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Part 2 天才たちは若く逝く 追加:ベトナム人研修生記事

2014-02-20 23:34:35 | Weblog
お昼前に帰宅して一歩も家に出ないでいると結構時間は沢山ある。

昨日の坂本九のYoutubeに続いて
本日ももう一度、九ちゃん、裕次郎、美空ひばり、江利チエミを8時間も見てしまう。

美空ひばりは平成を迎えたとたんに
昭和を戦後を代表する歌手として日本を支え勇気付けしてくれるも52年の生涯を終えてしまう。

美空 ひばり(1937年(昭和12年)5月29日 - 1989年(平成元年)6月24日)
無数のひばりYoutubeを見ながら全く残念としかいいようがない。
 

一方、石原裕次郎はこれまた戦後派青年を象徴するスタートして大活躍もひばりより一足早く
昭和も終わりそうな昭和62年同じく52歳で逝ってしまう。

石原 裕次郎(1934年(昭和9年)12月28日 - 1987年(昭和62年)7月17日)


戦後の日本歌謡界を映画をミュージカルを支えた江利チエミ
彼女は美空ひばりと同じ1937年生まれ
こちらは天才ひばりと違って努力の
天才で子供ながら駐留する米国人を
びっくりさせるテネシーワルツで
デビュー

江利 チエミ(1937年1月11日 - 1982年2月13日)
脳卒中であまりにも短命45歳で逝くとは!!




彼女を特集する たけしの誰でもピカソ 江利チエミ 
2006年9月の2週にわたる放送はいいできでした。
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高倉健と結婚、その後、借金や離婚という試練に見 舞われ、45歳で亡くなった彼女の人生を映像や関係者の証言でつづる。風呂場で炭坑節を歌う歌声テープなど“お宝資料”も披露される。テレビ東京制作局の 斉藤紀子さんは「団塊世代より下の世代は昭和の著名人を意外と知らない。“近い昔”の話を伝えたい」と語る。
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チエミの歌Youtubeから一曲紹介

新妻に捧げる歌

我が亡き兄貴はこの歌が上手かった!!!
江利チエミが歌うとたまりません!!
http://www.youtube.com/watch?v=A5TwtohhH7o

幸せを もとめて
二人の心は
よりそい むすびあう
愛のともしび
悲しみを なぐさめ
よろこびを わかちあい
ふたりで歌う 愛の歌
ラララ ラララ

幸せを 夢みて
二人の心は
手をとり ふれあって
愛のゆりかご
悲しみは ひそやかに
喜びは おおらかに
二人で歌う 愛の歌
ラララ ラララ

そして坂本 九(1941年12月10日 - 1985年8月12日)は43歳で逝く。
1985年(昭和60年)の日本航空123便墜落事故



インターネットのお陰でYoutubeのおかげで
若き天才たちの死も
在りし日の雄姿が
偲ばれる。

とってもいい本日が過ごせて大感謝でした。

ジミーさんからの連絡で3月3日からインタイムの夜の授業決定
また忙しくなります。

昨日のご飯でお茶漬けを!!!
ハムやサラダでいっしょ結構いけました。カレーライスよりはグーでした。

果物は久しぶりにフルーツの女王
マンゴスチン
これまたグー




日本の文化を支えてきたかように若き天才たちの死を眺めていると
私しゃ長生きで恥ずかしい!!
でも微力ながらも
生ある限り貢献
するしかなし
です。

いやまだまだおられます。
我が名刺に月から眺める青い地球とともに長くおともしてくれた
マリリン・モンロー(Marilyn Monroe、1926年6月1日 - 1962年8月5日)は36歳だった。






追加:午後9時50分
日経にベトナム人研修生関連の記事
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外国人活用か若者育成か 人手不足、悩む建設業
(1/2ページ)
2014/2/20 22:42
日本経済新聞 電子版

ベトナム人のスンさんは「もっと日本で働きたい」と話す(茨城県取手市の増山鉄工)
  「最初は『アブネー』って日本語から教えたんですよ」。一昨年の夏からベトナム人労働者のグエン・ミー・スンさんを受け入れた鉄骨加工業の増山鉄工(茨城 県取手市)。バブル期以降初めて受注を断るほどのフル稼働が続く工場で、増山博偉専務は鋼材溶接を次々とこなすスンさんを頼もしそうに見つめた。
  37歳のスンさんはベトナムの妻子に仕送りする出稼ぎ。報酬は高校を卒業した新入社員並みの月18万円程度だが「若手よりよっぽど積極的に仕事を覚え る」。スンさんも「ベトナムより給料が高いし、技術も覚えられる」と満足げだ。だが技能実習制度の滞在期間は3年。帰国の日は刻々と迫る。
 建設業で働く外国人実習生は約1万5000人。本来の目的は新興国への技術支援だが、現場では人手不足を補完する貴重な労働力として重宝されている。政府も東京五輪に向けた緊急措置として実習期間を5年に延長するなどの規制緩和策を模索し始めた。
  だが現場では異論もくすぶる。外国人活用を推進した茨城県鉄構工業協同組合(水戸市)でも奥津典一理事長は「一時的な労働力を外から手当てするより国内で の技能伝承を途切らせないことが先では」と懐疑的な立場だ。福利厚生の不備など若手が定着しない理由を解決すべきだと訴える。
 事態は切迫 している。熟練工が集中する団塊の世代は65歳を超えて現場から去りつつある。「若手への技能伝承を急がないと、中堅が退職する10年先に現場が持たなく なる」(国土交通省)。危機感を募らせた同省は1月から建設産業の活性化を話し合う有識者会議を開き議論を始めた。

(2/2ページ)
未整備な労働環境。厚生年金や雇用保険など社会保険への加入率は製造業の9割に対し、建設業は6割程度とされる。国交省は2月に公共工事の見積もり基準となる「公共工事設計労務単価」を約7%引き上げ、その中に社会保険加入を促す費用を含めた。
 業界も手をこまぬいてはいない。全国鉄筋工事業協会(東京・中央)など各専門工事業者の業界団体は昨秋、材料費や労務費以外に雇用保険料など法定福利費を別枠で計上する「標準見積書」を作成。鉄筋加工業の小黒組(東京・江東)などが活用を始めている。
 日本建設業連合会の中村満義会長は昨秋、不動産協会の木村恵司理事長と会談し、技能者の処遇改善にともなうコストアップへの理解を求めた。建設と不動産、両業界のトップが会談するのは初めてという。
 復興需要や公共投資、消費増税前の駆け込み需要――。建設現場は対応に追われるが、本当に人材不足が深刻になるのはその先だ。ベトナム人を雇用した増山鉄工も将来を見据え、今春は新卒2人を採用する。
  日本総研の湯元健治副理事長は建築着工がすでにピークを超えたと指摘。そのうえで「外国人実習生の拡大はあくまで小手先の対応。労働人口が日本全体で減っ ていくなかで人材をどう確保するか。外国人の本格的な活用も含めて真剣に議論するタイミングにきている」と話している。

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2回目の休憩
午後9時34分

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