のんびりだらだらあれとかこれとか…
あれとかこれとか (Lefty)


Wikiエンジン開発の停滞――5年以上正式リリースがないPukiWikiと3年半ぶりバージョンアップしたHiki - YAMDAS現更新履歴
もう Wiki エンジンの開発が活発に行われる季節は過ぎたのか……

Wikiというソフト自体がある程度技術的に「枯れた」というのも
原因の一つなのでしょうが、
Wikiという仕組み自体にも限界がある気がするんですよね…。



ウィキ - Wikipedia
ウィキ(Wiki)あるいはウィキウィキ(WikiWiki)とは、ウェブブラウザを利用してWebサーバ上のハイパーテキスト文書を書き換えるシステムの一種である。それらシステムに使われるソフトウェア自体や、システムを利用して作成された文書群全体を指してウィキと呼ぶこともある(「~に関するウィキサイト」など。


ブログはフロー、Wikiはストック - モジログ
なんて記事を読んだりして、
「固定コンテンツ」を載せる場所として、Wikiに期待したり使ってみたりしました。
なんだかんだでブログは時系列以外の見せ方が難しいので…。

現在でも仕事周りの情報をまとめるために社内でWiki(別ソフトの付属機能ですが)
をつかったり、半分放置気味のサイトを思いついたように更新したりしてますが、

最初はとっつきづらくて、ちょっとなれると「これはいい」となる。
でも、ページの量が増えていくとだんだん窮屈になって来ました。

少なくとも私が使ってた複数のWikiでは
「ページタイトル=URLなので、タイトルの重複が許されない」
ので、タイトルをつけるのに変に気を使ってしまうんです。

もちろん、その形式を使ってるからこそ
リンクの記述が楽になるという部分があるのですが、
個人的にはそこは「実際のページを開いてURLコピー」という手間を踏んでも
タイトルと関係のないURLの方が書いていて気が楽なんですよね…。

やっぱり、Wikiって本来の「集合知の結集の場」という使い方を想定していて、
もっというと、「辞書・百科事典」として使うには便利だけど、
それ以外の使い方には仕組み上向いていないんじゃないかなという気がします。

…って考えたら「Wiki=Wikipedia」ってなってしまうのも
仕方のないことなのかもしれないですね…。

# そういう制限のないWiki(というかCMS?)ってないのかな…
# 結局Wordpressになっちゃう?
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以前、こんな記事を書きました。
ブログサービスがやってはいけないこと
「データ紛失」とか、「個人情報の流出」とか、ブログサービスがやってはいけないことはいろいろあるとは思うんですが、その一つに、「URLの変更」があると思うんですよ…。


繰り返しになりますが、ブログでは、リンク先も記事のうちだと思うので、
書く記事のURLまたはURI(同じ事なので以下URLで表記)って、
すごく大事だと思うんです。
以前に書いた記事のリンク先がリンク切れというのは極力無くしたいし、
(今はほとんど使う人はいなくなってるけど)トラックバックだって、
URLが変わらないことが前提なわけで…。

で、同じ話がbloggerでも最近あったみたいですね。
俺の+1返せ!ヽ(`Д´)ノウワァァァン!! URLリダイレクトでBloggerブログが悲惨なことに…… ~ Plus One World
この場合は、 ブログが国別の URL にリダイレクトされる理由 - Blogger ヘルプ によると、
国別のドメインは、ユーザーが現在いる場所で決まります。
ということなので、元記事からのリダイレクトがなくなるということはないのかもしれませんが…やっぱり嫌ですね。

それに関して思い出したのが、最近(一部で)話題になっている「はてなブログ」。
既存の「はてなダイアリー」があるのに、こういうサービスを立ち上げるということは、将来的に「~ダイアリー」の方は潰すつもりなんですよね?
で、そうなった時、既存ダイアリーをはてなブログに移行した上で、
ページ単位でのURLリダイレクトをきちんとやってくれるかというと…
そういうことはないんじゃないかと思うんですよね。

はてなブログの説明文に、
書き残そう、あなたの人生の物語

とあるのですが、そういうところに自分の人生を書き残す気には私はなれないです。

ということで、gooブログさん。
こっちは大丈夫ですよね?

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「TwitterがFacebook、Googleと買収について話し合い」の報道 - ITmedia News
うーん。Twitterって経営収支はそうよくはないという印象もあるし、
身売りというのはありそうな話だとは思うのですが…。
Googleのほうがまだましかな。このなかなら。

Facebookって、
Facebook、サードパーティへのユーザの住所&電話番号の提供を進める方針 « TechDoll.jp
という感じで結構Evilなことを平気で仕掛けてくるという印象があり、
そこに情報を預けようという気にはなれないし、
そういう会社に社会的インフラを握られてしまうというのには結構警戒感が強かったりします。
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ちょっと前にTwitterかどこかで、

「○○は実名登録だからスパムや怪しい業者がいない」

というのを読んで、一瞬納得しかけたのですが、
よく考えたら、電話とか郵便とかを考えると、
実名登録必須で、さらに送信に費用がかかるのに
スパムや怪しい業者がわんさかいるわけで…。

そういう人たちには気づかれていないし、
その価値があると思われていないということなんでしょうね…。


まあ、「Facebookでマーケティング」なんてのもちらほら出てきてるわけで、
順調に?いったら「~でお金儲け」になってくるんでしょうね…。
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以前から、ニュースサイトで紹介されたり等で、
2chまとめブログを見る機会は結構多いです。

その手のブログが始まった当初は、
いかにもブログという感じのレイアウトのものが
ほとんどだった記憶があります。

それがだんだん過去の人気記事とか、
はたまた他のサイトの記事紹介とか、
記事よりもそういう記事以外の物が増えていって、
しかも記事本文よりも幅をきかして…
最近は画面2つ分スクロールしないと記事のタイトルすら出てこないとか…
しかもページがばか重くてスクロールするのも大変だし…

……って…あれ?
なんだかこのパターンのレイアウトってどこかで見た記憶が…。

……あ!わかった!これってエロ動画紹介サイトの作りだ。

たしかに両方共多くの閲覧者や広告収入が見込めそうなジャンルだし、
今のレイアウトもアクセス解析などでいろいろ
試行錯誤した結果なんでしょうね…。

でも、それって
「装飾過多で使い勝手が犠牲になるくらいが閲覧数や収益性はあがる」
と言われているような気がして嫌ですね…。
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続・新型インフルエンザは 「騒ぎすぎ」なのか?について分析的に考えてみる - 米野宏明(Hi - ZDNet Japanと、そのコメント欄を読んで思ったこと。(*1

記事の本文には、
旬なうちにこの問題をもうすこし掘り返してみたいと思います。と言ってもマスク論ではなく、分析視点ついて、なので、タイトルには偽りありです。
たとえば、以下すべて数値は何だっていいのですが、仮にマスクは全体の 5% のウィルスをカットできるとしておきましょう。

と書いているし、大見出しを並べてみても 
  • マスクはウィルス防御に有効か?
  • 「有効」 の定義は?
  • 「モデリング」 の罠 ― 「汎化」 と 「前提」
  • 「前提」 を持った 「仮説」 で戦う・支持する
なわけで、導入部以外はマスク是非論とは全く関係無いですよね。

で、私は、この分で言いたいのは「前提や定義なしに議論しても意見をぶつけるだけで、何の進展も無い」ということじゃないかと考えてます。
この連載自体が「BI【ビジネスインテリジェンス】」がテーマなわけで、
統計における確率論と現実行動における心理とのギャップによるもので、マーケィング分析など日常でも陥りやすい罠とも言えます。
ということらしいので、重要なテーマだったりするんじゃないかと…。

で、
そもそもこれは論点ではなかったのですが、この部分に対する賛否(否のほうが多いですが)のコメントが多かったので、またこれを題材にしてみましょう。
と冒頭に書かれている記事のコメントがほぼすべてマスクの是非論になっているというのはある意味すごいなと思いました。

多分、書いたほうからすると「タイトルで釣ったもの勝ち」という部分も多少見越してこのタイトルつけたと思うのですが、その反応はどの程度予想の範疇だったんでしょうか…。



*1:以下引用部分の太字は引用者(私)によるものです。
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最近、「はてなブックマークにマイナス評価をあたえ、ある程度以上のマイナス票が集まったら非表示になる(またはオプションで選べる)」という話が出ているようですが、
それをやったらどうなるかというのは、現在の人力検索の(以前に比べての)衰退っぷりが答えなんじゃないかなと思います。
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久しぶりにメタブログ系の話を。

存在しない前提を持ち出すなよ - ekken?
と、いいや「拾いもの画像」は拾った人のものじゃ! - くっぱのブログ
の話。

  ekkenさんが「議論の余地のある部分」と「議論以前の問題」とを切り分けて質問しているのに、quppaさんが、その意図を理解していない(で、ekkenさんが、そのことを理解していないもしくはする必要性を感じない)のがポイントのような気がします。

  ekkenさんが引っかかっているのは、記事の主題ではなく、あくまでも
ネット上にあまた存在する玉石混淆のフリー画像の中から良いものを拾い集めたら、それは拾い集めた人のものになっているわけで
という部分なわけで、その部分の論理展開はさすがに私も「んなわけないでしょう」と考えます。

  え?理由ですか?
著作権 - Wikipedia
著作権は、著作者に対して付与される財産権の一種であり、著作者に対して、著作権の対象である著作物を排他的に利用する権利を認めるものである。

で十分じゃないですか?
  「ネット上にあまた存在する玉石混淆のフリー画像」について、他人の使用を制限するというのは「著作権を主張」しているわけで、作成者の許可無くそれを行うならそれって、窃盗といってもいいんじゃないかと。実際各ブログサービスの規約にある著作権条項って、そのあたりをクリアするためにあるわけで。

  …とまあ、これで「ekkenさんが切り分けた部分」については終わっちゃうわけですが、それだとquppaさんには説明不足だと思うので、もう少し。

  quppaさんが、その主張を裏付ける例えとして、
いいや「拾いもの画像」は拾った人のものじゃ! - くっぱのブログ

  たとえばAさんがBさんのある身体的な特徴(たとえば、チビとかハゲとかデブとか)に気付くという形で、落ちていた「Bさんの身体的な特徴に関するその注目点」を拾ったとすると、もはやその拾ったものはAさんのものです。
ということをいっているのですが、「身体的な特徴」を拾うというのは、その「拾う」ということ自体があるいみ創作活動なわけで、その時点でAさんとはある意味切り離されているわけです。(写真の著作権は被写体じゃなくて撮影者にある)
  でも、Aさん自体にそれが及ぶわけではないですよね?
  なので、その例えをネット上の画像に持っても「ネット上の画像を紹介した記事は紹介者のものだけど、画像自体に権利を主張することはできない」という結論になると思います。

  とはいえ、この記事の全体をよく読んで見ると、quppaさんが言いたかったのもそういうことじゃないかとは思うんですよ。
  実際記事の最後のほうには
いいや「拾いもの画像」は拾った人のものじゃ! - くっぱのブログ
の全文をがんばってよく読んでみたら
素直に解釈するならば「紹介された『画像のラインナップ』そのものを使用する際には、ラインナップを作成した人に一言コメントをするのがマナー」と考えているとするのが自然であるような気がします。
ということを書いているわけで。
  ただ、こういう「主張」をするときって、結論が妥当なものであったとしても、その途中の論理展開に無理があるとその主張が伝わらないし、ましてやそれがタイトルならそれが一番伝えたいことと思われても仕方ないんじゃないかなと思います。
  結論に自身があるなら指摘されたときにその部分は認めても結論は揺るがないし、「そんな瑣末なことに」ということもできるでしょうが。部分的ではあれ、明らかな誤りを認めないならそれは全体的な説得力にかかわってくるんじゃないかなと思います。



とはいえ、「紹介された『画像のラインナップ』そのものを使用する際には、ラインナップを作成した人に一言コメントをするのがマナー」というのも個人的には「それは無いだろう」と思いますがそれはこの記事の趣旨とは外れるので…。




(4/6追記)
元記事にいろいろ追記されてますが、これ以上こっちが補足しても議論が拡散するだけのような気がするのでひとつだけ。

要するに、どういう状況であれ自分が見つけてきたフリー画像の「画像自体」に対して権利を主張するというのなら、その返事としてはこの記事のタイトルで十分だと考えます。
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「W3Cに準拠していないIEなんて、無視すればいい」
というのは、スプーンを出さないインド料理店みたいなものかもと
少し思いました。
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某所を見て思ったこと。こんな泡沫ブロガーが書くことじゃない気もしますが。

いくら人気ブログだからといって、「ブロガーとしての正しさ」みたいなものを
読むほうは要求しすぎなんじゃないかなと思ったのです。

なんだかんだいって、ブログ内での意見の整合より、
目の届く範囲でのつながりが大事だとは思うのですよ。
読者なんて、結局は作家を裏切るものだったりするし。

いやな読み方をすると
「僕の意見が変わるわけじゃないけど、みんなの見てるところで言っていい意見じゃないよね。なので撤回します。あと、この件に関しては個人的な体験の範囲でおさめたいので、これ以上の議論はしません。」
という解釈にもなるのですが、それはそれでいいんじゃないかと思うのです。
多分ある種のレッテルは貼られたままで、それはきっと変わることは無いと思うのですが、それって現代日本では多々見受けられる意見の範囲(一般的に受け入れられるかは別としても)だと思うし、「はがさないこと」を選んだというのも、個人的にはありだと思います。
結局個人ブログなんだし。「正しさ」のために我慢する必要は無いと思います。
「残しておくべき」より「残っているのが個人的に許せない」の方を優先するのは当然でしょう。

で、私もブログ始めた当初、そういうトラブル起こしてしまったことはあったけど、
それが小規模でもかなり負担になるんですよね。
特に自分に責があると感じている場合は…。
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