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馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

イタリア ダライッティーのガラスペン。

2012-03-06 16:52:51 | 日記

 

イタリア ダライッティーのガラスペンがよく売れる。

贈答用包装、リボン結びでの依頼。

ホワイトディー、入学、入社、卒業記念

筆記具が販促用として売れたのはバブル時代。

パソコンが広く普及すると販促用ボールペンは

急速に減少した。

  

弊社も低単価の粗悪な筆記具販売は止めた。

高級品ではないがリーズナブルな価格で

オリジナリティーな筆記具の製作を目指した。

 


廃業!

2012-03-05 15:30:35 | 日記

3月3日(土)朝9時半 漁港の船溜りを横切り

魚市場を越えて車道に出る。

古い木造家屋があって正面に貼り紙があった。

見ると閉店の知らせだ。

  

漁港に近く漁師達が この食堂で昼夜食べ飲んでいた。

その一軒隣にも同様の食堂があったが去年夏閉店した。

漁港傍にあるだけに新鮮な魚が安く食べられた。

不況もあるのだが店主が年老いて跡を継ぐ者もいないためだ。

都心の居酒屋では食べられない刺身や天麩羅があった。

夕方 漁師が威勢よく飲み騒いでいた。

残念だ。

閉店の1月22日は私の誕生日でもあり

この日より高齢者と認定され市役所から

介護保険料の請求書が届いた。

私も廃業したいが社会的責任もあり望むべくもない。

駅に向かって歩くとイタリアンの食堂が2軒あった。

    

漁港の町に中高年の好きな食堂は消え

若者の店が誕生している。

 

そういえばこの漁港はアサリが有名だったが、

今では外来種の貝ホンビノスが繁殖して

その販売が注目されだした。

地元のイタリアンレストランが料理に使っている。

 

 

私が行き着けの地元居酒屋の店主に聞くと

「鮨屋が駄目になっている」と言う。

生ものなので客が減少すれば捨てなければならず商売が難しい。

セクハラ被害の日本橋の床屋婆さんも同様に

客の鮨屋の親方が2軒も夜逃げしたと言っていた。

接待が減り高い鮨は個人の金で食べないし

勘定が「おあいそ」!と言わなければ分からない。

良いネタを仕入れても客来なければ毎夜捨てた。

 

昨年娘のボーナスで回転鮨の銚子丸で食べたっきりだ。

今年は回転鮨も行けない。

3月5日(月)ランチ

豆乳豆腐 ぶり、納豆、きゅうり ニンニク醤油漬け、白菜漬物

貧乏だがランチ贅沢 でもね 3人で千円以内。

 

 

 


助平爺Ⅱ

2012-03-03 21:00:44 | 日記

 

理容室はオフィスビル1階の一番奥にあり、その前には警備員が立っている。

警備員に挨拶しなければ入れない。

ガラスの片扉しかなく看板が大きくペイントされているため

中が見え難い、又、室内は窓がないため完全に密室になる。

理髪台と客待ちソファは腰までの高さのパーティションで仕切られている。

 

婆さんの言う通り、午後4時40分 

72歳のエロ爺さんがガラス扉を押して入ってきた。

 

私はガラス扉が押される音と同時に見詰めた。

焦げ茶色のコートを羽織っている。

姿見は雑木林に点在するコナラの老木のようだ。

 

長い年月、昆虫にエキスを吸われて木に裂け目や皺が刻まれ

春間近になり茶葉を落とした

既に虫も寄り付かなくなった老木だ。

爺さんもこちらを一瞥する。

ゲゲゲの鬼太郎には子泣き爺が出て来るが

相対する婆さんは砂かけ婆に相当

雑木林に住む老雌白蛾婆さんが私に向かって

「社長 ゆっくりしててって、そこの煙草吸ってコーヒー飲んで」

私「そうか!たまには煙草でも吸うか」

テレビ見ながら煙草吸い、缶コーヒーを飲む。

婆さんはコナラ爺さんの頭にハサミ入れながら、必死に私に話しかける。

老木コナラ爺さんを鏡面で見るとムッツリ不機嫌そうに

口を閉じている。

明らかに「バカヤロウ、邪魔しやがって」と腹の中で

叫んでいるはずだ。

 

こんな出来事を平凡人に話せば

「はっきり拒絶して2度と来るな!言え」

決まりきった言葉が出る。

以前 私の傍にも教条主義的な人生しか語れない深みない男がいた。

 

借金抱えて苦闘する婆さんにしたら屈辱に堪えても

お金が必要なのだ。

私も自営業なのでその葛藤が理解できる。

 

優越的立場を利用してセクハラ

人の弱みにつけ込む意地汚い爺。

ソープ、キャパクラへ行く金も勇気もないが

朽ち果てようととする老木の最後の性への執念

それを巧みにかわす老雌蛾の攻防戦

婆さんが爺さんが来る前に言った。

やっと一つの借金は先月返済した。

後はボロ家を売ってアパートに住む。

そして死んだ連れ合いのところに行きたい。

 

これで勝負あった。

スウェーデンの小説ミレニアム一文を思った。

『私はこれまで、数えきれないほどの敵に対処してきた。そこから学んだのは、負ける闘いに応じてはならんということだ。そのかわり、自分を侮辱した人間をけっして許してはならん。辛抱強く機会を待ち、自分が優位に立ったときに反撃するんだ-もう反撃する必要がなくなったとしても』

老木コナラ爺さんは最後に毒雌蛾に吸われ

屈辱を舐めるのだ。

 

15分程過ぎると娘さん夫婦と子供二人がやってきた。

婆さんは私をおおげさに娘に紹介する。

娘さんも私と婆さんの目配りで理解した。

私は店を出た。

娘さんが追ってきて

「ありがとうございます」!

午後5時、髪カットで冷え冷えする頭に息子夫婦から

プレゼントされた帽子を被り柳橋に向かった。

帰りの道すがら 考えた。

「俺が72歳になったらどうか」?

そんな気!起きるかな?

 

しかし エロ爺さんは元気だな!

羨ましい?

 

3月2日(金)ランチ マドンナがピザ生地買ってピザ作った。

    


助平爺!

2012-03-02 14:58:33 | 日記

2月28日午後三時半予約済みの床屋に行く。

前に散髪したのは昨年1219日、事務所に戻ると金正日が死んだと報道された日だったので覚えている。

その日から2ヶ月以上経ち髪が鬱としかったが、時間が取れないでいた。

柳橋事務所から徒歩で日本橋の床屋に出かけた。

六年前から通っている。

極端な短髪していたので手入れ、洗髪が楽になった。

散髪回数も2ヶ月で一回になった。

午後4時頃、整髪終わりかけた頃、散髪してくれるオバサンが

「社長まだ時間あるか」?と聞く

私はうなずく!

少し前、オバサンは電話を架けていて「バカヤロウ」と怒鳴っていた。

オバサンが言った。

「次の予約の客が助平爺で困っている、私が一人になるとワイセツな言葉と

行動する」

「社長に居て欲しい、」娘に来るように頼んだのだが、池袋で夫婦と子供で

ボウリングをしていて未だ来られない」

それで先程「娘に電話で怒鳴った」

事情が飲み込めないがソファで待機することにした。

床屋の親父は2年前、夜、銀座線乗車中 稲荷町駅で倒れ亡くなった。

それからは奥さんが一人で頑張っていた。

理髪業界では有名な方で理容コンテスト日本一にもなり

全国で理容師に教え、講演していた。

店名も堂々と個人名の○○の店との看板にしていた。

しかし、若者が美容院へ行き、床屋には見向きもしなくなると

何人もの人を使っての商売は駄目になり

借金も負うようになり、夫婦だけで営むようになった。

 

助平爺というのは20年以上前からの客で

72歳 離婚して一人身

松戸から車で日本橋の床屋までやって来る。

「親父が死んだ途端、イヤラシイ態度になって困っている」

「私のような婆さんに、何のつもりなんだ」

このオバサンは現在65歳白髪で眼鏡架けている。

失礼ながら、とっくに女としての魅力で眺めることはない。

オバサン曰く「異常爺さんだ」

助平爺が帰るまでソファで待つことにして、オバサンが買ってきた

缶コーヒーを飲んで待つことにした。

 

 

続く