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ごっとさんのブログ

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生命の多様性と新陳代謝

2018-08-17 10:34:36 | 自然
生命科学に関わっていると、「人類は不死を実現できないのか」という疑問が時折出てくるような気がします。

秦の始皇帝が不死を求めたという話があるくらい、昔から人は不死を切願してきましたが、そもそも何故わざわざ「命を創って壊す」という一見非合理なことを行っているかという問いになります。

こういった不死を考える場合、「死」の定義が必要となりますが、これもまた難しい点が多くあります。医学的には心臓が停止した場合を死としていますが、これはあくまで医学的なもので人間のような多細胞生物の場合、すべてが死に至るまではかなりの時間差もあるわけです。

人間の意識を支配する脳を考えた場合でも、身体が死んでも脳だけ生かすような技術はあるようで、この脳を脳死の人に移植した場合(うまくいくのかは分かりませんが)、この脳の人は新たな体で生き続けるといえるのでしょうか。倫理的な問題を別にすれば、現代の技術はこういったことも可能なレベルになっているような気もします。

さて生命はなぜ死ぬのかという点では、ヒトや生命にとって「死」の仕組みがもたらす恩恵は「非連続性」の意図的創出といわれています。生物は変化し続ける外界の環境に対して、連続的な変化だけではなく、非連続的なジャンプをすることによって生き残る術を持っています。

環境の変化の方が、生命の固体の中で連続的に起こりうる範囲の変化を超越しているからです。非常に単純化すれば、一つの固体が長時間行きながら子孫を増やすより、短時間で世代交代をしていった方が、環境の変化に対応し種として生き残れる可能性が高いということかもしれません。

生命が何によって非連続性を担保しているかというと「多様性」と「新陳代謝」と考えられています。新しいものが古いものと置き換わっていくという新陳代謝によって、連続的な性質では根本的に対応できないほど変化し続ける外界に対応しています。

違う個体として遺伝子が受け継がれていく生命の仕組みはまさにそのものといえます。種の存続にとっては固体に入れ替わりが必須ですし、固体の存続にとっても細胞の入れ替わりが必須となるわけです。

どのような個体、組織においてもその世界を構成する要素の新陳代謝と多様性による非連続性の創出が、外界が変化する前提での生き残る戦略となるわけです。

例えば細胞で言うと、固体をより良い状態に保つために積極的に引きおこされるプログラミングされた細胞死であるアポトーシスという現象があります。これはまさに。新陳代謝を促すことで非連続性の創出を行い、個体として生き残る方を優先しています。

いろいろ書いてきましたが、生命はなぜ死ぬのかというのは、種として生き残るためといえるようです。