平成27年 西暦2015年3月26日木曜日
Part 1 たかが甲子園されどです!! 号外が出る@愛媛新聞
今朝のネットには動画や写真が一杯です。
甲子園まで松山から応援に!!
我が姪っ子・昌美もこの中の一人
松山東65年ぶり甲子園勝利に市民ら歓喜
市駅前には人が一杯
第87回選抜高校野球大会で82年ぶり出場の松山東高が初戦に臨んだ25日、地元・松山はもちろん関西、関東など各地から同窓生らが甲子園球場に続々と集結した。松山市内でも市民が応援、65年ぶりの「甲子園勝利」に酔った。
早朝には在校生や同窓生など約2500人が計66台のバスで松山市を出発。野球部OBを含む同窓生やPTAなど約1600人の集合場所となった城山公園(堀之内)には午前5時すぎから参加者が集まり始め、受付に長蛇の列ができた。
松山市中心部のアーケード商店街などでは、松山東高と二松学舎大付属高の一戦を大型画面で伝えるパブリックビューイングが行われ、1点差の勝利が決まると、歓声が上がり、拍手が湧き起こった。
松山東高の初戦突破を受け、愛媛新聞社は25日夜、松山市湊町5丁目の伊予鉄道松山市駅前などで号外を配布した。家路につくサラリーマンや学生らは強豪校を破った松山東の勝利を喜び、笑顔で紙面を広げていた。
愛媛新聞社
日刊スポーツから
松山東124年目の春1勝、漱石先生やったぞなもし
[2015年3月26日7時56分 紙面から]
接戦を制しセンバツ初勝利を挙げた松山東ナインは笑顔で駆けよる(撮影・田崎高広)
接戦を制しセンバツ初勝利を挙げた松山東ナインは笑顔で駆けよる(撮影・田崎高広)
<センバツ高校野球:松山東5-4二松学舎大付>◇25日◇1回戦
漱石先生、勝ちました! 21世紀枠で82年ぶり出場の松山東(愛媛)が、二松学舎大付(東京)を破り、創部124年目で初勝利を挙げた。かつて夏目漱石が教壇に立ち、小説「坊っちゃん」のモデルになった伝統校。亀岡優樹投手(3年)が4失点完投&3打点と活躍し、16三振を喫しながら競り勝った。
123年待った夢の成就だ。82年ぶりの出場で、センバツ初勝利。三塁側アルプススタンドからの亀岡コールに守られ、エースは9回2死一、二塁のピンチをしのいだ。1点リードを守りきった。緑のアルプス席が、震える。松山商と一時統合していた全国制覇の65年前の夏へ、時がさかのぼった。
「82年分の思いを背負っていますから」。アーチ型で「MATSUYAMA」と描かれた復刻ユニホームの胸を張り、亀岡が言った。その思いがあればこそ、この接戦を投げ抜けた。16三振を喫し、手にする好機は少なくても、それを必ず生かし切った。先制打、中押し打も、亀岡だった。
「今やかの 三つのベースに人満ちて そぞろに胸の打ち騒ぐかな」。野球部創部に関わった正岡子規が、1898年(明31)発表の「ベースボールの歌」に込めた興奮の満塁機が、4回無死で巡って来た。子規が夢中になったに違いない絶好機で、亀岡が右前に適時打。2-1で迎えた6回はスライダーをとらえ、左翼手の頭上を超える2点二塁打を放った。
学校まで10キロの道のりを亀岡は自転車で通う。坂を下る行きは30分、坂を上る帰りは45分、ペダルをこぐ。チームメートの桑原と温泉に寄って疲れを取り、息を抜く。「粘り強く、要所を抑えることができる」と女房役の米田主将が信頼する心と体を鍛えてきた。
それでも6回裏、3点差を追いつかれた。「一番つらかった」中盤の踏ん張りどころ。目の前のアルプススタンドに支えられた。「がんばっていきましょい」のかけ声が力になった。「東高を愛する人たちの声」を心と体に吸い込んで1点リードを守り抜いた。
50年夏の優勝メンバーも、スタンドで声をからした。1番中堅の吉井達夫さん(82)は、2回戦で優勝候補の長良(岐阜)を倒す決勝打を放った。「打ったときの手応えは今も覚えています。甲子園はそういうところです。後輩たちはよく食らいついてくれました」。3番右翼の大川彰さん(同)は「感無量です。久しぶりの甲子園やから。これだけの大歓声で、立派なグラウンドで…」。声を震わせた。
現役生も大OBも声を合わせ「亀岡! 亀岡!」。創部124年目で初めて生まれた春の勝利投手は「面白い試合でした」と晴れやかに笑った。【堀まどか】
一方、二松学舎大付から見た記事も!!
第87回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高野連主催)で、二松学舎大付(千代田区)は25日、第3試合で21世紀枠の松山東(愛媛)との初戦に臨んだ。二松学舎大付は先制を許しながらも、粘りの野球で一時は同点に追いついたが、七回に決勝点を許し4−5で惜敗した。最後まで全力プレーで頑張った選手たちに、スタンドの応援団から温かい拍手が送られた。【黒川晋史、加藤沙波、松岡大地】
▽1回戦=第3試合
松山東
000202100=5
000103000=4
二松学舎大付
文豪・夏目漱石が学んだ漢学塾を起源とする二松学舎大付と、漱石がかつて教壇に立った小説「坊っちゃん」のモデル校の松山東。漱石に縁のある両校の対決は午後2時34分に始まった。
0−0の均衡が破れたのは四回表。先発・大江竜聖投手(2年)が2四死球などで出塁を許し、適時打とスクイズで2点を先制される。しかしその裏、4番の北本一樹主将(3年)が高めの直球をフルスイング。打球は左翼席へ吸い込まれ、1点差に詰め寄った。
だが、松山東は六回表、2点適時二塁打で点差を3と広げた。昨夏の甲子園に左翼手として出場した二松学舎大付OBの宮本雄生さん(18)は「うちは守備からリズムをつくる。落ち着いてほしい」と後輩を見つめた。
3点を追って、選手はあきらめない。六回裏、三口英斗選手(2年)が1死から左越え二塁打で出塁し、安打と死球で満塁に。今村大輝捕手(同)が「(投手の)大江を助けよう」と、高めに入った直球をたたいて2点適時打を放つ。1点差に迫った好機、大江投手の中前適時打で、ついに同点に追いついた。
スタンドでは緑のメガホンが打ち鳴らされ、応援団は「よーし!」と跳びはね、最高の盛り上がり。試合翌日が誕生日という大江投手の父広志さん(53)は「よく打った。勝って誕生プレゼントにしてほしい」。七回のマウンドへ向かう息子へ「大江!落ち着けー」と叫んだ。
その七回、相手に勝ち越しを許してしまったが、1点を追う九回、二松学舎大付は最後の粘りを見せた。応援団を務めた野球部の松井将斗君(2年)は「力強い打撃をしてほしい」。願いは通じ、2死一塁から平野智也選手(同)が内野安打で出塁。得点圏に走者を進めたものの、後続を断たれて無念のゲームセット。昨夏に続く初戦突破はならなかった。
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1回目の休憩
午前10時42分
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甲子園まで松山から応援に!!
我が姪っ子・昌美もこの中の一人
松山東65年ぶり甲子園勝利に市民ら歓喜
市駅前には人が一杯
第87回選抜高校野球大会で82年ぶり出場の松山東高が初戦に臨んだ25日、地元・松山はもちろん関西、関東など各地から同窓生らが甲子園球場に続々と集結した。松山市内でも市民が応援、65年ぶりの「甲子園勝利」に酔った。
早朝には在校生や同窓生など約2500人が計66台のバスで松山市を出発。野球部OBを含む同窓生やPTAなど約1600人の集合場所となった城山公園(堀之内)には午前5時すぎから参加者が集まり始め、受付に長蛇の列ができた。
松山市中心部のアーケード商店街などでは、松山東高と二松学舎大付属高の一戦を大型画面で伝えるパブリックビューイングが行われ、1点差の勝利が決まると、歓声が上がり、拍手が湧き起こった。
松山東高の初戦突破を受け、愛媛新聞社は25日夜、松山市湊町5丁目の伊予鉄道松山市駅前などで号外を配布した。家路につくサラリーマンや学生らは強豪校を破った松山東の勝利を喜び、笑顔で紙面を広げていた。
愛媛新聞社
日刊スポーツから
松山東124年目の春1勝、漱石先生やったぞなもし
[2015年3月26日7時56分 紙面から]
接戦を制しセンバツ初勝利を挙げた松山東ナインは笑顔で駆けよる(撮影・田崎高広)
接戦を制しセンバツ初勝利を挙げた松山東ナインは笑顔で駆けよる(撮影・田崎高広)
<センバツ高校野球:松山東5-4二松学舎大付>◇25日◇1回戦
漱石先生、勝ちました! 21世紀枠で82年ぶり出場の松山東(愛媛)が、二松学舎大付(東京)を破り、創部124年目で初勝利を挙げた。かつて夏目漱石が教壇に立ち、小説「坊っちゃん」のモデルになった伝統校。亀岡優樹投手(3年)が4失点完投&3打点と活躍し、16三振を喫しながら競り勝った。
123年待った夢の成就だ。82年ぶりの出場で、センバツ初勝利。三塁側アルプススタンドからの亀岡コールに守られ、エースは9回2死一、二塁のピンチをしのいだ。1点リードを守りきった。緑のアルプス席が、震える。松山商と一時統合していた全国制覇の65年前の夏へ、時がさかのぼった。
「82年分の思いを背負っていますから」。アーチ型で「MATSUYAMA」と描かれた復刻ユニホームの胸を張り、亀岡が言った。その思いがあればこそ、この接戦を投げ抜けた。16三振を喫し、手にする好機は少なくても、それを必ず生かし切った。先制打、中押し打も、亀岡だった。
「今やかの 三つのベースに人満ちて そぞろに胸の打ち騒ぐかな」。野球部創部に関わった正岡子規が、1898年(明31)発表の「ベースボールの歌」に込めた興奮の満塁機が、4回無死で巡って来た。子規が夢中になったに違いない絶好機で、亀岡が右前に適時打。2-1で迎えた6回はスライダーをとらえ、左翼手の頭上を超える2点二塁打を放った。
学校まで10キロの道のりを亀岡は自転車で通う。坂を下る行きは30分、坂を上る帰りは45分、ペダルをこぐ。チームメートの桑原と温泉に寄って疲れを取り、息を抜く。「粘り強く、要所を抑えることができる」と女房役の米田主将が信頼する心と体を鍛えてきた。
それでも6回裏、3点差を追いつかれた。「一番つらかった」中盤の踏ん張りどころ。目の前のアルプススタンドに支えられた。「がんばっていきましょい」のかけ声が力になった。「東高を愛する人たちの声」を心と体に吸い込んで1点リードを守り抜いた。
50年夏の優勝メンバーも、スタンドで声をからした。1番中堅の吉井達夫さん(82)は、2回戦で優勝候補の長良(岐阜)を倒す決勝打を放った。「打ったときの手応えは今も覚えています。甲子園はそういうところです。後輩たちはよく食らいついてくれました」。3番右翼の大川彰さん(同)は「感無量です。久しぶりの甲子園やから。これだけの大歓声で、立派なグラウンドで…」。声を震わせた。
現役生も大OBも声を合わせ「亀岡! 亀岡!」。創部124年目で初めて生まれた春の勝利投手は「面白い試合でした」と晴れやかに笑った。【堀まどか】
一方、二松学舎大付から見た記事も!!
第87回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高野連主催)で、二松学舎大付(千代田区)は25日、第3試合で21世紀枠の松山東(愛媛)との初戦に臨んだ。二松学舎大付は先制を許しながらも、粘りの野球で一時は同点に追いついたが、七回に決勝点を許し4−5で惜敗した。最後まで全力プレーで頑張った選手たちに、スタンドの応援団から温かい拍手が送られた。【黒川晋史、加藤沙波、松岡大地】
▽1回戦=第3試合
松山東
000202100=5
000103000=4
二松学舎大付
文豪・夏目漱石が学んだ漢学塾を起源とする二松学舎大付と、漱石がかつて教壇に立った小説「坊っちゃん」のモデル校の松山東。漱石に縁のある両校の対決は午後2時34分に始まった。
0−0の均衡が破れたのは四回表。先発・大江竜聖投手(2年)が2四死球などで出塁を許し、適時打とスクイズで2点を先制される。しかしその裏、4番の北本一樹主将(3年)が高めの直球をフルスイング。打球は左翼席へ吸い込まれ、1点差に詰め寄った。
だが、松山東は六回表、2点適時二塁打で点差を3と広げた。昨夏の甲子園に左翼手として出場した二松学舎大付OBの宮本雄生さん(18)は「うちは守備からリズムをつくる。落ち着いてほしい」と後輩を見つめた。
3点を追って、選手はあきらめない。六回裏、三口英斗選手(2年)が1死から左越え二塁打で出塁し、安打と死球で満塁に。今村大輝捕手(同)が「(投手の)大江を助けよう」と、高めに入った直球をたたいて2点適時打を放つ。1点差に迫った好機、大江投手の中前適時打で、ついに同点に追いついた。
スタンドでは緑のメガホンが打ち鳴らされ、応援団は「よーし!」と跳びはね、最高の盛り上がり。試合翌日が誕生日という大江投手の父広志さん(53)は「よく打った。勝って誕生プレゼントにしてほしい」。七回のマウンドへ向かう息子へ「大江!落ち着けー」と叫んだ。
その七回、相手に勝ち越しを許してしまったが、1点を追う九回、二松学舎大付は最後の粘りを見せた。応援団を務めた野球部の松井将斗君(2年)は「力強い打撃をしてほしい」。願いは通じ、2死一塁から平野智也選手(同)が内野安打で出塁。得点圏に走者を進めたものの、後続を断たれて無念のゲームセット。昨夏に続く初戦突破はならなかった。
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1回目の休憩
午前10時42分
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