馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

信州 中の湯

2011-05-28 23:19:45 | 日記

528日(土)金太郎が北アルプスの中の湯に行った。

新聞社OB会の集まりで地元新聞社が幹事なので長野になった。

温泉に浸かり、一杯、多杯飲んで又上高地散策を楽しむ。

いいなあ! 俺も行きたい。

貧乏会社はゆとりが無い。

北アルプスは昭和488月に行ったきりだ。

山岳部同期が前穂高北尾根で転落死した。

85日に遺体収容で行ったのが最後だ。

その前は

 厳冬期立山から槍ヶ岳縦走

4年生4人、3年生2人、2年生3人 1年生2

総勢11

私は1年生だった。

昭和421224日上野夜行列車で富山に行き

美女平のケーブル階段をアイゼンで登り

弥陀ヶ原をラッセルして立山を登り

薬師岳を登り、槍ヶ岳の氷の穂を登攀

雪崩の恐怖の槍沢を駆け下り

翌年昭和43124日に

上高地に下山、既に下山予定日を過ぎていて

捜索隊が上高地まで来ていた。

30日間の過酷な登山だった。

暗闇の釜トンネルを抜けると中の湯があった。

そのトンネル内にはトンネルを手掘りした朝鮮人の遺骨が

埋まっていると言われていた。

又、冬山遭難遺体を雪解けまで安置する場所でもあった。

当時本当に秘湯だった。

生きて帰れて中の湯で雪降りしきる露天風呂に浸かり

暖かい飯と野沢菜と味噌汁と日本酒は

40年経ったいまでも忘れられない。

昭和433月に前穂高北尾根の雪稜登攀して

中の湯に泊まった。 なぜか蛸の刺身を食べた。

強烈な思い出として残っている。

梓川沿いの雪道は一般客が来ることは出来なかった。

厳冬期の湯宿は老夫婦二人で守っているだけで

宿泊客は殆どいなかった。

今では一般観光客が上高地周遊で泊まる。

中の湯も当時の場所から少し移転した。

もう一度行きたい。

 

1968年3月前穂高北尾根

当時根性あったな!