昨日は突然こんな立派なお花が届きました。
以前はブログをやられていた方で同じ黒ラブを飼っていたので仲良くしていただいて・・・この時に一度お宅にお邪魔したことがありました。
今はブログをやられていないので他人のブログを読むこともなく・・・賢が旅立ったことも知らなかったそうです。
それが・・・年賀状をいただいたので返事に近況を知らせる内容のことを書いたらすぐに「このお花を賢君にお供えしてあげてください」との手紙をつけて送って下さったんですが、実際にお目にかかったことは一度もないのにここまでしていただいて・・・賢の野郎は本当に幸せ者でした。
早速お供えをして線香を立ててあげました。
ぼすお君のお母さん、本当に有難うございました。
さて、本題です。
昨日のブログにこんなことを書きましたが・・・どうやら昨日が日の出時刻の折り返し点だったようで、今日から日に日に日の出が早くなって行きますね~。
超朝型人間の賢パパにとっては嬉しい限りでありますよ。
その日の出時刻が一番遅い昨日の地元紙の朝刊にこんな記事が載っていました。
暮れから新年にかけて山岳遭難のニュースが相次いだので気になって調べてみたら・・・ずいぶんたくさんあったんですねぇ。
まだ行方不明の方がおられるようなので正確な数字は把握できていないようですが・・・富士山で2名と南アの北岳、甲斐駒ケ岳で各1名。
更に中央アルプスと奥秩父でも1名ずつの方が亡くなっているとのことなので少なくとも5名の死亡が確認されています。
そして、昨日もこの新聞記事の方ともう一人富士山の御殿場口で心肺停止の登山者が見つかったと言うことなので死者がもっと増えてしまいました。
年末年始は穏やかだっと言う印象ですがそれは下界だけの話で冬山はやはり相当厳しい気象条件下にあるんでしょうね。
さて、その昨日の地元紙の朝刊なんですが・・・遭難の記事の他にはこんな見出しが目を引きました。
今までは65歳以上だった「高齢者」の定義を変更して75歳以上に引き上げる提言が出されたのだとか。
それなら今まで「高齢者」と呼ばれていた65歳から74歳までの方をどう呼ぶのかと言うと
「準高齢者」がその名称だそうです。
一体いつごろから65歳以上を高齢者と呼ぶようになったのかは知りませんが、賢パパは以前にこんなことを書いていました。
それによれば、賢パパが中学生だった1960年の日本人の平均寿命が男65歳で女が70歳だったとのこと。
童謡の歌詞には「今年60のおじいさん」と言うのがあったぐらいですからこの時代の65歳は完全な高齢者でした。
それから半世紀以上の歳月が流れ・・・今時の平均寿命と言えば男が80歳を超えて女性では90に迫ろうかと言う伸びであります。
こういう時代背景を考慮に入れれば75歳以上を高齢者と呼ぶのは極めて自然な流れ・・・ぢゃまいか。
ただ、記事を詳しく読んでみると・・・ちょいと気になることが書かれていました。
それは・・・サブタイトルにも書かれている「社会の支え手側に」と言う言葉。
これは、現在65歳以上を「支えられる側」として設計されている社会保障や雇用制度を「支えられる対象」を10歳引き上げることを意味していると考えなくてはいけない。
そうでなくてもついこの間「年金法」を勝手に変えられてしまったり、高齢者の医療費の自己負担の割合を引き上げられたりしたばかりなのに・・・高齢者の負担は増える一方。
そうなるともう昼間からこんな黒毛を食べたり
昼酌なんてのも出来なくなるかも。
何とも住みにくい世の中になったもんです。
以前はブログをやられていた方で同じ黒ラブを飼っていたので仲良くしていただいて・・・この時に一度お宅にお邪魔したことがありました。
今はブログをやられていないので他人のブログを読むこともなく・・・賢が旅立ったことも知らなかったそうです。
それが・・・年賀状をいただいたので返事に近況を知らせる内容のことを書いたらすぐに「このお花を賢君にお供えしてあげてください」との手紙をつけて送って下さったんですが、実際にお目にかかったことは一度もないのにここまでしていただいて・・・賢の野郎は本当に幸せ者でした。
早速お供えをして線香を立ててあげました。
ぼすお君のお母さん、本当に有難うございました。
さて、本題です。
昨日のブログにこんなことを書きましたが・・・どうやら昨日が日の出時刻の折り返し点だったようで、今日から日に日に日の出が早くなって行きますね~。
超朝型人間の賢パパにとっては嬉しい限りでありますよ。
その日の出時刻が一番遅い昨日の地元紙の朝刊にこんな記事が載っていました。
暮れから新年にかけて山岳遭難のニュースが相次いだので気になって調べてみたら・・・ずいぶんたくさんあったんですねぇ。
まだ行方不明の方がおられるようなので正確な数字は把握できていないようですが・・・富士山で2名と南アの北岳、甲斐駒ケ岳で各1名。
更に中央アルプスと奥秩父でも1名ずつの方が亡くなっているとのことなので少なくとも5名の死亡が確認されています。
そして、昨日もこの新聞記事の方ともう一人富士山の御殿場口で心肺停止の登山者が見つかったと言うことなので死者がもっと増えてしまいました。
年末年始は穏やかだっと言う印象ですがそれは下界だけの話で冬山はやはり相当厳しい気象条件下にあるんでしょうね。
さて、その昨日の地元紙の朝刊なんですが・・・遭難の記事の他にはこんな見出しが目を引きました。
今までは65歳以上だった「高齢者」の定義を変更して75歳以上に引き上げる提言が出されたのだとか。
それなら今まで「高齢者」と呼ばれていた65歳から74歳までの方をどう呼ぶのかと言うと
「準高齢者」がその名称だそうです。
一体いつごろから65歳以上を高齢者と呼ぶようになったのかは知りませんが、賢パパは以前にこんなことを書いていました。
それによれば、賢パパが中学生だった1960年の日本人の平均寿命が男65歳で女が70歳だったとのこと。
童謡の歌詞には「今年60のおじいさん」と言うのがあったぐらいですからこの時代の65歳は完全な高齢者でした。
それから半世紀以上の歳月が流れ・・・今時の平均寿命と言えば男が80歳を超えて女性では90に迫ろうかと言う伸びであります。
こういう時代背景を考慮に入れれば75歳以上を高齢者と呼ぶのは極めて自然な流れ・・・ぢゃまいか。
ただ、記事を詳しく読んでみると・・・ちょいと気になることが書かれていました。
それは・・・サブタイトルにも書かれている「社会の支え手側に」と言う言葉。
これは、現在65歳以上を「支えられる側」として設計されている社会保障や雇用制度を「支えられる対象」を10歳引き上げることを意味していると考えなくてはいけない。
そうでなくてもついこの間「年金法」を勝手に変えられてしまったり、高齢者の医療費の自己負担の割合を引き上げられたりしたばかりなのに・・・高齢者の負担は増える一方。
そうなるともう昼間からこんな黒毛を食べたり
昼酌なんてのも出来なくなるかも。
何とも住みにくい世の中になったもんです。
今の私たちでも、60定年が65定年?って思うだけで、つらくなりますよ・・・
別に食べることができれば、いいんですが、今の私たちの世代、能力主義の名の下に、所得の伸びは、無かった世代、正直、厳しいでしょうね。
今からせっせよと足腰鍛えて、スーパー老人になること、密かに考えてます
働くのは小遣い稼ぎと健康のためで十分です。
スーパー老人はいいですね~。
俺らの世代は今取られていても、
自分らが老人になった時にはまずもらえないし。
賢パパの世代が、
働いている時も老いても恵まれている世代ですよ。
今の老人が決めた制度で、
現在の若い人たちは低収入に苦しんでいるしね。
何とも住みにくい世の中にしてくれたもんですw
私から見ると先輩たちはかなり恵まれていたと羨ましがったもんですが・・・今はもうそう言うレベルじゃありませんな。
狭い国土に天然資源が全くない国ですから労働力は供給過剰。
途上国と技術レベルに差がなくなって、海外からの流通コストが安くなった時点で競争力は弱体化の一途。
これではどうしようもありませんな。
おまけに長寿社会化が裏目に出て社会保障費は膨れ上がるばかり・・・いや、考えただけでこれからの時代を担う若い人たちが気の毒です。
一旦リセットして人口を減らせるところまで減らさないと国そのものが破たんしちゃいますね、マジで。
お詫びのしるしに缶チューハイ差し入れしますわ。
登山道の方が雪解け水が凍ってる箇所も少なくないんで直登の方が自分は好きですね~。
今日の雨に期待です!
遺体のあった場所から上を見上げると直登のルートだったとの記述がありました。
今日の雨で又新雪が積もりますね~。