるだけ、あの煌びやかな明かりとインテリア

緑の絨毯敷き詰めたフロアに可愛いスマイル女性はいないのだ。

あの時代にここで働いたことが鮮明に蘇る。

およそこの世のもので、いつまでも破れず、変わらずにいるものは何もない。

 

昭和45年、大学4年生の時、彼女と銀座デートした。

日産ギャラリーの隣に白い尖塔のようなファッションビルがオープンした。

外からエレベーターのガラス張りが見え外の光景が見えた。

エレベーターガールは綺麗なお姉さんだった。

当時としては画期的だった。

彼女とショッピングしていると彼女が「こんな場所で仕事したい」と溜息ついた。

当時、学者先生が女子大生亡国論を言い出していたが

女子大生の就職門戸は小さかった。

http://choko22.blog54.fc2.com/blog-entry-91.html

 

社会人になり勤務地が数年後、彼女が憧れたファッションビル内オフィスに移動した。

まさかこのビルで勤めるとは想いもしなかった。

卒業して社会人になったが、まだ現役女子大生だった彼女に

あっさり振られてしまった。

 

入社最初の勤務地は大手町だった。

超近代的ビルで営業の初歩を学んでいた。

上司の不正を追及したら、逆に更に上の部長から

配置転換を命じられた。

私に言った理由は「監督不行き届きで処罰されるより、成績不振で処罰されるのがいい」

そうして、新橋東京電力本社近くの軽食喫茶で皿洗いすることになった。

退社も考えたが必ずや見返してやるとの執念があった。

2年後、事実関係が明らかになり私の名誉回復もした。

後に部長は癌で亡くなり、張本人の上司は夜逃げした。

当時の状況は異端としてブログに経緯を記した。

 

http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/0e1f6a91198e7bf7afdd38231ab8eaf4

人事異動が発令され、昭和50年6月銀座外商部への勤務になった。

新婚ホヤホヤで28歳だった。

 

ビルの6階全フロアが店舗で海外旅行サロン、海外旅行用品

海外ウエディング、海外土産品、旅行書籍、水着、アロハ等の販売される

総合旅行産業の店舗だった。

高度成長にまっしぐら、大阪万博もあり海外旅行が一気に伸びた。

一般庶民を団体でハワイ、グァム、サイパンへツアー名入りバッグを肩にかけて

飛び立って行った。

今では「へー」?と思うだろうが

店舗で水着の売り上げは日本一だった。

秋、冬にハワイ、グァム、サイパン旅行に行く時

水着を用意しなければならない。

当時、デパートは夏シーズンしか水着を販売していなかった。

女性にとって最新水着で海外ビーチに寝そべることこそ

ステータスだった。

有名女優も買いにきた。

フロアの女性社員は綺麗だった。

採用基準が頭脳よりも見てくれが重要だった。

来店客も銀座で海外旅行を相談するのは満足感があった。

7階も大手電気メーカーの家電サロンで、やはり美人揃いだった。

私は8階の営業本部、外商の仕事だった。

結婚のきっかけも銀座松坂屋裏の古いビル地下に

竹を切った中に酒を入れ炭火でお燗して飲ませる料理屋があった。

そこで先輩から紹介されたのが女房になった。

店主は古代日本文字の研究家でもあった。

その店で、二人だけで三々九度の祝杯を挙げた。

今は既に故人だ。

新婚の妻も新橋で働いていた。

仕事が互いに終わるとビル1階前で待ち合わせして

食事して松戸の公団住宅に帰った。

上司にも恵まれ、私が受けた理不尽な仕打ち耐えたことを労ってくれた。

同僚も温かく歓迎、後輩も出来た。

その後輩は今でも交流があり苦しい時助けてもらった。

三原小路には大衆居酒屋があって時折会社仲間と飲んだ。

居酒屋のオバサンが面白い事教えてくれた。

税務署が突然調査に来て、割り箸の本数を勘定して

売り上げの過少申告インチキを見破られた。

それからまもなく店は閉店した。

税務署から見れば一等地で、少ない売り上げで商売が続くのに疑問があったのだろう。

銀座の柳通りの夕暮れに行き交う人はなぜかネオンの下、明るい笑顔と

優しい瞳をしていた。

2年後営業部は大手町に移転、更に池袋の自社ビルに入った。

更に2年後、再び銀座の外商に異動になった。

そこに会社の籍はあったが労働組合書記長になっていたので

実質的仕事はしていなかった。

34歳、二人目の子供が生まれた。

その時、ストライキを敢行した。

思想的問題有り、破壊者としてのレッテルを貼られた。

銀座の場所でサラリーマンに別れを告げた。

今から3年前、娘が「銀座が似合う女になりたい」と呟いた。

私と妻は何とも言い難い笑みで娘を見詰めた。

銀座でサラリーマン辞めた時、生まれた娘の言葉に涙が出そうになった。

2歳の息子と生まれた娘を抱えて、信念を曲げず屈辱に耐えて

妻と必死に働いた。幼い子供には貧乏は分からない、両親さえ入れば良いのだ。

幼稚園に行かせる金も無かった。

娘も社会人になり、勤務地が品川、成田空港、桜田門と移り

現在は銀座近くになったのだが、仕事が忙しくて

銀座を楽しむ時間もない。

 

35年の歳月が流れた、面倒見てくれた上司も旅立った。

同僚も定年、センス抜群の女子社員はどうしただろうか?

下りのエレベーターに乗り、心は37年前に戻っていた。

60数年の人生で一番安定して幸せな日々だった。


疲れてたが茜浜までジョギング。

2014-11-04 15:42:28 | 日記

11月3日(月)文化の日

昨夜は疲れて早めに寝たので目覚めも早かった。

7時 ベランダからスカイツリーが見える。

今日は快晴で、丹沢登山も今日が良かったな!

 

妻がウオーキングに行くものと思ってジャージを出した。

9時、疲れもあるが、着替えて柔軟体操をして出た。

9時40分 茜浜に着くと

  

腹筋と腕立て伏せ、懸垂、屈伸

筋力の衰えを実感する。

 

11時帰宅。

歩数計

18.978歩

15.479m

843cal

2時間10分

異常でした。


丹沢 想い出のヤビツ峠、三の塔、菜の花台を巡る。

2014-11-03 22:00:29 | 日記

11月2日(日)

前夜22時過ぎ。天気予報が雨から曇り時々晴れに変わった。

急いでハイキングの身支度をした。

6時起床して6時半自宅を出た。

徒歩で船橋駅に7時着。

総武線に乗車、新宿駅で小田急小田原行き急行に乗る。

9時半 秦野駅に着き、蓑毛行きバスに乗った。

3連休は雨との天気予報だったので

登山客は少ない。

10時、柏木林道をスローペースで歩き出す。

私が山登りをした最初の登山道が

ヤビツ峠に登る柏木林道だ。

昭和38年7月25日

神奈川県大和市にある小学校

6年生の子供100人以上を引率して

ヤビツ峠にあった青山荘に宿泊して

翌日菩提峠を越えて渋沢に下りた。

 

私は17歳、故あって小学校の林間学校の手伝いをしたのだ。

救急箱と拡声器を持って、先頭、後方を駆け回り

子供が安全に歩くように見ていたのだ。

 50年以上前のハイキング。

既に当時の教頭先生方達も泉下の客になられた。

写真を見ると、先生方はくつろいで一服している。

 

当時の小学生も今や還暦を過ぎた。

新任の女教師が赴任してきた

密かにその女教師に憧れた。

夜 江ノ島で禁断のデートした。

柏木林道を登りながら、走馬灯の想い出が巡った。

 

汗ばみしだした10時、ヤビツ峠に着いた。

登山者は居なかったが、

蓑毛からヤビツ峠に舗装ロードがあり

サイクリストには有名なコースだ。

ヤビツ峠 売店で飲料水を購入。

 昭和61年 今から28年前

息子と娘を連れてヤビツ峠をハイキング

売店でお土産を買っている写真があった。

独立して懸命に働き体力もあった頃だ。

当時と建物は同じだ。

  

ヤビツ峠を20分ほど歩き丹沢表尾根コースに入った。

 

展望がない急峻な山道を喘ぎ喘ぎ登る。

後ろから、オバサン二人の声がする。

会話しながら楽々と私を追い越して登って行く。

筋力の衰えと体重増加を実感。

 

樹林が切れた山道から大山が見えた。

 

二の塔の頂にやっとこさ到着。

三の塔が雲間の切れ目から大きく見えている。

道標には500メートル。

しんどいが頑張った。

13時 1.205mの三の塔頂きに着いた。

ガスが漂い山々は見えない。

2012年8月15日に登って以来だ。

その時は 中国人女性二人をガイドした

 

風が強くジャージ上下を突き刺して

寒風が汗まみれの肌を冷えさせる。

閉じられた避難小屋の裏で風避けする。

おお!冷たえ!

11月になったのでヤッケ(防風衣)必要だ。

表尾根主稜の塔岳まで時間的に無理なので

早々に登った山道を下山する。

 

ヤビツ峠に15時10分到着。

秦野行きバスは15時51分。

柏木林道を歩き蓑毛まで行くか迷ったが

ベンチで待つこととする。

サイクリストが、どんどん上がってくる。

皆 引き締まった身体だ。

記念写真撮影を頼まれる。

元気な若者を見るのはいいね!

サイクリストのファッションもカラフルで緑の山道にマッチング

中高年の登山者も山ガールと呼ばれるように

山スカート有り?でオシャレだ。

 

10月18日に丹沢高松山に一緒に登った友人が私を眺めて。

私の登山スタイル、黒のジャージ上下に

安物のハイキングシューズ。

枯れ枝を持ち、腹が出たオジサンスタイル。

友人が言った。

「どう見ても若い頃に谷川岳一の倉沢の岩壁を制覇したとは思えない。

 

15時51分 バスに乗る。

ゆっくりバスは蛇行を繰り返しながら

秦野盆地が眼下に広がりを見せ出した。

途中、菜の花台でハイカーが乗り込んだ。

夜景が有名だが、42年前は

彼女とドライブして菜の花台で夜景を見たが

こんな山奥に夜ドライブする人はいなかった。

その時、キーをエンジンに差し込んだままロックしてしまった。

暗闇の中、展望台の柵を締めていた針金を外して

窓ガラスに差し込んでキーを取り出した。

必死だった、彼女は泣き出した。

 

回想していると16時半秦野駅に着いた。

秦野に住む高校時代の友人に電話した。

会わずにスパにも浸からずに帰ると伝えた。

汗臭い体のまま電車に乗った。

車内は暖かく濡れた体が乾き出した。

19時半 船橋駅着。

飲み屋小路に向かい居酒屋加賀屋に入った。

朝、昼とも食べていない。

ポカリスエットを500ml飲んだだけだ。

ホワイトボールと煮込みを頼んだ。

一気に飲んだ。

焼酎ハイボールとハツとシロもお願いした。

ハイボールが飲みきれない。

ハツとシロも食べきれない。

どうも疲れ過ぎて食欲がないのだ。

20時半 帰宅。

直ぐに風呂に浸かった。

温かい湯船の中で、硬直した全身の筋肉が柔軟になる。

血圧を測った。

驚いた!測定ミスかと?再度測る。

上86下47 脈拍87

今日のハイキングの距離は長くないが

急峻な山道なので足腰の上下動が凄かった。

エネルギーを出すために、血液を循環させて

酸素を取り込み血液の流れをスムースにした。

22時半 眠気に耐え切れず寝床へ。

翌朝、体重計に乗った。

71.3キロ

2週間前は77キロだった。

この先 体重増加を抑えることが出来るだろうか?

 

歩数計

26.599歩

19.151m

4時間

異常でした。