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雑草魂



ずっと雨が降りません。
野菜の高騰を招くでしょうね。

けれど雑草の勢いは衰えません。
雑草に敬服します。
「雑草魂」というコーナーを作ることにしました。



これはエンジェルファームの菜園から、お隣の田んぼに侵入し繁茂するセリとミント。彼らも雑草です。本来、ハーブ=雑草です。私たち人類は古代文明の時代から、雑草の逞しい生命力を「お薬」として生かしてきました。



タンポポもハーブ=雑草です。
仏教詩人・板村真民はこんな詩をつくりました。

「たんぽぽ魂」

踏みつけられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする

板村真民『詩国第二集』



前にもブログで話題にしましたが、古崎順子さんのこの本で
雑草のことをこんなふうに語っています。

なぜ野草ではなく、わざわざ雑草というのですか?

と聞かれた話が載っています。

踏みつけにされがちな雑草たちのことを思うと、その言葉にこだわることで、私の体のなかに熱いものがこみ上げてくるのです。

雑草たちは踏みにじられ、見向きもされないで・・・・と思っていましたが、同じ畑で肥料をもらい、急かされるように市場に出される野菜に、もし心があるとしたら、どちらが幸せと思うでしょうか。
踏みにじられても、自分の命の自然にまかせて生きる雑草のいじらしさに、私は共鳴してしまいます。少しでもその可憐さと強さを自分の命に取り入れたいと、ついに食べることをはじめていました。




さてこれは庭師をされているご夫婦が書かれた楽しい本です。
いわゆる“日本庭園”は徹底的に雑草を嫌います。
今となってはそれは不自然でアンチ・エコロジーなスタイルとなっていると思います。事実、多くの日本庭園で農薬や除草剤が使用されていると思います。

私はこれからの庭は蝶やトンボやバッタ、セミ、ブンブン、カエルたちを招き、雑草たちと共存するビオトープでなければならないと思います。



柳宗民(やなぎむねたみ)の雑草ノオト。
彼の素敵な文章と、三品隆司の素敵な挿絵。
今夜ウィキペディアで検索して
2006年に亡くなっていたことを知りました。

柳宗民のお父さんは、民芸運動の柳宗悦(むねよし)。
長男はインダストリアルデザイナーの柳宗理(むねみち)。
次男は美術史家の柳宗玄(むねもと)。
三男が園芸家の柳宗民でした。

私は京都芸術大学の学生時代に、学校の古めかしい図書館でケルト美術の分厚い画集に魅せられ、長い時間をそこで過ごしました。当時ケルト美術なんて、ほかで見ることはできませんでした。その画集の解説文が柳宗理でした。それは学者の書く文章ではなく、まさに“詩”でした。ケルト美術に劣らない素晴らしい詩でした。

その弟さんの「雑草ノオト」もやはり素敵な文章で驚きました。
“雑草”という存在がもっと見直されて欲しいと思います。