耳納市民センターの図書館に行った帰り。近くの農業公園で凧揚げ大会があっていました。
変わり種の凧が揚がっていました。大きな鯨は凧ではなく、空気を入れて地表近くに浮かぶだけです。館内では凧づくり教室があっていました。子供たちは親と一緒に作った凧を揚げています。
館内には各地の伝統的な凧が展示されていました。
子供のころ、冬場に凧揚げやコマ回しでよく遊んでいました。凧は近くの駄菓子屋で材料を買い、自分で作っていました。作るのは奴凧ではなく、長方形の角凧です。新聞紙を細長く切って凧の足にすると、空に上がってからバランスが取れました。
その後家庭をもって、私の子どもが小学生の時はゲイラカイトというハンググライダーのような凧が流行りました。機能的で簡単に空に舞い上がりましたが、工夫して凧を揚げる面白みがありませんでした。
昭和20~30年代、駄菓子屋は町内に一つはあったような気がします。お菓子を売るだけではなく、おもちゃの鉄砲なども置いており、子ども達のたまり場でした。小遣いを握りしめて、「とんちゃん家(げ)に行ってくる」と言って家を飛び出したものです。なぜその駄菓子屋が「とんちゃん」なのか、わけは知りません。
町に子どもがあふれていた時代、恐い顔をした駄菓子屋の親爺は子ども達の世話係でもありました。夏休みに入るとラジオ体操の世話をし、時には私たちを引き連れて近くの映画館に行きました。ある時、完成したばかりの長さ10メートルほどの防火用プールで、町内子ども水泳大会がありました。ふと見ると、主催者席の真ん中には駄菓子屋の親爺が座っていました。
凧揚げ大会から、つい昔話になりました。
先代の方と取引がありました
中国の旅をしました時、いろいろ連なった凧揚げを見て面白くてじっと見ていました
沢山の種類が飾ってありますね
北九州市庁舎の前の勝山公園で本当に時たま
凧揚げをみます!その風景はいいですね~~
クジラ館みたいなたこ・・・?
でも何となく想像がつきます。
いまは子どもたちの凧揚げ風景を見ることも少なくなりました。