6月7日 (金曜日) 晴れ 小雨パラツクかと思えども晴れたり曇ったり。
所用で、妻沼方面に出かけたので、種を買ったりした後、めぬま道の駅に寄ってみる。
あの満開だった時期には沢山の人が平日にも関わらず来ていたが
花が終わると淋しいものだ。
なんでも花盛りの時期で若い時は良かった。
それも、若い時代がなければ比較できないんだから・・・
若い人に、今が一番いい時だよ!といくら言っても
彼らは比較するものがないんだから・・わからないんだろうな!
だから、核家族よりは、老いて行く親などを見ながら育つほうが良いんだろうが
時代が許さない。・・・
余計な事を書いた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆それでも薔薇達も角度を変えて写真に収めるとなかなかいい感じだ。

荻野吟子像をバックに。
未だ見られる。




これは?紫陽花かな?
~~~~~~~
建物の上にグライダーをモチーフにしたという翼らしきものが・・・・

言われないとわからない。
~~~~~~~~~~~~~~~~
その足で、久々に埼玉県の史跡、常光院に立ち寄ってみた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~






外側の掘りも綺麗にしてある。

この寺は中条氏の館の1/3部分が天台宗のお寺となっている。
厄除けに何回か来たところだ!
~~~~~~~~~~~~~~
ここは句会を開くことで有名であったが、
投書箱に記述が

撰者の先生が任を辞されて、今後はインターネットで投稿するらしい。と記述が
なんでもかんでもネット・ネットで対面談話などなくなるなあ~!淋しい感じがする。
金子淘汰先生の句が石碑になって・・ある。

”たっぷりと 鳴くやつもいる 夕ひぐらし”
================================
熊谷市HPから
「たっぷりと 鳴くやつもいる 夕ひぐらし」
・・・
熊谷市に在住する金子兜太(かねことうた:現代俳句協会会長)の句碑がある寺、
天台宗別格本山常光院・・・ここは中条氏の館跡(県指定史跡)。
藤原鎌足の末裔常光が長承元年(1132)武蔵の国司に任ぜられて下向し、
この地に館を構えて中条の姓を名乗りました。
その子有家の長男、中条藤次家長は文武両道に秀で、鎌倉幕府の評定衆となり、
わが国初の武家の法律「貞永式目(御成敗式目)を定めたのです。
建久3年(1192)、家長は祖父常光公の菩提を弔う為に館を寺とし、
龍智山常光院毘廬遮那寺と名づけました。
茅葺きの大本堂の西、うっそうとした杉林の中の遊歩道に導かれた奥には
中条判官常光公の墓、その後ろには初代忍城の城代を勤めた天野彦右衛門忠重を
筆頭に三代の墓(市指定史跡)が、常光公を守るように並んでいます。
~~~~~~~~~~~~~~~~
他に熊谷を知るには以下の見どころとあったので
追加もして記しておく。
熊谷のみどころ
妻沼聖天山・ 荒川押切の虫の声・ 荒川土手から景色・ 大沼公園・ 荻野吟子生誕之地史跡公園
荻野吟子記念館・ かめの道・ 熊谷さくら運動公園・ 熊谷桜堤・ 熊谷スポーツ文化公園・
グライダー滑空場・ 幸安寺・ 駒形公園・ 坂田医院旧診療所・ 桜リバーサイドパーク・ 常光院
星溪園・ 聖パウロ教会 ・別府沼公園・長島記念館・根岸家長屋門・熊谷寺・・等々
結構、見るところは多い。・・でも結構住んでいる人は行っていないものだ。
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境内には”タラヨウ”の木と、思うが・・(ハガキの木)


~~~~~~~~~~~~~~~~~~
参道にカエデかモミジのの枝が垂れ下がっていて、味わいのある庭である。


ついでに、スポーツ文化公園に
母校、富士見中学の生徒達がマラソン・ジョギングの練習に
先生と走っている。

若い!っていいなあ~。

今、芝生が真っ青に生えそろっている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ロシアでは要人の私生活の報道はされないと
いうことであったが・・・・!
ロシアのプーチン大統領が離婚することを明らかにし、
家族については多くを語ることのなかった大統領の
突然の発表に高い関心が集まっています。

プーチン大統領は、6日、妻のリュードミラさんとクレムリンの
中にある劇場でバレエを観劇したあと、
2人そろって国営テレビの取材に応じ、離婚すると発表しました。
プーチン大統領は「私の活動は絶えず公の目にさらされているが、
それに耐えられない人もいる。
リュードミラは9年もの間、それに直面し続けてきた」と述べ、
離婚は2人で出した結論であることを明らかにしました。
また、リュードミラさんも
「大統領は完全に仕事に没頭しているので、顔を合わせることはほとんどないし、
子どもたちは成長して独立している。
それに公の場は好きではない」と、離婚を決めた理由を語りました。
~~~~~~~~~~~~~~~
リュードミラさんが公の場に姿を現すのは珍しく、
去年5月に行われたプーチン大統領の就任式以来のことです。
プーチン大統領も家族については多くを語ることがなかったため、
夫婦そろっての突然の離婚の発表に高い関心が集まっています。
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所用で、妻沼方面に出かけたので、種を買ったりした後、めぬま道の駅に寄ってみる。
あの満開だった時期には沢山の人が平日にも関わらず来ていたが
花が終わると淋しいものだ。
なんでも花盛りの時期で若い時は良かった。
それも、若い時代がなければ比較できないんだから・・・
若い人に、今が一番いい時だよ!といくら言っても
彼らは比較するものがないんだから・・わからないんだろうな!
だから、核家族よりは、老いて行く親などを見ながら育つほうが良いんだろうが
時代が許さない。・・・
余計な事を書いた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆それでも薔薇達も角度を変えて写真に収めるとなかなかいい感じだ。


荻野吟子像をバックに。

未だ見られる。





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建物の上にグライダーをモチーフにしたという翼らしきものが・・・・

言われないとわからない。
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その足で、久々に埼玉県の史跡、常光院に立ち寄ってみた。


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外側の掘りも綺麗にしてある。

この寺は中条氏の館の1/3部分が天台宗のお寺となっている。
厄除けに何回か来たところだ!
~~~~~~~~~~~~~~
ここは句会を開くことで有名であったが、
投書箱に記述が

撰者の先生が任を辞されて、今後はインターネットで投稿するらしい。と記述が
なんでもかんでもネット・ネットで対面談話などなくなるなあ~!淋しい感じがする。
金子淘汰先生の句が石碑になって・・ある。

”たっぷりと 鳴くやつもいる 夕ひぐらし”
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熊谷市HPから
「たっぷりと 鳴くやつもいる 夕ひぐらし」
・・・
熊谷市に在住する金子兜太(かねことうた:現代俳句協会会長)の句碑がある寺、
天台宗別格本山常光院・・・ここは中条氏の館跡(県指定史跡)。
藤原鎌足の末裔常光が長承元年(1132)武蔵の国司に任ぜられて下向し、
この地に館を構えて中条の姓を名乗りました。
その子有家の長男、中条藤次家長は文武両道に秀で、鎌倉幕府の評定衆となり、
わが国初の武家の法律「貞永式目(御成敗式目)を定めたのです。
建久3年(1192)、家長は祖父常光公の菩提を弔う為に館を寺とし、
龍智山常光院毘廬遮那寺と名づけました。
茅葺きの大本堂の西、うっそうとした杉林の中の遊歩道に導かれた奥には
中条判官常光公の墓、その後ろには初代忍城の城代を勤めた天野彦右衛門忠重を
筆頭に三代の墓(市指定史跡)が、常光公を守るように並んでいます。
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他に熊谷を知るには以下の見どころとあったので
追加もして記しておく。
熊谷のみどころ
妻沼聖天山・ 荒川押切の虫の声・ 荒川土手から景色・ 大沼公園・ 荻野吟子生誕之地史跡公園
荻野吟子記念館・ かめの道・ 熊谷さくら運動公園・ 熊谷桜堤・ 熊谷スポーツ文化公園・
グライダー滑空場・ 幸安寺・ 駒形公園・ 坂田医院旧診療所・ 桜リバーサイドパーク・ 常光院
星溪園・ 聖パウロ教会 ・別府沼公園・長島記念館・根岸家長屋門・熊谷寺・・等々
結構、見るところは多い。・・でも結構住んでいる人は行っていないものだ。
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境内には”タラヨウ”の木と、思うが・・(ハガキの木)


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参道にカエデかモミジのの枝が垂れ下がっていて、味わいのある庭である。


ついでに、スポーツ文化公園に
母校、富士見中学の生徒達がマラソン・ジョギングの練習に
先生と走っている。

若い!っていいなあ~。

今、芝生が真っ青に生えそろっている。

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いうことであったが・・・・!
ロシアのプーチン大統領が離婚することを明らかにし、
家族については多くを語ることのなかった大統領の
突然の発表に高い関心が集まっています。


プーチン大統領は、6日、妻のリュードミラさんとクレムリンの
中にある劇場でバレエを観劇したあと、
2人そろって国営テレビの取材に応じ、離婚すると発表しました。
プーチン大統領は「私の活動は絶えず公の目にさらされているが、
それに耐えられない人もいる。
リュードミラは9年もの間、それに直面し続けてきた」と述べ、
離婚は2人で出した結論であることを明らかにしました。
また、リュードミラさんも
「大統領は完全に仕事に没頭しているので、顔を合わせることはほとんどないし、
子どもたちは成長して独立している。
それに公の場は好きではない」と、離婚を決めた理由を語りました。
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リュードミラさんが公の場に姿を現すのは珍しく、
去年5月に行われたプーチン大統領の就任式以来のことです。
プーチン大統領も家族については多くを語ることがなかったため、
夫婦そろっての突然の離婚の発表に高い関心が集まっています。

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