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トノサマガエル



薔薇の根元で育っているカモミールを広いところに移すために掘ると、トノサマガエルの子供が冬眠していました。こうやって毎年、アマガエルやツチガエルの冬眠を邪魔してしまいます。

ツチガエルより少し大きいぐらいですが充分食べて冬眠したのか、よく太っています。最初はボーっとしていましたが、自分で向きを変えることができました。
それにしてもトノサマガエルが絶滅しかかっているなんて驚くべきことです。なぜもっと話題にならないのか不思議です。

日本のレッドデータブック:トノサマガエル
http://jpnrdb.com/search.php?mode=map&q=03020050084

大分県は絶滅危惧2種に指定されている。
「カエルなんていなくなってもいい」という考え方があるとしたら、それは大変な間違いなんですが、それを生物の時間に学ぶことがないようです・・・

何年も英語を勉強したけれど英語が話せない、それと同様に何年も生物を勉強したけれど、多様な生物との共生によって地球生態系が維持されているということを学んでいません。ミツバチとアブを見分けることができないのと同じことが起きています。

モズのメス



今朝、窓から撮りました。
庭のモミジの枝にとまっています。
前から気になっているんですが、名前がわかりません。



去年12月5日に撮りました。
私の持っている大分野鳥図鑑にはでていません。
どうしても気になって検索していると「日本の野鳥識別図鑑」というサイトがヒットして、ここで見つけることができました・・・・・モズのメスだったんです↓
https://zukan.com/jbirds/

野鳥を愛するみんなの投稿でつくっていく図鑑、素晴らしいです。花蜂図鑑もそんなふうにつくることができたら素晴らしいと思いました。



2018年2月20日に撮ったモズのオス。
オスとメスの姿がかなり違っていたんです。

みつばちバジーちゃん



熊本県菊陽町のケーキ屋さん「木いちご」
http://www.kiichigo.jp/start/store.html

先日、初めてこのお店でケーキを買ったんですが、そのときヴィラモが可愛いミツバチのイラストが入った紅茶の小包装も買いました。
調べると、やまだうたこさんというかたのイラストでした。そして彼女はカレルチャペックという紅茶店の創始者でもありました。
https://www.karelcapek.co.jp/

とりよせたのがこの絵本『みつばちバジーちゃん』です。
さらっとシンプルに描いてあるけれど可愛い!



毎日がちいさな冒険だった。
子どものころを思い出して
この絵本をつくりました。


と、やまだうたこさんは書いています。
これからの子供たちにとっても、豊かな自然のなかでの冒険が必要だと思います。
ケーキ屋さんの「木いちご」のオーナーシェフもこう書かれています。

生まれ育った群馬の山の中で、ワクワクしながら遊んだ幼い日の遠い記憶の中には、森の木々が風に揺れる音や草花の香りが鮮明に残っています。そんな自然に対する感動や感謝の想いを象徴する言葉が「木いちご」なのです。

ブロッコリー第二弾



先月、先々月、ブロッコリーを一度収穫しました。
家庭菜園の場合、それで終わりではありません。
最初に収穫したものと比べるとずいぶん小さいですが、小さなサイズのものがいくつも育ってきます。
この小さなサイズのブロッコリーをスーパーマーケットで売っているのを見たことがありません。商品価値がないからでしょう。でも品質的には何も劣っていません。ただ単に小さいだけです。







カモミールが開花寸前の株があります。霜があたって花びらが痛んでいますが、ほとんど開花だと思います。まだ2月3日。いくらなんでも早すぎる・・・

越冬するツチイナゴ



ヤブランの葉を切り落として春の準備をしていたら、ヤブランの根元に潜んでした。さっと機敏に避難した、その姿。冬だからといって、もうろうとしているのではないんです。
後ろ脚一本失っています。そういうことにめげずに健気に生きのびている姿に感銘を受けました。





こちらは去年の11月18日に撮ったツチイナゴ。カボスかハッサクの実のうえで休んでいる。

梅開花



梅の開花が始まりました。
まだ「ちらほら咲き」とは言えない程度に。
1%咲きですらない、もっと少ないくらいでしょう。
耳を澄ましても蜂の羽音は聞こえませんでした。

最近痛切に思うことなんですがインターネットの登場によって、本当に国境がなくなってきた・・・
自分の部屋にいながら、あらゆる国の情報が入ってきます。遠い国の人々と言葉を交わすこともできます。
html://www のwwwとはワールドワイドウェブという意味で、網の目のような通信網が地球サイズになった。とうとうワンワールドの時代になったと思います。
新型コロナウイルスのことでもワンワールドだし、ミツバチのことでもワンワールドです。World Bee Dayがそれです。今年は日本も参加するべきですね。

鴨池



私たちは少なくとも一週間に一度は温泉に行くようにしています。せっかく温泉に恵まれた地域ですから。
今日は阿蘇坊中温泉「夢の湯」に行きました。以前は日帰りできる地域の様々な温泉を試しましたが、今はほとんど下の四つの湯を愛用しています。

阿蘇坊中温泉「夢の湯」
長湯温泉「ながの湯」
大分市「天の川」
菊池市「後藤温泉」

いづれも観光客むけではないので、地味な施設だけれど泉質は優れています。私たちは湯治・薬用目的に利用しているのでお洒落である必要がありません。

今日行った阿蘇の夢の湯の近くの池がこの季節、鴨がいっぱいです。思うに、江戸時代みたいにみんなが分散して生きたら、みんなが温泉や野鳥の風情を楽しんで生きることができます。

私たちが住んでいる大分県竹田市(人口2万人)の場合、コロナウイルス感染者は10数人。死者はゼロです。コロナウイルスが発生して1年たちますがこの数値。

大分県は人口113万人。今日までの感染者1,145人。死者17人。この一年間の死者が17人で、そのほとんどが高齢者。
明らかに文明を変更するときが来ていると思います。

英語版に着手



去年の秋ごろから花蜂のページを作り始めました。
骨格ができて、これから肉付けしていく段階になったと思います。今日、ヴィラモは英語版を作ったらいいとアドバイスしてくれました。

私は地球の生態系にとっていかに花蜂の存在が大事であるかとか、World Bee Dayが行われていることをまったく知らない日本の人々に情報を届けたいと思って作ってきました。

ヴィラモが言うように、まずは花蜂の大切さを知っているひとたち、World Bee Dayに共鳴しているびとびとにつながるほうが早いかも知れません。

Honey with Heart


この短い動画に心打たれました。
アフリカ中央部のマラウイ共和国。
世界最貧国だという。
下から二番目とか・・・

養蜂を始めることによって希望がみえてきた。
彼らは蜜蜂のことを歌って進む、裸足で。
子供たちは満面の笑顔で走る。

Honey with Heart
心のこもった蜂蜜プロジェクト。
ハートのハニープロジェクト。
彼らはけっして貧しくなんかないと思います。

ロールス・ロイスが養蜂???

二日前の夕方、長湯温泉「ながの湯」につかった帰り、ながの湯の近くのエリアで車のまえにイノシシが現れ、車のヘッドライトをハイビームにしたら、ゆっくりと逃げていきました。車を恐れている様子はありませんでした。

そのあとの帰り道で、野良猫がいると思ったらキツネでした。人口は減る一方ですが、イノシシや鹿、キツネ、タヌキ、テン等は増えている。
もともと彼らの居住域を人間が奪ってきたんでしょうが、地方の過疎高齢化が進むなかで再び彼らの勢力が増してきている。自然なことではありますが・・・

さて、あのロールス・ロイスが養蜂を開始しハチミツを生産したこと知っていますか?
https://response.jp/article/2020/05/21/334816.html

世界ミツバチの日のページ、少しづつ進行しています。世界中がWorld Bee Dayに参加していることがわかるようにしています。
https://angelfarm.jp/healing_garden/world-bee-day01.html

日本が参加していない異常さが際立ちます。
どんな理由で参加しないのでしょう。
検索してもさっぱりわかりません。

サツマイモは生きている



前にこのブログで同じことを話題にしました。
それをHealing Gardenのコーナーに持ってきました。
https://angelfarm.jp/healing_garden/satsuma_imo01.html

World Bee Day



大急ぎで「World Bee Day」のページをアップしました。
とりあえず骨組みを作っておいて追々肉付けしていきます。
https://angelfarm.jp/healing_garden/world-bee-day_index.html

ぶんぶんぶん



ぶんぶんぶん はちが とぶ
お池の まわりに
野ばらが さいたよ
ぶんぶんぶん はちが とぶ


子供のときに歌ったと思います。
もとはチェコ・ボヘミア民謡だったという。
これにドイツの詩人ホフマン・フォン・ファラースレーベンが歌詞をつけたドイツ語曲 "Biene"が1843年にできたという。日本語の「ぶんぶんぶん」は戦前に村野四郎が作詞した。もとの詩とはかなり違います。

ドイツ語では“Summ Summ Summ” ズムズムズム。



英語ではBuzz Buzz Buzz バズバズバズ。

ポスト物質主義サイエンス



↑非常に長い動画なので、神経科学のウーラコット教授のところから開始。

以前、「ポスト物質主義サイエンス」のことを話題にしました。
今年、ミツバチのことやSoul Stoneやハート瞑想のことを発信するにあたって、「ポスト物質主義サイエンス」のマニファストが語っていることは重要な基盤になると思います。
https://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/25a0edbda0f53d246d18a8acdc4181f7

自動翻訳で大雑把な意味はつかめるかと思います。
←動画画面右下にあるこの設定アイコンをクリックして[字幕]をクリック→英語(自動生成)をクリック→[字幕]をクリック→[自動翻訳]をクリック→一番下にでてくる[日本語]をクリック。

次々と現れるコマーシャルがうるさいときはBraveを使うといいです。私はそうしています。https://brave.com/ja/

マージョリー・ウーラコット Marjorie Woollacott 博士は30年間、合衆国オレゴン大学の神経科学 Neuroscience の教授をされているという。
https://marjoriewoollacott.com/

「私たち自身と地球への思いやりの拡大 Extending Compassion to Ourselves and the Planet 」と題したブログのなかで彼女はこんなふうに書いています。

私たちの分離の感覚が個人と惑星の両方の苦しみを生み出すものである。
our sense of separation is what produces both individual and planetary suffering.

惑星の変化の鍵は、瞑想で経験した一体感と、この一体感から自然に浮かび上がる感覚、つまり思いやりであると私は提案します。私の前提は、私​​たち人間が分離の幻想を超えれば、私たちはより幸せな個人になり、これがより健康な惑星につながるということです。

I propose that a key to planetary change is the sense of unity experienced in meditation and a feeling that naturally emerges from this unity awareness: compassion. My premise is that once we, as human beings, go beyond the illusion of separation, we become happier individuals and this leads to a healthier planet.

私はこの前提に取り組み、思いやりそのものの本質を探求したいと思います。思いやりは人間の生来の特徴ですか?それとも私たちが学ばなければならないことですか?私たちは思いやりを育むことができますか?

I will address this premise, and I also want to explore the nature of compassion itself. Is compassion an innate human characteristic? Or is it something that we must learn? Can we cultivate compassion?

私は神経科学者であり瞑想者でもあり、40年以上の経験があります。瞑想は、唯物論的な科学的基盤を超えて私の視野を広げ、他の人々とのエネルギー的なつながりだけでなく、私自身よりも大きな意識を持っていることを私に認識させました。

私が他のすべての人とのつながりを感じるのは、この拡大された意識の範囲内です。より大きな全体の一部であるというこの相互接続の感覚の自然な要素は、深い思いやりの感覚、つまり他者や地球全体への思いやりです。思いやりとは、本質的に、他人に起こったことは自分自身にも起こっているという感覚だと思います。

I am both a neuroscientist and a meditator, and I have over forty years’ experience with both. Meditation expanded my perspective beyond a materialistic scientific foundation and gave me an awareness of an energetic connection not only with other people but also with a greater consciousness than my own. It is within this expanded consciousness that I feel my connection with all others. A natural component of this sense of interconnection, of being part of a greater whole, is a profound feeling of compassion—compassion for others and for the planet as a whole. I would say that, at its heart, compassion is the sense that what happens to another is also happening to oneself.

白菜を干す



昨日収穫した白菜を半分に切った姿。
虫食いあとがあるのは外葉だけで内側は非常にきれいです。



断面が瑞々しく美しい。
「ボロは着てても心は錦」です。

「ボロは着てても心は錦」を検索すると、「ボロは着てても心は錦? 米国にそんな言葉はない」というサイトがヒットします。「Men's Fashion できる人は見た目が10割」というサイトです。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO24477800R11C17A2000000/

錦を着ててもも、心はボロ・・・私たちはそういう野菜を育てたくありません。自給用の家庭菜園だからできることで、スーパーマーケットで販売するなら、おっしゃる通り「見た目が10割」かも知れません。



二分の一カットは私が包丁でやりましたが、それをヴィラモが手で裂いてさらに二分の一にして(全体として四分の一になる)並べて干しました。



これは今日の様子。白菜は切っても生きているので、葉が少し立ち上がっています。今日はヴィラモが塩で下漬けしました。



昨日非常に暖かでしたが、今日はさらに暖かくて庭仕事すると汗ばむほどでした。
これはホトケノザで吸蜜しようとしているツマグロキチョウ。四羽が舞うのを見ました。ローズマリーで吸蜜するヒラタアブの写真もとりました。カエルの声も聞きました。
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