田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

ずぼら(簡素化?)になった正月準備

2015年12月27日 | 日々の出来事

 スーパーへ買い物に行きました。そろそろ正月準備をと考えています。総合ショッピングセンターは人が溢れています。昔の中心商店街のようです。

 いろんな方のブログを読むと、皆さん大掃除を初め庭木の剪定や飾りつけなど、お月を迎える用意をされています。私は夫婦二人の高齢者世帯(こう言うと家内から叱られそうですが)になって、お正月の用意はだいぶん手を抜くようになりました。年末恒例だった大掃除も今は簡単に済ませます。大体私はものぐさなのです。ただ、やりだすと徹底的になる性分なので、ここまで、と踏ん切りをつけなければなりません。

 正月料理はお節を店に注文すると、あとはがめ煮(筑前煮)や大根と人参の膾程度です。昔は母親は正月料理は自分で作っていました。店からお節料理を買うなどという習慣は無かった様な気がします。大家族ではなかったので量は多くありませんでしたが、狭い台所に鍋やボウルなどを並べていたのを思い出します。

 黒豆はふっくらと炊くのが普通ですが、母は少し硬めの皺しわの黒豆に仕上げていました。社会人になるまでは、それが普通の黒豆だと思っていました。縁起を担いでいたのでしょうか。

 私が大学生くらいまではお餅は親戚の家で搗いていました。伯母さんがかまどに四角いせいろを数段、積み上げて糯米を蒸し、石臼で最初は杵で捏ねてから搗いたものです。小さい頃、餅屋さんが家に来て、近所の分も一緒に裏庭で搗いたこともありました。たくさん搗くので1か月は餅ばかり食べさせられ、最後は見たくもない気持ちになります。

 今は餅はスーパーで売っていますが、元旦のお雑煮の分だけを買います。火鉢が無くなったので、昔のように美味しくは焼けないのです。火鉢に金網を載せて、その上で焼くと餅が蛸入道のように膨れて、それが弾けると食べ頃でした。

 正月飾りも形だけになりました。鏡餅もパックで売られていますが、今年はどうしようかと思っています。本当は昔のようにきちんと新年を迎える準備をして、気分を一新したいところですが。

 今日はとりとめのない、思い出話になりました。家内が正月用の野菜を買うために、1時間ほどかかる道の駅に行こうと言っています。今年は2年ぶりに東京から長男の家族が帰省するので、ちょっと張り切っているのです。

 

        「ハイドゥン(海棠椿)」 

  ラベルには「ベトナムの妖精」と書かれている。

 

 

 

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