1月27日(日)朝8時半 寒い!凍えて体が硬くなる。
ベランダからスカイツリーとその背後にスカイブルーの下空に
紺青の丹沢山塊を遠望。
駅方向に娘が駆け足で向かっている。
昨夜23時40分、娘に「今どこか」?メール入れた。
「今、終わって霞ヶ関から乗車します」
先月から土日出勤が続き休んでいない。
日曜日には休んで休養したいと言っていたのだが
妻に聞いた。
新しい課に異動したが、二人での担当だが
もう一人は三ヶ月の研修に入り
なれぬ業務を一人でこなさなければならない。
新しい体制になりトップも代わった。
日曜 夕方幹部会議があり
仕事しているのを見つかると拙いので
早目の帰宅をすると母親に言ったが
18時になっても帰宅しない。
心身の疲労で顔に吹き出物が表れた。
木、日とアイリッシュダンスの練習も出来ない。
噂では聞いていたが、これ程ハードとは想像できなかった。
男性は仮眠だけで翌朝まで過ごす。
私も20代サラリーマン時代
遅くまで勤務した。
帰宅できず、冬の暖房も無い倉庫で横たわっただけ
時折、午前3時 成増の倉庫から車運転して横浜の実家に戻り
風呂に入り、2時間程寝て又戻った。
だが実態は不正の片棒担ぐ仕事だった。
上司が下請けからの招待ゴルフに行くので
朝4時に向かえに行きゴルフ場まで送った。
戻って又仕事。
上司は毎晩 新宿のクラブを廻り
午前1時 風鈴会館前で待つ上司とホステスを
車運転して家まで送った。
そのあげく、不正を追求したら、喫茶店で皿洗いを命ぜられた。
あの頃、若く体力あったので耐えられたが
将来が見えず、汚泥に浸かり抜け出せない
自分が虚しかった。
娘の職場は全く違うので安心はしているが
普通の暮らしして、嫁さんにと願うが
言葉には出せない。
名言
明日の朝にしようなどとは言ってはならぬ。
朝が仕事を仕上げて持ってきてくれるわけではない。