怖いね・続き。
常盤橋公園で目撃した、てんかん発作による乗用車公園飛び込み事故は
私が25歳の時だった。
この公園に隣接するチョコレート色の当時としてはシャープな洗練されたオフィスビルに勤務していた。
公園には江戸城の石垣が残っていた。
学校卒業しても山登りは続けていた。
夕方になると、トレーニングウエアに着替えランニングシューズを履き、石垣を登り降り、トラバースの訓練をした。
その日、別部門の偉いさんが「君は岩登りしていたのだから、試作した非常用縄梯子試してくれ」「旅館に売り込むから」
その日午後、石垣を縄梯子で降りる実験をした。
既に40年以上前の出来事。
縄梯子の安全基準、JIS規格もあったか定かではないが
ロープの素材の明示もなく締まりのない絡み易い縄だった。
木製足掛けも細く滑り止めも付けず不安定だった。
偉いオジサン達と若い女子社員の見守るの中
石垣の上から、揺ら揺らする梯子で降りた。
これでは実際お年寄りでは下が丸見え、足を一段、足掛けに下ろすだけで
大きく揺れるので恐怖で降りること出来ないと思った。
周囲から見たら可笑しな集団と見えただろう。
その時、ドカンと音がしたのだ。
音がした道路側を見ると黒塗り高級車が公園の低い垣根を乗り上げ
木にぶっかったのだった。
直にパトカーと救急車がやってきた。
私は偉いさんから即刻縄梯子を撤収させられ
外出を命じられた。
石垣で危ないことをしているのを警察に知られるのを恐れたためだった。
帰社してから、事故の原因がてんかん発作によるものだったこと
又大手企業の役員が乗っていたことも分かった。
日本が所得倍増から、世界各国で最も経済高度成長になろうと
していた時代だった。
会社自体も大手でありながら無鉄砲だった。
あれから40年、全てにまあ!まあ!というゆるやかな馴れ合いは許されず
コンプライアンスという法的規制から外れた行為をメディアは
声高に大々的に報道する。
常盤橋公園で女子社員と昼休み、バレーボールのトス遊びをした。
そのオフィスは異質の組織で25歳の私が男では一番若く独身一人
30代既婚者が二人、40代50代60代の男がゴロゴロいた。
若くピチピチ?した女の子が3桁いた記憶がある。
公園でバレーのトスをした女の子達は今はお婆ちゃんになった。
孫もいるだろう、故郷に帰った子もいた。
私のデスクの対面右に座っていた秋田美人は気が強かった。
道ならぬ恋に走り、その後行方知れず
逢う事もないだろう。
今は何処でどうしているだろう。
思い出の石垣を見にいかなければならない。
4月24日(火)午後、前夜の雨から一転、気温は25度に上昇。
人形町で用事済ませ、隅田テラスをジャケット片手にぶら下げ事務所に戻る。
春のうららの隅田川を上る観光船が陽炎のように揺らぐ。
遥か遠い思い出が切なく通り過ぎていく。