馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

誹謗中傷コメントへの対処の仕方。

2023-08-13 06:26:57 | 日記
誹謗中傷の始まりは、突然送られてきた
以下のコメント。


2022-02-28 04:13:00 | 日記
某御方の言動に疑問を抱き、いつか気付いたら面白いと思ったこのブログ。
発言に嫌悪していたが、我慢の域を超える内容。
断罪に値する。
そいつをフォローしてみたいと思う。
言語や知識の通用しない相手。
果たして。


フォローをすることは、このブログの終焉。


一度もうひとりと論議をしてみたかったのが心残り。
#影


当初、無視したが、影と名乗る爺さんのブログであった。
他のブログにも、異様なコメントを送り付けていた。
いたしかたなく、警告文を送った。
心病んだ爺さんは、次第にエスカレート文をコメントした。
いつの間にか、被害者である一心が加害者になっていた。
サイコパスは、実に巧妙である。
このような輩は、反論などしないことに気付いた。
以下の文章を見つけた。
出所は不明。


魯迅はまた「沈黙」を用いて、全く別の批判を展開する。散文『半夏小集』の中で、フランスの文芸評論家、サント・ブーヴ著『我が毒』に、「ある人を軽蔑すると公言するのは、まだ十分に軽蔑していないのだ。沈黙こそ唯一至上 の軽蔑だ」とあるのを引用し、「最高の軽蔑は無言だ。しかも目の玉さえ動かさずに」と言い放つ。


怒りや反発、反感はまだ相手に感情を抱いている証拠だ。無視、無関心ほど相手を傷つける仕打ちはない。人は常に社会の中で生き、生かされているからだ。この沈黙が強いものに対しては最大級の抗議になるが、弱いものに対しては陰湿ないじめを生む。世の中ではしばしば抗議の手段としてではなく、弱い者いじめの道具として使われることが多い。



要するに沈黙を支えているものの正体が何かということなのだ。豊饒な言葉が控えているのか、燃えるような熱情がたぎっているか、それとも砂漠のような冷淡がよこたわっているのか、ということである。


精神病は 嫉妬心が強く、コンプレックスが酷く
常識人には、対処不可能。
無視することしかない。
以前にも、私のブログに
「あなた 幸福ですか」のコメントがあった。
無視した。
相手は、返信がないので怒り狂った。
匿名の氏素性も知らぬ輩に答える必要はない。
それ以来、私のブログを覗かない。