富士山の五合目あたりを結んだ線を「お中道」と呼び、かつて富士講が盛んだったころには神と人間の境とされた聖域でした。(フジヤマNAVI)
江戸時代にはこの聖域には一般の人が立ち入ることは禁止され、富士登頂を3度以上果たした者だけがここを歩くことを許されたのだそうです。
3度の登頂と言うと「そんなの楽勝じゃんっ!」と思う方がおられるかも知れませんが江戸時代と言えば勿論交通機関なんて発達してはおりませんから江戸から登山口まで来るのだって一苦労だし登り始めるのはずいぶんと下の方からのはずですからそんなに簡単に誰でも出来るということではありませんでしたよねぇ。
そして今では崩落や落石の危険が伴うためお中道を一周することはとても難しいこととされています。
賢パパがこの「お中道」という名前を初めて知ったのはもう何年か前のことになります。
その時はただ漫然と「あぁそんなところが富士山にはあるのか」ぐらいにしか思っていませんでした。
それが去年のこの時に・・・初めてお中道を歩いてからいつしかお中道を一周してみたいと思うようになりましてその約1か月後にお中道の探検に行ったりしたこともありました。
そして今年の6月のことです。
「キングオブフジヤマ」ことわれらがやまちゃんに通算2回目となるこんなところを案内していただきまして、その際にやまちゃんから「次はお中道の一周をやりましょう」との温かいお言葉がありまして・・・思ったよりも早く機会が訪れたと喜んでいた賢パパです。
ただ、「キングオブ・・・」は別れ際にこう一言付け加えるのを忘れませんでした。
「25Km以上ありますからそれまでに鍛えておいてくださいね」と。
それを聞いた賢パパは期待と不安が入り混じった気持ちで毎日を過ごしておりました。
そして先月のこの時に下山の途中で出会った「キング」から「来月はお中道をやりましょう」との確約をいただきまして決行を日を「今か今か」と待ち続けました。
そこへタイミング良く届けられた一通の電子メール。
おぉ、まぎれもなくあのお方からのものでございました。
中を開いて読んでみると「今度の日曜日にお中道をやろうと思っていますが都合はいかがですか?」
お誘いがあれば万難を排して参加させていただくつもりでありましたがこの日は何も予定がない。
即答で返信するつもりが「ちょっと待てよ」、賢パパの登山のパートナーである「たむちゃん」とその親友の「ヒロ君」も行きたいって言ってたなぁ。
そこで彼らの都合を訊くと・・・二人そろって「お願いします」
やまちゃんにはその旨を添えて参加希望を返信して返事を待つと「お友達も一緒にどうぞ」との有難いお言葉が。
前置きが長くなりましたがそんな経緯があって一昨日の決行となりました。
出発時刻の5時半を待ちきれず賢パパが集合場所に着いたのはまだ4時前のことでした。
天気予報は「曇りのち晴れ」だったはずなのに空を見上げれば満天の星。
写真を撮ったらしばらく仮眠。
5時過ぎに起き出して準備に取り掛かる。
やがてたむちゃんとヒロ君も姿を現しあたりをぶらぶらしていると・・・どこかで見たことのある若者が。
何と去年のこの時に初めて行動を共にした「あつし君」と1年ぶりの再会でした。
立ち話をしていると「やまちゃん隊」の隊長と副隊長も到着をして5時45分のスタートです。
この日のメンバー編成は隊長のやまちゃんを筆頭に女性ながら厳冬期から大沢崩れ右岸を初めとするバリエーションルートを総なめの「山友さん」それに前述の「あつし君」と我が友達の「たむちゃん」「ヒロ君」の健脚ぞろい。
六合目までは普通に登り・・・いよいよお中道に入って行きます。
多少のアップダウンはありますが快適なトラバースが続きましていくつもの沢を越えて行きます。
ペンキでマークがされている沢の中で一番最初は「ハコアラサワ2」で
その次に来るのが「主杖沢」。
ヤマレコやブログでおなじみのこの「主杖」のペンキマークですが賢パパが実物を目にしたのは今回が初めてでした。
更に「オニガ沢」
「サクラ沢」と通過して
この間の迷走の時はこのサクラ沢をトラバースさせられました。
最初の難関の「不動沢」ですが
ここには「天ノ浮橋」という朽ちた橋の残骸が残っておりまして昔の写真に写っている橋そのものでありました。
苦労の果てに不動沢をクリアーしたらお次の難関はこのルートの「キモ」である「大沢崩れ」
実物を目にしたらこれを渡るルートがあるようには見えません。
上空には地下のマグマの活動状況を調査しているらしいヘリが飛び回る。
大沢崩れの渡れそうなところを探してどんどん標高を下げて行くと
蜂の巣を踏んでしまって怒った蜂の襲撃に遭った。
そんな苦労の甲斐あって何とか対岸に渡ることが出来れば・・・後は下った分だけ登り返す。
登り着いたところにある「大沢休泊所」
工事をしている作業員の方たちの休憩所として使われているようでありまして掲示板には昔のお中道の様子を知らせる写真が貼ってありました。
富士宮口をスタートしてからちょうど4時間。
この日のコース中最大の難所を無事に通過出来たので・・・ここで初めての休憩を取ります。
この続きは・・・明日のこころだぁ~!
そうそう、今日は記念日なので・・・珍しく家族でお山に登って来るつもりです。
江戸時代にはこの聖域には一般の人が立ち入ることは禁止され、富士登頂を3度以上果たした者だけがここを歩くことを許されたのだそうです。
3度の登頂と言うと「そんなの楽勝じゃんっ!」と思う方がおられるかも知れませんが江戸時代と言えば勿論交通機関なんて発達してはおりませんから江戸から登山口まで来るのだって一苦労だし登り始めるのはずいぶんと下の方からのはずですからそんなに簡単に誰でも出来るということではありませんでしたよねぇ。
そして今では崩落や落石の危険が伴うためお中道を一周することはとても難しいこととされています。
賢パパがこの「お中道」という名前を初めて知ったのはもう何年か前のことになります。
その時はただ漫然と「あぁそんなところが富士山にはあるのか」ぐらいにしか思っていませんでした。
それが去年のこの時に・・・初めてお中道を歩いてからいつしかお中道を一周してみたいと思うようになりましてその約1か月後にお中道の探検に行ったりしたこともありました。
そして今年の6月のことです。
「キングオブフジヤマ」ことわれらがやまちゃんに通算2回目となるこんなところを案内していただきまして、その際にやまちゃんから「次はお中道の一周をやりましょう」との温かいお言葉がありまして・・・思ったよりも早く機会が訪れたと喜んでいた賢パパです。
ただ、「キングオブ・・・」は別れ際にこう一言付け加えるのを忘れませんでした。
「25Km以上ありますからそれまでに鍛えておいてくださいね」と。
それを聞いた賢パパは期待と不安が入り混じった気持ちで毎日を過ごしておりました。
そして先月のこの時に下山の途中で出会った「キング」から「来月はお中道をやりましょう」との確約をいただきまして決行を日を「今か今か」と待ち続けました。
そこへタイミング良く届けられた一通の電子メール。
おぉ、まぎれもなくあのお方からのものでございました。
中を開いて読んでみると「今度の日曜日にお中道をやろうと思っていますが都合はいかがですか?」
お誘いがあれば万難を排して参加させていただくつもりでありましたがこの日は何も予定がない。
即答で返信するつもりが「ちょっと待てよ」、賢パパの登山のパートナーである「たむちゃん」とその親友の「ヒロ君」も行きたいって言ってたなぁ。
そこで彼らの都合を訊くと・・・二人そろって「お願いします」
やまちゃんにはその旨を添えて参加希望を返信して返事を待つと「お友達も一緒にどうぞ」との有難いお言葉が。
前置きが長くなりましたがそんな経緯があって一昨日の決行となりました。
出発時刻の5時半を待ちきれず賢パパが集合場所に着いたのはまだ4時前のことでした。
天気予報は「曇りのち晴れ」だったはずなのに空を見上げれば満天の星。
写真を撮ったらしばらく仮眠。
5時過ぎに起き出して準備に取り掛かる。
やがてたむちゃんとヒロ君も姿を現しあたりをぶらぶらしていると・・・どこかで見たことのある若者が。
何と去年のこの時に初めて行動を共にした「あつし君」と1年ぶりの再会でした。
立ち話をしていると「やまちゃん隊」の隊長と副隊長も到着をして5時45分のスタートです。
この日のメンバー編成は隊長のやまちゃんを筆頭に女性ながら厳冬期から大沢崩れ右岸を初めとするバリエーションルートを総なめの「山友さん」それに前述の「あつし君」と我が友達の「たむちゃん」「ヒロ君」の健脚ぞろい。
六合目までは普通に登り・・・いよいよお中道に入って行きます。
多少のアップダウンはありますが快適なトラバースが続きましていくつもの沢を越えて行きます。
ペンキでマークがされている沢の中で一番最初は「ハコアラサワ2」で
その次に来るのが「主杖沢」。
ヤマレコやブログでおなじみのこの「主杖」のペンキマークですが賢パパが実物を目にしたのは今回が初めてでした。
更に「オニガ沢」
「サクラ沢」と通過して
この間の迷走の時はこのサクラ沢をトラバースさせられました。
最初の難関の「不動沢」ですが
ここには「天ノ浮橋」という朽ちた橋の残骸が残っておりまして昔の写真に写っている橋そのものでありました。
苦労の果てに不動沢をクリアーしたらお次の難関はこのルートの「キモ」である「大沢崩れ」
実物を目にしたらこれを渡るルートがあるようには見えません。
上空には地下のマグマの活動状況を調査しているらしいヘリが飛び回る。
大沢崩れの渡れそうなところを探してどんどん標高を下げて行くと
蜂の巣を踏んでしまって怒った蜂の襲撃に遭った。
そんな苦労の甲斐あって何とか対岸に渡ることが出来れば・・・後は下った分だけ登り返す。
登り着いたところにある「大沢休泊所」
工事をしている作業員の方たちの休憩所として使われているようでありまして掲示板には昔のお中道の様子を知らせる写真が貼ってありました。
富士宮口をスタートしてからちょうど4時間。
この日のコース中最大の難所を無事に通過出来たので・・・ここで初めての休憩を取ります。
この続きは・・・明日のこころだぁ~!
そうそう、今日は記念日なので・・・珍しく家族でお山に登って来るつもりです。
その当時は大沢は立ち入り禁止でなく警告程度でした。お中道左岸からそのまま渡ることができましたが落石が怖くて急ぎ足で渡った記憶があります。
それから40年以上経ち、富士宮口から大沢左岸までの間のお中道も随分と荒れているようですネ。
機会があればまた歩いてみたいなと思っています。
賢パパ、そしてその同志様、尊敬します。いつか私にも、同行したいです。
頭の白いおじさんでした。
43年前と言うと私が大学生の頃ですね。
大沢崩れの崩壊は様々な対応策が講じられましたが未だに有効な手段はないようで・・・
このまま崩壊が進めばいずれは頂上の形も変わってしまうのかと・・・
自然の力には対抗することが出来ませんね。
「やまちゃん」という常連さんのおかげで色々な富士山を体験させてもらっております。
itooさんも是非一度は登りに来てください。
ご無事で何よりでした。
というか刺されませんでしたか??
お中道、、25km越えですか、、
ひぇぇぇ~です。。
私は4番目だったのですが私と5番目、6番目の人は無事でした。
腫れがひどくて病院に行った人もいたそうです。
お中道の25Km歩きはアップダウンもあるので歩きごたえがありますよ。