映画って凄いワ!! サイゴンの雨季走りもスゴイわ!!
只今午後6時20分 クラウディア・カルディナーレ、ヘンリー・フォンダ、チャールズ・ブロンソン出演の西部劇 once upon a time in the west 見終わったところ!!
土砂降りの雨、もうスコールって呼んでもいいかも!!
昼間は灼熱の太陽、それはそれは青い空に灼熱の太陽が輝いていたの!!
これがサイゴンの魅力っていえないこともないが!!!!!!!!!!!!!!
我輩は家にいるからノープロブレムだが外でこの雨では大変
でも面白いビシャ濡れずぶ濡れ体験ができているだろうが!!!
それにしても映画っていいです!!
この45年前の作品
けっこう魅せます。
女性は強いです。
クラウディア・カルディナーレのみ現在も健在です。
ラストシーンもいい!!
我輩は20代30代40代50代くらいまでは勉強や研究が楽しくて又忙しくて
ほとんど見るチャンスは少なかったが
この年になって楽しめるって
嬉しいです。
この雨ではタンさんひょっとしてプライベート授業に来れないのでは??
でも準備をしなければならないので
後ほど続きを書きます。
その前にWikipediaに監督含めて作品の背景や見所を紹介しているのでコピペ!!
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1968年製作のイタリア・アメリカ合作映画。セルジオ・レオーネ監督作品。黄昏の西部開拓時代を舞台に、当時の人間模様を活写した大作群像劇である。原題を意訳すると「昔々の西部の出来事」となる。
レオーネの代表作であるのみならず、西部劇の金字塔として高く評価されている。この作品から『夕陽のギャングたち』、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』までを、それまでの「ドル箱三部作」に対して「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」と呼ぶこともある。
概要 [編集]
『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン』 のいわゆる「ドル箱三部作」を撮影し終えたレオーネは、もう西部劇というジャンルでやりたいことは全てやりつくしてしまった、として新しく禁酒法時代のユ ダヤ人ギャングを描いた映画(17年後に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』として結実)を製作しようとしていた[2]。しかし、ハリウッドがレオーネに期待したのはあくまで従来のマカロニ・ウェスタンでしかなかった。当初「ドル箱三部作」の配給会社であったユナイテッド・アーティスツはチャールトン・ヘストン、カーク・ダグラス、ロック・ハドソンたちが出演する映画製作を打診したが、レオーネは気が進まなかったのでその申し出を辞退した。しかしパラマウント映画がヘンリー・フォンダが出演する映画製作のオファーを出した時にはそれを受け入れた。パラマウントが提示した潤沢な製作資金が魅力的であったことの他に、ヘンリー・フォンダがレオーネの敬愛する俳優であったことがレオーネの心を動かしたといわれている。
レオーネは新鋭監督のベルナルド・ベルトルッチと当時まだ映画評論家であったダリオ・アルジェントに映画の原案を委託した。彼らはレオーネの自宅で『真昼の決闘』や『大砂塵』といった西部劇の名作を鑑賞しながら、『ウエスタン』のプロットを練ったという[3]。 そのためか『ウエスタン』はこれまでの娯楽性を追求したレオーネの「ドル箱三部作」(いずれも典型的なマカロニ・ウェスタンである)と異なり、登場人物の 心境の変化や作品のテーマ性によりフォーカスを当てた構成、いわば伝統的な西部劇スタイルへの回帰が見られるとされる。
レオーネの作風の変化によるためか、『ウエスタン』はアメリカでは期待されたほどのヒットにはならなかった。しかしヨーロッパや日本では大ヒットし、それらの国におけるレオーネの評価を更に高めることになった。2005年にはアメリカの雑誌TIMEによって映画ベスト100中の1本に選ばれた[4]。
またまだコピペの承諾を得ていないが
とっても素敵な作品紹介のブログがありこれまたコピペです。
『ウエスタン』(1968) C'ERA UNA VOLTA IL WEST/ONCE UPON A TIME IN THE WEST 141分/165分 イタリア/アメリカ
監督:セルジオ・レオーネ 製作:フルヴィオ・モルセラ 製作総指揮:ビーノ・チコーニャ 原案:セルジオ・レオーネ、ダリオ・アルジェント、ベル ナルド・ベルトルッチ 脚本:セルジオ・レオーネ、セルジオ・ドナティ 撮影:トニーノ・デリ・コリ メイクアップ:ジャンネット・デ・ロッシ 音楽:エ ンニオ・モリコーネ
出演:クラウディア・カルディナーレ、ヘンリー・フォンダ、ジェイソン・ロバーズ、チャールズ・ブロンソン、ガブリエル・フェルゼッティ、フランク・ウォルフ、ジャック・イーラム、ウディ・ストロード、パオロ・ストッパ、キーナン・ウィン、ライオネル・スタンダー
荒れ地に農場を構えるマクベイン一家が何者かに殺された。現場に残されたコートの切れ端から丈の長いダスターコートを着たシャイアンギャング団の仕業だと思われた。
しかし、犯人はフランク(ヘンリー・フォンダ)をボスとする集団だった。フランクは鉄道会社の人間と通じていて何かを企んでいるらしい。いったい何のために一家を惨殺しなければならなかったのか。
そして、そのフランクを執拗につけ狙う男(ブロンソン)がいた。ハモニカを吹き鳴らすその男の目的も謎である。
一家が殺されたその日に、マクベインと再婚した女性ジル(クラウディア・カルディナーレ)がニューオリンズから街にやってきた。遺産を相続したジルを狙い始めるフランク。
ただの荒れ地になんの価値があるというのだろうか。
マカロニ・ウエスタンの雄セルジオ・レオーネが本格派西部劇である。邦題はそのまんま『ウエスタン』。原題はアメリカタイトルで『ONCE UPON A TIME IN THE WEST』、昔西部でといったところだろうか。
ストーリーからいうと兄の敵であるフランクをつけ狙うハモニカが主役に思えるが、一般にはヘンリー・フォンダ主演作とされている。これは役者の格の問題だ ろう。オープニングタイトルのクレジット順からいえばクラウディア・カルディナーレが一番だ。もっと言えばこの一人という主役が存在しない作品なのかも知 れない。
ヘンリー・フォンダの悪役というのも珍しい。ギャング団の頭目で、部下を引き連れ長年悪さをしてきたようだ。チャールズ・ブロンソンと ヘンリー・フォンダが歩く場面があるのだが、ヘンリー・フォンダの足の長いこと。比較対象でブロンソンがいるから余計と目立つのだろうが長い長い。もっと もブロンソンだって決して短足というわけではない。
西部劇では『荒野の決闘』のワイアット・アープ役など正義の側で活躍することの多かったヘン リー・フォンダだが、悪役も凄みがあってすごく似合っていた。始終噛み煙草を噛んでいてペッと吐き捨てるのが様になっていた。あれは普通にやるとかっこ悪 い仕草だが、ヘンリー・フォンダがやると絵になる。
ブロンソンは今回ヒゲなし。少年時代にすでに大人のヘンリー・フォンダに出合っているという設定なので少しでも若く見せるためにトレードマークのヒゲを剃ったのではないかと考える。
セリフは少なく代わりにハモニカをプーウーウーウーと不気味に吹き鳴らし、何を考えているのかイマイチよく分からない存在だ。それが終盤になってハモニカ の意味と彼の目的がヘンリー・フォンダへの復讐だと見えてくる。顔のしわ一本一本がこの男が体験してきたであろう苦労を物語っている。
ヘンリー・フォンダとの決闘は本当に一瞬で、この辺りやはりセルジオ・レオーネは分かっているんだと思う。
原案にセルジオ・レオーネだけではなくベルナルド・ベルトルッチの名前がある。かなりコアなネタを盛り込んだそうだ。ベルトルッチはまぁ分かるが ホラー映画で有名なダリオ・アルジェントの名前があることに驚く。この頃はまだ戦争映画やマカロニ・ウエスタンの脚本を書いていて、ホラーは手がけていな かったらしい。
オープニングの、三人の悪党面した男たちが汽車を待っているシーンで、風車の回る唸るような音や、蝿の飛ぶ羽音、天井からしたたり落ちる水滴の音など音が強調されている。そこへ汽車が走り込む蒸気の音。そして汽車が走り去った後に聞こえてくるハモニカの不気味な音。
悪党「馬が一頭足りないな」
ハモニカ「馬が二頭余るな」
そして一瞬で三人を撃ち殺すハモニカ。しびれるやり取りである。
ちなみにこの三人の内の一人を『キャノンボール』シリーズの肛門科医役でお馴染みの顔の造作が全てひん曲がったジャック・イーラムがやっている。
この映画で取り合いになるのは農地でも牧場でもなく、鉄道の駅の土地である。
最後にはフランクもシャイアンそしてハモニカも過去の人間 となり、ジルだけが鉄道という新しい時代に対応して活躍していく。決闘には勝ったもののここは自分の居場所ではないとまた旅に出るハモニカにジルは「また 戻ってきて」と呼びかける。それに応えるハモニカの言葉は「Someday」。だがその「いつか」は決してくることがないのだ。
労働者に飲み物を配りながら生き生きと働くジルの姿には明日への希望が見て取れる。
そんな滅び行くものと生き延びていくものとについての映画でもある。女は強い。だからオープニングタイトルでクラウディア・カルディナーレが一番最初だったのだ。
それにしてもオレが観たのは完全版の165分なので長い。ちょっと冗長な点がある演出なので余計と長く感じる。だが、その冗長な点を削ってしまっ たら駄目なのだろう。セルジオ・レオーネは尊敬する映画監督だが、場面転換が少し下手な気がする。この作品でもいくつか気になるところがあった。
音楽はもちろんエンニオ・モリコーネ。哀愁を感じさせるモリコーネ節が鳴りまくる。
本家ハリウッド西部劇のファンの方にはしょせんマカロニ・ウエスタンは紛い物。その紛い物の監督が撮ったんだからアメリカのモニュメントバレーが 映っていても紛い物には違いないだろうと思われるかも知れないが、これはれっきとした西部劇である。マカロニ・ウエスタンという紛い物を作っていたセルジ オ・レオーネが撮ったからこそ本家以上に正統な西部劇たろうとしているのかも知れない。それもスケールの大きな一大西部劇である。
『恨みシュラ ン』という本に大阪の江戸前寿司を食べに行くエピソードがあって、「大阪の江戸前なんて」と思っていたら東京の江戸前以上に江戸前だった。おそらく「しょ せん大阪の江戸前なんて」とそのセリフを言われることを嫌って必要以上の修行をしたのだろうという話になっていたが、それに通じる物を感じる。セルジオ・ レオーネは「しょせんマカロニ・ウエスタンなんて」と言われることを嫌って本家西部劇以上に西部劇たろうとしたのだろう。
2回目の休憩
午後6時38分
26度雨上がる
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昼間は灼熱の太陽、それはそれは青い空に灼熱の太陽が輝いていたの!!
これがサイゴンの魅力っていえないこともないが!!!!!!!!!!!!!!
我輩は家にいるからノープロブレムだが外でこの雨では大変
でも面白いビシャ濡れずぶ濡れ体験ができているだろうが!!!
それにしても映画っていいです!!
この45年前の作品
けっこう魅せます。
女性は強いです。
クラウディア・カルディナーレのみ現在も健在です。
ラストシーンもいい!!
我輩は20代30代40代50代くらいまでは勉強や研究が楽しくて又忙しくて
ほとんど見るチャンスは少なかったが
この年になって楽しめるって
嬉しいです。
この雨ではタンさんひょっとしてプライベート授業に来れないのでは??
でも準備をしなければならないので
後ほど続きを書きます。
その前にWikipediaに監督含めて作品の背景や見所を紹介しているのでコピペ!!
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1968年製作のイタリア・アメリカ合作映画。セルジオ・レオーネ監督作品。黄昏の西部開拓時代を舞台に、当時の人間模様を活写した大作群像劇である。原題を意訳すると「昔々の西部の出来事」となる。
レオーネの代表作であるのみならず、西部劇の金字塔として高く評価されている。この作品から『夕陽のギャングたち』、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』までを、それまでの「ドル箱三部作」に対して「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」と呼ぶこともある。
概要 [編集]
『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン』 のいわゆる「ドル箱三部作」を撮影し終えたレオーネは、もう西部劇というジャンルでやりたいことは全てやりつくしてしまった、として新しく禁酒法時代のユ ダヤ人ギャングを描いた映画(17年後に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』として結実)を製作しようとしていた[2]。しかし、ハリウッドがレオーネに期待したのはあくまで従来のマカロニ・ウェスタンでしかなかった。当初「ドル箱三部作」の配給会社であったユナイテッド・アーティスツはチャールトン・ヘストン、カーク・ダグラス、ロック・ハドソンたちが出演する映画製作を打診したが、レオーネは気が進まなかったのでその申し出を辞退した。しかしパラマウント映画がヘンリー・フォンダが出演する映画製作のオファーを出した時にはそれを受け入れた。パラマウントが提示した潤沢な製作資金が魅力的であったことの他に、ヘンリー・フォンダがレオーネの敬愛する俳優であったことがレオーネの心を動かしたといわれている。
レオーネは新鋭監督のベルナルド・ベルトルッチと当時まだ映画評論家であったダリオ・アルジェントに映画の原案を委託した。彼らはレオーネの自宅で『真昼の決闘』や『大砂塵』といった西部劇の名作を鑑賞しながら、『ウエスタン』のプロットを練ったという[3]。 そのためか『ウエスタン』はこれまでの娯楽性を追求したレオーネの「ドル箱三部作」(いずれも典型的なマカロニ・ウェスタンである)と異なり、登場人物の 心境の変化や作品のテーマ性によりフォーカスを当てた構成、いわば伝統的な西部劇スタイルへの回帰が見られるとされる。
レオーネの作風の変化によるためか、『ウエスタン』はアメリカでは期待されたほどのヒットにはならなかった。しかしヨーロッパや日本では大ヒットし、それらの国におけるレオーネの評価を更に高めることになった。2005年にはアメリカの雑誌TIMEによって映画ベスト100中の1本に選ばれた[4]。
またまだコピペの承諾を得ていないが
とっても素敵な作品紹介のブログがありこれまたコピペです。
『ウエスタン』(1968) C'ERA UNA VOLTA IL WEST/ONCE UPON A TIME IN THE WEST 141分/165分 イタリア/アメリカ
監督:セルジオ・レオーネ 製作:フルヴィオ・モルセラ 製作総指揮:ビーノ・チコーニャ 原案:セルジオ・レオーネ、ダリオ・アルジェント、ベル ナルド・ベルトルッチ 脚本:セルジオ・レオーネ、セルジオ・ドナティ 撮影:トニーノ・デリ・コリ メイクアップ:ジャンネット・デ・ロッシ 音楽:エ ンニオ・モリコーネ
出演:クラウディア・カルディナーレ、ヘンリー・フォンダ、ジェイソン・ロバーズ、チャールズ・ブロンソン、ガブリエル・フェルゼッティ、フランク・ウォルフ、ジャック・イーラム、ウディ・ストロード、パオロ・ストッパ、キーナン・ウィン、ライオネル・スタンダー
荒れ地に農場を構えるマクベイン一家が何者かに殺された。現場に残されたコートの切れ端から丈の長いダスターコートを着たシャイアンギャング団の仕業だと思われた。
しかし、犯人はフランク(ヘンリー・フォンダ)をボスとする集団だった。フランクは鉄道会社の人間と通じていて何かを企んでいるらしい。いったい何のために一家を惨殺しなければならなかったのか。
そして、そのフランクを執拗につけ狙う男(ブロンソン)がいた。ハモニカを吹き鳴らすその男の目的も謎である。
一家が殺されたその日に、マクベインと再婚した女性ジル(クラウディア・カルディナーレ)がニューオリンズから街にやってきた。遺産を相続したジルを狙い始めるフランク。
ただの荒れ地になんの価値があるというのだろうか。
マカロニ・ウエスタンの雄セルジオ・レオーネが本格派西部劇である。邦題はそのまんま『ウエスタン』。原題はアメリカタイトルで『ONCE UPON A TIME IN THE WEST』、昔西部でといったところだろうか。
ストーリーからいうと兄の敵であるフランクをつけ狙うハモニカが主役に思えるが、一般にはヘンリー・フォンダ主演作とされている。これは役者の格の問題だ ろう。オープニングタイトルのクレジット順からいえばクラウディア・カルディナーレが一番だ。もっと言えばこの一人という主役が存在しない作品なのかも知 れない。
ヘンリー・フォンダの悪役というのも珍しい。ギャング団の頭目で、部下を引き連れ長年悪さをしてきたようだ。チャールズ・ブロンソンと ヘンリー・フォンダが歩く場面があるのだが、ヘンリー・フォンダの足の長いこと。比較対象でブロンソンがいるから余計と目立つのだろうが長い長い。もっと もブロンソンだって決して短足というわけではない。
西部劇では『荒野の決闘』のワイアット・アープ役など正義の側で活躍することの多かったヘン リー・フォンダだが、悪役も凄みがあってすごく似合っていた。始終噛み煙草を噛んでいてペッと吐き捨てるのが様になっていた。あれは普通にやるとかっこ悪 い仕草だが、ヘンリー・フォンダがやると絵になる。
ブロンソンは今回ヒゲなし。少年時代にすでに大人のヘンリー・フォンダに出合っているという設定なので少しでも若く見せるためにトレードマークのヒゲを剃ったのではないかと考える。
セリフは少なく代わりにハモニカをプーウーウーウーと不気味に吹き鳴らし、何を考えているのかイマイチよく分からない存在だ。それが終盤になってハモニカ の意味と彼の目的がヘンリー・フォンダへの復讐だと見えてくる。顔のしわ一本一本がこの男が体験してきたであろう苦労を物語っている。
ヘンリー・フォンダとの決闘は本当に一瞬で、この辺りやはりセルジオ・レオーネは分かっているんだと思う。
原案にセルジオ・レオーネだけではなくベルナルド・ベルトルッチの名前がある。かなりコアなネタを盛り込んだそうだ。ベルトルッチはまぁ分かるが ホラー映画で有名なダリオ・アルジェントの名前があることに驚く。この頃はまだ戦争映画やマカロニ・ウエスタンの脚本を書いていて、ホラーは手がけていな かったらしい。
オープニングの、三人の悪党面した男たちが汽車を待っているシーンで、風車の回る唸るような音や、蝿の飛ぶ羽音、天井からしたたり落ちる水滴の音など音が強調されている。そこへ汽車が走り込む蒸気の音。そして汽車が走り去った後に聞こえてくるハモニカの不気味な音。
悪党「馬が一頭足りないな」
ハモニカ「馬が二頭余るな」
そして一瞬で三人を撃ち殺すハモニカ。しびれるやり取りである。
ちなみにこの三人の内の一人を『キャノンボール』シリーズの肛門科医役でお馴染みの顔の造作が全てひん曲がったジャック・イーラムがやっている。
この映画で取り合いになるのは農地でも牧場でもなく、鉄道の駅の土地である。
最後にはフランクもシャイアンそしてハモニカも過去の人間 となり、ジルだけが鉄道という新しい時代に対応して活躍していく。決闘には勝ったもののここは自分の居場所ではないとまた旅に出るハモニカにジルは「また 戻ってきて」と呼びかける。それに応えるハモニカの言葉は「Someday」。だがその「いつか」は決してくることがないのだ。
労働者に飲み物を配りながら生き生きと働くジルの姿には明日への希望が見て取れる。
そんな滅び行くものと生き延びていくものとについての映画でもある。女は強い。だからオープニングタイトルでクラウディア・カルディナーレが一番最初だったのだ。
それにしてもオレが観たのは完全版の165分なので長い。ちょっと冗長な点がある演出なので余計と長く感じる。だが、その冗長な点を削ってしまっ たら駄目なのだろう。セルジオ・レオーネは尊敬する映画監督だが、場面転換が少し下手な気がする。この作品でもいくつか気になるところがあった。
音楽はもちろんエンニオ・モリコーネ。哀愁を感じさせるモリコーネ節が鳴りまくる。
本家ハリウッド西部劇のファンの方にはしょせんマカロニ・ウエスタンは紛い物。その紛い物の監督が撮ったんだからアメリカのモニュメントバレーが 映っていても紛い物には違いないだろうと思われるかも知れないが、これはれっきとした西部劇である。マカロニ・ウエスタンという紛い物を作っていたセルジ オ・レオーネが撮ったからこそ本家以上に正統な西部劇たろうとしているのかも知れない。それもスケールの大きな一大西部劇である。
『恨みシュラ ン』という本に大阪の江戸前寿司を食べに行くエピソードがあって、「大阪の江戸前なんて」と思っていたら東京の江戸前以上に江戸前だった。おそらく「しょ せん大阪の江戸前なんて」とそのセリフを言われることを嫌って必要以上の修行をしたのだろうという話になっていたが、それに通じる物を感じる。セルジオ・ レオーネは「しょせんマカロニ・ウエスタンなんて」と言われることを嫌って本家西部劇以上に西部劇たろうとしたのだろう。
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