馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

正月2日 墓参り 見舞い。

2015-01-03 17:27:24 | 日記

1月2日(金)

総武横須賀線に乗車して、戸塚駅東口についたのは11時44分。

線路沿いの県道を鎌倉方面に向かって歩き出した。

道は片側1車線、歩道は白線が引かれているだけ。

大型バスがすれ違うと肩が擦れそうだ。

 

横須賀線、湘南電車が行き交う音がひっきりなし。

約3.5キロをトボトボ歩いて12時22分寺の門に着いた。

数年前に山門近くにコンビニがオープンした。

生花、酒2パック、煙草キャビン、ピーナツを買う。

 

山門を抜け、本堂の階段を上がり

本堂の扉を開けた。

仏様に合掌。

賽銭をそっと置いた。

階段を上がり親父の墓前に立った。

昨年1月2日も墓参り

 

去年4月29日来て以来だ。

 

生花を挿し、酒パックを墓石掛けた。

 

煙草に火を付け、線香代わりに置いた。

続けざまに3本吸って煙を上がらせた。

風もなく、快晴の空に吸い込まれ消えた。

食べ物類を墓前に捧げると、直ぐにカラスが食い荒らすので

厳禁になっている。

 

墓前で日本酒をストローで飲む。

朝昼食べていない空き腹に滲みこむ。

ストローで飲む酒は酔いが回り旨くない

15分程、佇んだ。

小山に建立された寺は、山斜面に墓が段々に並んでいる。

階段を上がった。

親父が墓に入った頃は、コンクリート階段ではなく

土の山道だった。

テッペンに立ち、林が切り開かれた処から

富士が見えた。

残念ながら雲に覆われ麓部分のみ。

丹沢山塊の峰にも白く雪がある。

 

下からお神楽の響きが上がってくる。

小山は古墳のようだ。

この寺が気にいっている。

 

小さな寺だが竹薮と椎の木に囲まれ

親父が埋葬された時は尼寺であった。

この辺りは昔、横浜のチベットとバカにされた。

 

13時40分 寺を出て街道を歩き

戸塚駅東口に着き、駅前に広がる高台を上がる。

きつい急坂沿いは新しい住宅が並んでいて

老齢の住民はしんどいだろう。

高校生時代の同期がまだ山林だった頃に住んでいた。

探したが分からない。

 

14時半 再び横須賀線に乗り、品川駅で山手線に乗車

15時22分渋谷駅に下りた。

スクランブル交差点は相も変わらず人群れだ。

ネット情報に、早朝109に若者が2千人福袋を求めて行列した。

喧騒のセンター街を抜け、松涛の邸宅街の緩やかな坂道を歩く。

  

山手通りを左折して病院の3階に上がった。

お袋は何かを呟いている。

私を見ると「寂しい、寂しい」と掠れ声で訴える。

弟にメール、電話するが反応がない。

16時半 やっと電話が通じる。

「今日は住まいの近くにオープンしたスパにいる」

「今日は行かないが、明日は行く」

お袋は弟が来るのを待ちわびている。

弟は毎日見舞いをしているし、大学病院の副院長をしている

嫁さんもハードな仕事をしているので

正月くらいは休養させてあげたい。

 

お袋に「弟は来れない」と言い出せない

 

私の腕を摑んで離さない。

17時病院を出た。

坂道を下り渋谷駅に向かう。

お腹も空いたので喜楽で食べようと

道玄坂に出るために円山町を横切る。

店はやっていなかった。

快楽と妖艶な通り道として知られる。

正月なので飲食店に明かりはないが

快楽ホテルは、様々な色合いの光が

蛍と天道虫が飛び交うがごとく舞っている。

 

渋谷に集まる若者には、ホテル街も必要条件。

そう考えると享楽ではなく

若者の心身の熱情を満足させる健全

健康そのものの場所に思えてくる。

DJポリスが優しく誘導する安全な街。

 

IT産業の拠点、若者ファッション集い、オシャレなお店

饗宴の灯り、静寂な街、死を待つ老人の街。

 

渋谷ストリートは日本一、刺激的な町なのだ。

 

18時半 自宅に着いた。

娘も佐野厄除け大師から帰宅したところだ。

 

今日も歩き過ぎた。

 

歩数計

29.937歩

21.617m

972カロリー

3時間59分

異常でした。