馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

墓参り

2011-06-26 23:09:55 | 日記

626日(日)午前10時半外出。

昨日、大学同期だった友人の一周忌があった。

私は出席しなかった。

昨夜、彼と毎晩飲んだ自宅近くの居酒屋 「あんこう」で

店主とおかみさんとで彼を偲んだ。

客は一人もいない、あいつがいつも座っていた

手前端カウンター2つ目の止まり木の横に座った。

 店主が言う「ゴーストで隣にいるね」

亡くなる前2年間、毎晩ここで酒を飲み、店主があいつのためだけの料理を作った。

おかみさんも労わり痛む背中を摩った。

常連客もあいつの癌を知っていてみんなで優しく見守った。

私が彼に出来ることは殆ど無かった。

毎晩時間の許す限り、あんこうで付き合い黙って酒を飲むことだった。

私が来られないと、「寂しそうに帰る」と店主が言った

店主「一年が過ぎたのか!」互いに沈黙した。

おかみさんが「明日、会話してらっしゃい」!

店主が手を○にして「その通り」

赤提灯が一瞬輝いたように見えた。

    

谷津干潟を見ながら、遊歩道を歩き谷津保健病院へ向かった。

彼の衣類を持って通った道だ。

病院に入り3階の病室を見た。

彼は20106252027分この病室で逝った。

応接室に座り、ぼんやりと思い出していた。

624日夜8時過ぎ 「兄は後2時間の命です」と

妹さんの知らせで病院に駆けつけたのだ。

頑丈な体躯が骨だけになり、点滴も止めていた。

妹さんと私で彼の手を握り続けた。

室内の時間と全てが止まっていた。

微かに握る手に電流が走った。

その夜、生き続けたのだ

7時妹さんと早朝食堂で今後の事を話した。

自宅に戻り出勤した25日夜、柳橋にいた私へ

妹さんから「兄は亡くなりました」の電話がきた。

  

あれから1年が過ぎた。

津田沼から新京成線に乗車して初富で下車。

駅から鎌ヶ谷小学校横の坂を下ると初富共同墓地がある。

寺でも霊園でもない広大な斜面に墓が雑然と建っている。

周囲は住宅地に囲まれている。

あいつの住む墓は斜面一番下で道路を挟んだ向かいは戸建の玄関がある。

この住宅地に住むのは勇気がいる。

墓に正午着いた。

前日 一周忌で仲間が捧げた生花が生けられ、

線香の残りと煙草の吸殻があった。

私は日本酒を墓に注いだ。

私は立っていた。ぽつりと雨の気配、

見上げると斜面並ぶ墓石と卒塔婆上に灰色の空間だけだ。

無念無想でひたすら墓前に佇んだ。

石に刻まれた記録

母親は平成16118日 76歳死去

父親は平成16211日 87歳死去

友人は平成22625日 61歳死去

   

父親は連れ合いに導かれるように、ひと月もしないうちに亡くなる。

息子の彼は独身で父親より26歳も短い人生だった。

 

かけがえのない愛おしいいのち。人は、この世に生まれ、生かされて、生きて、死んでいく。ただそれだけのことなのだ。

 

13時、我に返り、墓地を出て中華料理屋を探した。

緩やかな坂道にチャイナハウスの看板があった。

入店して生ビール、と日本酒、野菜炒めを注文

  

彼が生前の頃、土日昼は住まい近くの中華店で昼飯を食べた。

必ず ビールと日本酒と野菜炒めだった。

老夫婦二人でやっていた中華店もあいつが亡くなる少し前に

閉店した。病を案じて店の奥さんはやはり特別料理を作った。

ある日、浜町橋ですれ違い亡くなった事を告げると

中華店の奥さんは橋の欄干にもたれ彼の住まいに向かって

黙祷していたが大粒の涙が流れていた。

あいつがゴーストとなって現れる?

食べ、飲みながら回想した。

私には形式ばった葬儀とか一周忌は苦手でなじまないのだろうか?

華やかにみんなで語り合う!

そんな事より、あいつの心の内を静かに偲んであげたい。

 

ずっと昔、大学山岳部同期が北アルプスで転落死した。

遺体を背負い涸沢のテント場まで下山、

他の部員は麓まで下りた。

北アルプス氷河跡と言われる場所で満天の星空の下で遺体の同期と一晩過ごした。

その夜、警察や救助に当たってくれた方々に非難された。

お礼の一言もない私達の対応に怒った。

私は悄然と上高地を一人下山した。

都心で営まれた立派な葬儀を私は片隅で見守った。

 

それから、又山岳部同期が癌で51歳で亡くなった。

余命旦夕迫るのを奥さんが知らせてきた。

富山行き特急列車に飛び乗った。

お盆の暑い陽差しが緊急病室をブラインド越しに

同期の痩せた顔を照らしていた。

やはり手を握り動かぬ目蓋を見つめた。

帰京後、状況を知った先輩から、見舞いに行くから

場所を教えろと電話してきた。

見舞いは家族から「遠慮願いたい」と言われていたので

反対したが、聞き入れてもらえず4人で富山の病院へ行った。

先輩たち4人はそのまま富山の宇奈月温泉に宿泊

理由をつけた仲間内旅行だった。

まもなく同期は死んだ、だが先輩達は葬儀に参列しなかった。

次の年、夏の終わりに墓参りした。

田んぼの片隅にある墓に奥さんと酒好きだった同期に地酒

立山を墓石に注いだ。

富山平野に濃い青と薄い青の稲穂が波のように揺れ

仰ぎ見る立山連峰まで続いていた。

 

そんな回想してほろ酔いで新鎌ヶ谷駅に出て船橋駅に降り立った。

海老川に差し掛かり、あいつと必ずしたマーキング(放尿)川に向かってした。

川沿いを河口に向かうとあいつが住んでいたマンションが見えた。

妹さんが「売りに出しているがまだ売れない」と言った。

3階の窓辺に向かって合掌した。

 

15時半自宅に戻った。

それから午睡した。

私とあいつは二人だけで語り弔うのが良いのだ。

声帯を失った彼だが元々口が重かった。

病室で「お前が来てくれると安心だ」とメモを出した。

私の苦境も知っていて「起き上がりこぼしのお前だ、這い上がれ」

メールしてきた。

私が殺意まで感じた裏切りと騙しの会社とその夫婦に彼はとても心配して

「俺が元気になったら片付けてやる」それまで待てと書いた。

私は「そうだ、回復したら一緒にやっつけようぜ」と笑った。

互いに、出来もしない行動に心深く気付いていた。

互いを互いに励ましあっていたのだ。

 

私が寂しくなったら、初富の住まいに行くからな!

 

ジョー・ブラックをよろしく のようにあの世から出てくるか

もっとも、ブラッドビッドみたにカッコようくはないが

偶然の出会い、突然の死、そしてゴースト

 

ワーズワースの名言集

人の一生における最善のもの。それはだれの目にも触れない、だれの記憶にも残らない、愛と思いやりのこもった細やかな行為。