1月14日(月)成人の式典が各地で開催。
娘は朝8時、寒雨の中、小走りで駅に向かった。
年末の土日も休まず、正月4日より土日出勤が続いている。
昨日も38.5分の発熱がありながら出勤。
23時半になっても帰宅せず、メール入れた。
返信メールに
同期と有楽町で食事して、異動の愚痴を聞いてもらっていた。
今 新木場から乗車。
先日、エクセル解説書があるか聞かれた。
2010年版があったので渡した。
エクセルでの仕事があるのだろう。
1月から広報部門から総務に異動した。
後任への引継ぎと新しい部門への対処のため必死の作業。
娘にとって総務への異動は不本意だった。
上司から「新人ではできない、トップのお世話するには
状況判断できる人が必要」
大きな組織で働くには致し方ない。
不況で若者が正規社員にもなれない状況下で
志高く働けるのは素晴らしい。
娘の成人式の時も大荒れの天気で
タクシーで式典に出かけた。
正味60分の式典に、まだ会社の業績も良かったので
奮発して振袖を誂えてあげた。
だが、父親は娘の振袖姿は見ていない。
息子は成人式には出席していない。
台湾に留学中だったが、虫垂炎になり
台北市内の病院へよろよろになりながら行った。
手術には弊社社員だったKENNYが寝ずで付き添った。
私も急遽台北に向かった。
心配だからではなく、海外での医療費用の支払いと
保険外治療の為、現地医療機関に書類作成して
日本の保険適用申請のためだった。
私の成人式は山で迎えた。
昭和42年12月24日
立山から槍ヶ岳積雪期縦走
上野駅夜行列車で発つ。
昭和43年1月15日
北アルプス槍ヶ岳頂上直下で風雪のビバークをしていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AF
6日間雪洞に閉じ込められ、刻一刻下山予定日が迫っていた。
強烈な寒さと死への恐怖の中
トランジスタラジオで成人式の祝いの放送聞いた。
その時自宅には、テレビ局から電話で「遭難したようですが」の情報があった。
1月22日 下山 21歳の誕生日だった。
生まれて20年を経て誰もが通過点となる成人式。
当時は何も感じなかったが、年齢を重ねて
苦しいこと、悲しいこと、寂しいこと
楽しかったこと、一杯あったけれど
やはり成人式の日はどのように過ごしたかは
鮮明に記憶している。
16時40分 外は雪が積もりだした。
ショッピングセンターを渡る横断歩道では
若い女性が風雪の中、客を誘導している。
娘は夕食までに帰宅出来るだろうか
懸命にみんな働いている。
我慢我慢!
焦っては生きていけない。