「いつから僕たちは手を叩きながら笑うようになったのか」 - いつか電池がきれるまで
誰かのギャグに対して他の学生たちが、手を叩きながら笑うことに気づきました。拍手ではなくて、柏手のようにして、笑う時に顔の前で手を叩く。僕たちが若い頃にはなかった習慣です。いつこんな作法が始まったのだろうと不思議だったけれど。
(中略)
日本だけかもしれない。そこから推察すると、テレビのお笑い番組の影響なんだと思う。関根勤さんなんかが典型だけど、お笑い芸人のほとんどは、顔の前で手を叩きながら笑います。あれは目立つためですよね。それがいつからなのかわからないけど、テレビ画面を通して若い世代に感染した。
ブログ内の引用文から孫引用しましたがちょっと個人的には同意できないのです。
私も「柏手のようにして、笑う時に顔の前で手を叩く」ことは結構あるのですが、理由は「目立つため」では絶対にないんですよね。
ブログ内でfujiponさんもその結論には同意してなくて、
この森さんたちの対話のなかでは「テレビや芸能人の影響」が語られているのですが、僕自身には「真似をしている」というような意識はみじんもなかったのです。「目立とう」という自覚もまったくないし。 そもそも、そこで話の主役でもない僕が「目立つ」必然性なんてない。
「手を叩きながら笑っている」っていうときは「本当に面白いから笑っている」というよりは、「この話を自分が面白がっているほうが何かと都合が良さそうだ」というときのような気がします。
と書いてますが、私の場合はまたそれとも違う感じなのです。
そもそも
じゃあ、ひとりでテレビを観ているときに「面白くて笑う」というシチュエーションで、手を叩いているかと言われると、僕はたぶん「叩いていない」はずです。
私の場合はむしろ「一人でテレビを見ている時」にこそ拍手笑いをしている認識があります。
私が明確にそれを意識したのは確か2003年のM-1グランプリだったはずですし。(いやもちろんそれ以前にもやってたとは思うのですが…)
じゃあなんでそんなことをするのか。私の中では理由がはっきりしています。
「笑いの対象を『称賛』している」からです。
笑点で、歌丸さんが洒落の効いた回答をした時に起こる拍手、
それと笑いと、2つの感情が同時に起こった時に
私は「拍手笑い」をしているんだと思います。
実際は通常の会話の中でもすることはあるのですが、
その場合も「笑わせにいった」ことで笑った場合にしていることが多い気がします。
とはいえ、それも「笑いを評価する」という
おそらくM-1やオンエアバトル、いや、ひょっとしたら漫才ブーム以降から
続いてる感覚がその元となっていると思うので、
「テレビのお笑い番組の影響」だというのは私も同意するところではあります。
普段の会話でお笑い番組のような「オチ」がつかないといけないという
感覚が「拍手笑い」を誘発している部分は大きいでしょうし。
…それって個人的にはすごく嫌なのですが…。
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平成の初期頃に書かれた「大阪学」というタイトルそのままの民族学本が新潮文庫より4冊出ているのですが、その著者の大谷晃一教授によると
関西:能や狂言の連続した話芸が中心→吉本新喜劇もカラクリ仕掛けは無く役者全体の会話主体、上方漫才もギャグ無しの会話で連続的で切れ目なく笑わせる事が中心
関東:歌舞伎文化が主流、大きなカラクリ仕掛けや役者の大きなアクション(見栄)に対して拍手を送る習慣が根付く→ドリフの様なカラクリ仕掛けのコント文化が中心、また話芸も歌舞伎の見栄の様に「この1ネタに対し賞賛の拍手を送る」という断続的なスタイルが浸透
…という風に東西のお笑い文化の違いを分析されていました。
平成初期の本でして、当時読んだ時にはなかなかよく分析出来ていると私は思いました。
当方大阪出身ですが、大阪でも笑う時に拍手する習慣が始まったのは2000年頃だったと思います。ちょうど東京制作のひな壇芸人のトーク番組が全国ネットで増えて来た頃ですね。
その頃から吉本新喜劇でも笑う時に拍手する習慣が増えてきました。拍手が鳴り止むまで役者の会話がストップしてしまうので物凄くテンポが悪くなり、それを逆手に取ってカラクリ仕掛けやリアクション芸の様な拍手中も続行できる物が主体のコント調に変わりましたね。
今となっては関西も拍手だらけですし、大阪学の他の項目も全然あてになりません。
ただ、拍手文化が関西に根付くまでの過渡期を見ていた限りでは、「歌舞伎における一挙手一同の賞賛文化」の影響かなぁと私は思います。
それはそうとして、昔は芸人さんもちゃんとネタで笑わせていたのに、最近は笑わなければいけない空気(拍手しなければいけない空気)みたいなのを作る事に芸人や番組が必死な気がしますね。