アラエイも気持ちはエイティーンの青春ブログ

2019年7月29日から
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その2 DVDプレイヤー購入で悦

2019-04-20 21:36:25 | Weblog
その2 DVDプレイヤー購入で悦

せっかく先日のサイゴン旅行でDVDをたくさんゲットしたのに我がパソコンはすごく不安定

保証期間中なので何度か購入店で見てもらうもいつも要領を得ず!!

ってことで本日は有名店PhongVuさんへ

このサービスショップは丁寧で親切。

ホーチミン店はすごいお客さんで大混雑。
VungTauはいつでもほぼ待ち時間なし

ってことでそちらへ!!


結論はたまたま持ち込んだDVDに傷って!!
それまでにいろいろ検討してもらい快適条件にしてもらう!!

さらに検討中に外付けのDVDプレイヤーが便利そう

吾輩も欲しいって購入でした。

旧パソコンは落下させていらい完全にDVD装置がだめになり新パソコン購入でした。

でも本日購入のプレイヤーで旧パソコンもDVDが使えることに!!

そして帰宅してDVDが快適に見えることが判明
最高に悦でした。





この飲み物さいこう!!

美味しい
明日たくさんゲット予定



そして突然
神戸に行く予定のCuongくんが本日誕生日パーティをするので招待するって挨拶に来てくれる。

あまりに突然で我が身体は対応できそうになく

学生らと一緒に行く予定だったが

ちょっと体調悪いってことで学生におめでとうを伝えるように頼む


やっぱし喪に服する中での肉類はだめです!!
しかも不食3日目にしてやっと慣れてきたときに元に戻すのはだめ!!

学生にはスクーターを明日午前中まで貸すことに!!!
喜んで誕生日パーティに出かけていきました。

それでは昨日の午後からの出来事をアップ

果物がメインの不食





Hueチャン先生からいただいたマンゴーがとってもグーでした。



金曜日の午後2時半からは大掃除の日です。

我が部屋の前、中まで水を使ってきれいに!!









そして午後3時半にはおやつ休憩時間



















夕食はインスタントのとうふ味噌汁



美味しかったです。

満月がきれい











本日の今朝の散策の様子はその1にアップ済み!!



そして外食しなければ時間外いっぱい
古い映画を見たり読書

夕方5時にパソコン修理にPhoungVuでした。


それでは映画の紹介と感想





その5  都会の香りがする淡島千景さんのデビュー作

69年前の道後温泉や宇和島や予讃線の蒸気機関車列車

我が小学生の時の光景をおもいだせてキュウウンでした。

松山から南部宇和島までの画像にうっとり

我輩が1-2歳のときに母の病気で伯母が数人いる八幡浜に疎開
母がなくなってからも小学校時代に何度も
ときに一人で八幡浜へ

予讃線の蒸気機関車で!!
海や山の眺めにうっとり!!
蒸気機関車には泣けてきました。

そして道後温泉 たまりません!!!

でも本館だけは今と大した違いなし























コピペ:てんやわんや
1950年 松竹
監督:渋谷実 主演:佐野周二、淡島千景、志村喬、桂木洋子

また、昭和の大女優が散った。2月16日、淡島千景さんが87歳で亡くなった。私にとっては日本映画で良く見る顔なのだが、あまり詳しい事はしらないという感じの女優さんであった。小さい時にテレビの画面で見ていた彼女は着物を着たイメージが強く、綺麗というよりは、品のいいオバサンという感じだった。そう、決してお母さんではない。芸者のような役が多かったからだろうか?私でもそうなのだから、20代より若い方には、存在すらよくわからない方も多いだろう。しかし、日本映画にとっては、また大きな星が散ったというところだろう。まずは、彼女の映画デビュー作。

東京の雑誌社。給料がでないのかなにか、社員が騒いでストライキだといい、社長(志村)を探している。そこに病み上がりで出社してきた佐野がくる。なにかわからず、屋上に。そこには女子社員の淡島が日光浴をしていた。志村がいる場所を知っているというのでついていくと、キャバレー。佐野に、ちょっと四国に隠れていろという。そして、重要書類だからもっていけと厚い封筒を渡される。四国にいくと、東京から来た人だというと村の人が話に来る。そして、選挙も近いらしく、佐野に意見を聴かせてくれという男たちがくる。彼ら四人が目指すのは「四国独立」だという。まじめに聞く佐野だった。かと思うと、志村から手紙が届き、選挙運動に協力しろとくる。佐野は仮病を使い断る。そんな中、遠足に行こうと4人がいい、背広を着て来いという。彼が泊まる宿には美人の娘(桂木)がいて、彼の布団に入って来た。朝起きると、家の物干しに布団が掛けてある。皆は、それは好きな印だという。佐野はその気になってしまう。そんな時、淡島が志村と来る。ダンスを教えたり、街に都会の雰囲気を振り撒く淡島。佐野は、志村と淡島の仲がきにくわなかったが、淡島は佐野が好きだった。四国独立団は集会がうまくいかず、こんどは宗教にしようと盛り上がり、祭りの日の計画をしだす。そんな祭りの少し前、道後温泉から、志村が病気だという知らせ。佐野がとんでいくと淡島ひとりだった。怒って帰る佐野だったが、祭りの日、桂木にモーションをかけようと考えると、あれは、この村の風習で、旅人を歓待しただけだと言われる。佐野は祭りで荒れてけがをして病院に。そこに重要書類が届く。中身を見ると、エロ写真だった。

淡島千景の銀幕デビューは、晩年のイメージとはかなり違う。突然、セパレートの水着である。(下にある本の表紙になっているのがそれです)それも、場所は東京のビルの上。宝塚出身の娘役出身だが、今でいえば、天海祐希的な雰囲気がある。当時のいいかたなら、アプレというところなのか?酒もたばこもやり、奔放に遊び、男関係も華やかという感じは、当時の淡島にはぴったりの役だったのだろう。そう、彼女は現代娘を演じられるヤングスターだったのだ。是が評判になり、映画スターの道を歩むことになる

次に彼女が佐野をつれていくのは、ストリッパーのいるキャバレー。志村に淡島は、「おまえが踊れ」とかいわれる。結構、イロモノ扱いで、それをしっかり演じている。宝塚とはずいぶんと勝手が違ったとは思うが、やってのけるのは、最初から大女優だったのですね。ここでのストリップはガラスばりのステージで下からも見れるもの、松竹にしては過激だ。ただ、ダンサーはクレジットをみると東宝の人らしい。

東京でストライキというのも当時の風俗なのだろうが、この映画の見せ場は四国の風俗である。原作者の獅士文六が、自分の疎開をネタに書いたらしいが、結構おもしろい。村の選挙は少ない人をどれだけとりこむかだから、それはわかるのだが、東京人というのは皆、頭が良くて知恵が良いイメージがあるのか?佐野にみんなが興味を持つのが、当時の田舎なのだろう。まあ、違う国なのだ。そう考えると、この頃、ここにあるように四国が独立していたら、それはそれで四国は違う道を歩いたかもしれないと思うし、龍馬は日本の人ではなくなるから、今みたいにに信者も増えなかっただろう。

佐野が女をあてがわれるために泊まったところで、主人が「日本は本当に戦争に負けたんですか」というセリフがあるが、空襲もなかったいなかの人はそう思った人も多かっただろう。この映画は終戦5年後だが、そんな実情を描いているのだと思う。そして、まあ、まだこの当時も夜這いがあったところもあるだろうから、ここに描かれる、「旅人には女が奉仕する」という話も本当だったのだろう。まあ、うらやましいという感じ。相手は、清純派の桂木洋子だものね、彼女、この映画の頃が一番カワイイ。

土地のならわしでは、不良になると他人の家の大きな木を切ってまつり、漁がうまくいったら、その家に魚を献上しに来るなどという話もでてくる。この時期の共同体とは、生活の為なら泥棒も許すおおらかさをもっていたこともわかる。そして、その背後には神様が鎮座している感じがものごとをうまくまとめていったのだろう。そう、地震などは、すべて神様の仕業なのだ。(原発事故は東電と政府の責任だけどね・・。)

途中で出てくる、突き合い(闘牛)のシーンとラストの祭りのシーンは、現地(宇和島市)で撮ったものだろう。バックに地元の人と思える顔がいっぱい映っている。実に貴重なフィルムである。出演者の藤原釜足や三井弘二などが、うまく祭りになじんでいて、なかなか良いモブシーンになっている。

淡島の見せ場は、ダンスを村の人に教えるところである。そのたたずまいが可憐である。手足が長いから本当に綺麗なのだ。ただ、田舎の人が皆、少しダンスがうますぎる感もありますが・・。

また、土地の飲み屋の女役で望月優子がでているが、クレジットでは望月恵美子になっている。まだ、母親役で映画で有名になる前である。こういう色っぽい役もやっていたのかと思った。まだ、若いということか?調べたら、この年に33歳だ。

最後のオチは、重要書類が開かれ、そこに入っていたのはエロ写真だったという話。最初から、この封筒に何が入っているのか?と観客に期待させておいてのオチだけに、佐野でなくてもズッコケる。まあ、風刺劇としては楽しめる。とはいえ、当時のエロ写真はかなりレアなものだったのだと思いますけどね。

淡島のデビュー作はこんな現代劇である事は、結構、意外と思う方も多いのではないか?つまり、演技の幅の広い女優さんという事なんですよね。


その4 1960年作品 羽織の大将

フランキー堺のこの映画も最高







十文字忠夫は好きな落語家になる決心をした。桂文楽師匠の弟子である桂五楽師匠の内弟子になった。やがて、小文という芸名を貰った。かけ出しの小文になにかと好意を見せるのが「万盛軒」の春江である。ようやく前座に出られるようになった日、北海道から母親のこうと妹の勝子が上京して来た。法律事務所に勤めているとばかり思っていた息子が高座にいるのでびっくり。五楽のとりなしで母の怒りをといなした小文は、女子大に入る勝子と一緒にアパート住いをすることになった。思いがけぬチャンスが訪れた。ひいきの奥山社長に連れて行かれたナイトクラブで即興の漫談をやったのが、たまたま同席していた放送プロデューサーの目にとまったのだ。小文は新作ものに踏み出し、マスコミに追われる人気者になった。学友の亮太郎の応援演説を頼まれ、亮太郎は当選した。しかし買収の疑いで小文も逮捕された。五楽の身許引受けによって陽の目を見た小文を持っていたのは、ラジオ、テレビからの出演拒否であった。失意の思いでトボトボ歩く小文は道で兄弟子の小丸に会った。話はもつれて喧嘩になった。腹を立てて帰る小丸は自動車にひかれて死んでしまった。通夜、涙を流して小文は位牌に手をついた。五楽のとりなしで、小文は再び高座へ上ることになった。お囃子にのって古典落語を語る小文の目には、一点の迷いもなかった。涙ぐんで聞いている春江は、やがて郷里へ嫁に行くためトランクをもって名ごり惜しげに去った。

YOUTUBE.COM
1960年4月公開 羽織の大将


午後9時25分
学生が戻ってきました。

Cuongくんの誕生日の写真2枚だけコピー

アップします。





2回目の休憩

午後9時35分


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その1 Daveの喪に服する3日目 不食3日目

2019-04-20 14:46:50 | Weblog
その1 Daveの喪に服する3日目 不食3日目

なんということ
ブログを書きアップするところで削除を!!!

結構ショックです。

でも仕方ない
老いぼれと自覚して今後丁寧にパソコンに触れます。

平成31年 新暦2019年4月20日 旧暦3月16日 土曜日

まだ不食に慣れてなく
元気なく昨日は午前7時代にブログしたあと
楽しいときは過ごしたもののアップせずに過ごしていました。


ってことで先ずは本日出来事から
昨日の出来事はその2でアップ予定

いつものように日めくりカレンダーで1日のスタート



そして月と太陽と潮の情報を!!





午前5時25分
満月の黄色い月が西の方に沈みかけています。

きれいです。

黄色って大好き
















ミニサッカー場だったところにレンガ積みとトタン屋根が準備されています。



お隣は釜飯と喫茶店
前はイカのHuTieu

スタッフさんらと近々行く予定です。



ビーチに出ると厚い雲
岬は結構きれいに見えるがモヤが強くかかっています。







でもいつもながら突然にうっすら赤い太陽が!!









だんだん赤みが増してきます。









だんだんきれいに!!







やがて赤から黄色白色と色が変わります。











旗の下公園でくつろぐ

動画も参照されたし









小学校は土曜日は休み
中学校は授業






たくさん買い物
これで不食って疑われそうだが
チーズとゆで卵と真空パック果物たまごサンドと飲み物 少しずつ食べます。




特に新しいチーズに悦





帰宅して校庭で筋力アップ運動



本日は午前7時
まだ学生は寝ていて一人で!!
最近学生が取っていないのかマンゴーが鈴なり!!




そしてすぐに本日着たものは洗濯






1953年 三船敏郎主演の映画 吹け春風を鑑賞 タクシー運転手の三船が東京を案内

吾輩は小学1年生
1964年の東京オリンピックですら結構東京は田舎でした。

我輩が初めて東京に行ったのは高校生の時

オリンピック前
もちろん新幹線はありません!!

四国って孤島
本州との間に3本の橋はありません!!

飛行機はテリブルに高価な時代!!
子供が乗る乗り物ではなし!!!!!

2日ほどかけて東京です。

でも羽田も後楽園球場も高校生には刺激的でした。

新幹線はなくても特急あり
富士でも大阪まで7時間くらいかかった感じ!!!



伊予の松山から東京に行くのは大変

予讃線で高松へ
宇高連絡船で本州の渡り東海道線へ
蒸気機関車も一緒に船で宇治に渡ります。

懐かしき思い出です。

東京の商店街は結構小さくてびっくりしたものです。
東京工大のある大岡山で降り商店街を歩いて親戚の家へ

下宿のアパートをやっていて
東工大生を紹介され
受験を勧められたことも!!!

松山の大天街や銀天街の方がはるかに立派

銀座や新宿は別にして
東京って田舎って自分が大きく感じられました。
でも従妹のおちいが我輩と同じ年で東京弁が好きでした。

おちいと友達が松山に遊びに来てくれたときには世界が広がった感じがしました。

とにかく古い映画って大好き


スポーツニュースが高校生のゲームを途中経過報告



あの163キロを出した高校生





彼の親父さんが東日本大震災で亡くなっているのしって
ますます応援したくなりました。

1回目の休憩

午後2時42分



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