アラエイも気持ちはエイティーンの青春ブログ

2019年7月29日から
ロンカイン市生活スタート
令和5年2023年1月1日数え79歳ワクワク人生

その7 皇后様は84歳 吾輩より一回り上

2018-10-20 23:55:35 | Weblog
その7 皇后様は84歳 吾輩より一回り上

いつものように我がフェイスブックのコピペ編集



その10 午後4時40分 雨の心配なくなりPhapくんとパソコン購入へ

うっすらとお月さまが見えます。

先日、お月さまと火星のランデブーを写真したが
時折我輩が写真を拝借するブロガーさんが昨日のランデブー写真をアップ

本日も無断借用しました!!







パソコンは1000万から2000万の範囲で売っているが
全て触れない状態 Phapくんの通訳は全く用をなさず
購入諦め来週、ベトナム人先生に頼んで一緒してもらいます。

でも気持ちが嬉しいです。
Phapくんありがとうね!!! 
でもでもDVDドライバーがあるとか画面大きさとか
おすすめのパソコンこれくらいの通訳できるようにね!!

PhapくんをGetracoに送りヘアサロン行きを準備中に
空は真っ暗になり午後6時から1時間以上も雷鳴轟く豪雨


このお月さまが2時間後は雷鳴と豪雨で外出できない天候に激変





外出もできなくなり今夜も夕食は自宅で!!



もちろん果物などデザートはたくさんいただく!!!

10月期のドラマは面白いのが多く今夜も鑑賞でした。

またもや朝ドラまんぷく  そして最高SUITSでした。





午後11時33分アップ




その9 我が12歳 雄新中学1年生の4月10日にご成婚の天皇皇后陛下

24歳で結婚され皇室入りそして84歳の誕生日

品性高きお嬢様で日本中が祝福
当時の一回り上はそれはそれは人生50年の時代ですから大先輩オトナ

それから60年 感覚的にはぐんぐん年齢差は縮まり人生の先輩さん

当時はまだまだメディアも品性がありましたが
現在は世界一品のないメディアって揶揄される体たらく!!

我輩が日本を離れたくなった誘因お一つでもあったが!!

それに週末はテレビを見たくなく家にいたくなく
いつもテントを持って東山36峰散策とテントで昼寝の習慣がついたが!!

まあテレビ・マスコミのお陰ですが!!


でも現在は日本離れて10年が経ちベトナムのVungTauに棲まい
冷静に日本のことが眺められ日本人自身は品性は高いって思えます。

でもでもベトナムに暮らす日本人とくに男性ブロガーさんを眺めていると
これまた世界一品性がないって思ってしまいますが!!
そんなことを書く我輩が一番品がないが!!

学生たちの流行り言葉は
ここGetraco実習生で品がない!!です。

学生からしょっちゅう言われています。

人生80年いや100年の時代ですから天皇皇后様には
センテナリアン100歳人を目指してほしいって願いました。


HEADLINES.YAHOO.CO.JP
皇室で60年「決して易しくは...」 皇后さま84歳の誕生日(フジテレビ系(FNN)) - Yahoo!ニュース
皇后さまは20日、84歳の誕生日を迎えられました。皇后として迎える最後の誕生日にあた - Yahoo!ニュース(フジテレビ系(FNN))




その8 懐かしいスタインベックのノーベル賞受賞後の最初の本・チャーリーとの旅 何十度と読みました!! 我が旅の原点かも!!

BLOG.GOO.NE.JP
その6 我が旅の原点はプードル犬・チャーリーとの旅 -アメリカを求めて-

- New Life in VungTau 在越10年目の感動 新ブンタウ生活毎日アップ
その6我が旅の原点はプードル犬・チャーリーとの旅-アメリカを求めて-パソコン買うにはこのASUS購入が原点2016年11月に購入そして先月机の上から落としてCPU交換そしてDVDドライブが使用不能ってことでこれからパソコンシ...


その7 またもや我がブログ内の人気記事に惹かれる 母校・雄新中学校

BLOG.GOO.NE.JP
その5 我が母校・松山市立雄新中学校

- New Life in VungTau 在越10年目の感動 新ブンタウ生活毎日アップ

その5我が母校・松山市立雄新中学校

我が5人の孫のうち最初の孫娘Yuiは東京在住
只今中学1年生

我が生まれ故郷 愛媛県・伊予の国では全国で初めて少年式が毎年挙行されており
母校・松山市立雄新中学校の関連記事が我がブログの....

7回目の休憩


午後11時54分

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その6 我が旅の原点はプードル犬・チャーリーとの旅 -アメリカを求めて-

2018-10-20 16:22:21 | Weblog
その6 我が旅の原点はプードル犬・チャーリーとの旅 -アメリカを求めて-

パソコン買うにはこのASUS購入が原点 2016年11月に購入 そして先月机の上から落としてCPU交換 そしてDVDドライブが使用不能

ってことでこれからパソコンショップに出かけます。

ASUSは安いけど衝撃に弱く壊れやすいとは購入するときの予備知識にあったが
やっぱり机の上から落とした我輩が悪い!!

購入前にCPU交換してから使用できるようになった過程をメモノートを見ながら復習
このサイトに出くわす!!

ちょっと懐かしくなり我がGooブログのコピ編集です。

我が土日は時間がいっぱい
ブログアップが多いです。

2016年11月5日の記事です。

自分のブログながら見ていてキュウウンでした。

それではスタート

その2 我が旅の原点はプードル犬・チャーリーとの旅 -アメリカを求めて-



そして
新PCでブログアップでした。

ASUSのスタートは In Serch Of Incredible


我が記憶に残るIn Search Of は
スタインベックがノーベル文学賞をもらって初めて出版した小説
チャーリーとの旅 アメリカを求めて 吾輩が大学1年生の時に読んだ本でした。



この本が我が世界への旅のあこがれのスタートでした。
そして留学して世界中に旅行する機会を得たものでした。

ドン・キホーテの中からロシナンテ号の名前をもらい米国では初めて特注のキャビンカーを購入
とっても利口なフランス生まれのプードル犬 チャーリーをつれて米国縦横断です。
私しゃ何度読んだかしれません!!!

何度いろいろな出版社の本を買ったか
わかりません!!!



いずれにしても吾輩がサイゴンに滞在しているきっかけは間違いなくこの本の影響です。



それと芭蕉の奥の細道 月も太陽もずずずっと旅を続けています。
そして行き交う人もまた旅人なり
高校生の時に習った奥の細道
吾輩も旅人にあこがれました。

いま思い出しても胸がキュウウンとします。
もう我が人生の旅も間もなく終焉近し
でも生ある限りは

人生って旅を健康で楽しく送りたいが!!


ちなみに我が人生のモットーは
Let's make life a pleasant and healthy journeyです。




1区には行きも帰りもポツリポツリの雨のみ
どうやら乾季に入り大雨は落ちてこなくなりました。 ラッキーでした。

で小雨記念にVNビジネスセンター屋上で記念写真を!!
雲の流れはとても速いです。



































子供たちとの楽しい授業を終えて久しぶりの散策
小さなお店がいっぱい、何でもそろいます。
1区のど真ん中にもまだ昔の小さなお店が
並んでいます。見ていて楽しいです。

そして高島屋へ
熱帯サイゴンでスケートをしている子供たち!!
好奇心は当然ながら子供たちが多いですから!!!




そしてB2の回転ずし屋へ
久しぶりだとパクパク
油断して食べ過ぎ
そこそこOK
でした。










どれも一皿25000ドンみたい!!
皿の色は関係ないみたい!!

レシートを見て判断!!

胃が小さくなりました。これだけ食べてギブアップ
おなかいっぱいで苦しいくらい!!!



お茶する元気もなくポツリポツリの中を帰宅へ
VNビジネスセンターの駐輪代はいつも2万ドン
サービスがいいです。 まあ5千ドンが2万ドンですからバイトの兄ちゃんが喜びます。

午後7時帰宅
カンさん宅はみなさんお出かけでした。


2回目の休憩
午後8時23分

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その5 我が母校・松山市立雄新中学校

2018-10-20 15:49:16 | Weblog
その5 我が母校・松山市立雄新中学校

我が5人の孫のうち
最初の孫娘はYui  東京在住 只今中学1年生

我が生まれ故郷
愛媛県・伊予の国では全国で初めて少年式が毎年挙行され
母校・松山市立雄新中学校の関連記事が我がブログの人気記事ってことでここに再掲!!

Yuiは来年14歳 グランパからのプレゼントです。

この式典の内容がいいので我がブログのコピペ編集です。


Part 1 我が母校松山市立雄新中学校

平成26年 2014年2月16日 日曜日

清々しい朝です。



RinRinParkをサイゴンにオープンした人間味あふれるNgoさん高橋さんと知り合いになり昨日は興奮

眠れないので骨の記憶3回目を読破!!
なかなかしびれる本です。
是非とも独身諸氏には
読んでもらって
結婚観を
養って?


そして28歳も年下の、しかしベトナム滞在は大先輩19年の川口君
吾輩など5年半の滞在なんて子供!!!
Ngoさんとてボーt-ピープル
来日して31年も松山

まあまあすごい人がいるものです。

でも吾輩の米国留学生活 そしてベトナム留学生活はいい人生勉強になっています。

ってことで昨日は川口君の雄新中学の校歌の歌にーーー刺激され
本日はネットを検索しました。

我が中学時代の校歌と同じです。

何度も歌いました。

でも歌詞は同じだが楽譜とは若干違った歌い方だったが
いつ変わったかは知りません。

ホンマに影響を受けやすい人間です。
このフレキシビリティが我が健康を維持している可能性も大だが!!



それに昨日の愛媛県人会には我が母校・雄郡小学校の卒業生もいて私しゃ泣けてきました。

雄新中学のホームページを見るとよくできています。
びっくりです。 ちょっとそんじょそこらの大学よりいいです。

ちなみに雄新の名前は雄郡小学校と新玉小学校の卒業生が
入学する中学ってことで雄郡の雄と新玉の新を組み合わせ雄新となった、もの。

もちろん表面玄関の校舎も我が時代とは違います。



でもでも校章は同じです。超懐かしいです。


でもでも松山に帰省した時はいつも訪問です。松山市立雄郡も雄新も愛媛県立南高も!!





ちょっと雄新のサイトを紹介です。コピペです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ようこそ!雄新中学校のホームページへ
松山市立雄新中学校

http://yuushin-j.esnet.ed.jp/
所在地  〒790-0056 愛媛県松山市土居田町1番地
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そして少年式なんて我が時代にはなかった素敵な儀式が!!
立春の日の行われているらしい。今年は記念すべき50回目とか!!

う~~~~ん 吾輩も歳をとりました。我が中学校時代にはなかったものが50年とは

またもやコピペ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2014年2月4日(火曜日) 平成25年度 
「少年式」

立春の日、ご来賓・保護者の皆様のご臨席を得て、平成25年度「少年式」を挙行しました。
「少年の日」というのは十四歳になった少年少女を大人への階段を登り始めた大切な時期と考え、「自覚・立志・健康」を三本の柱に、愛媛県が全国に先駆けて始めた行事です。今年度は248名の二年生が「少年の日」を迎えました。

【校長式辞】―――――――――――――――――――――――――――――

 少年の日を迎えられた二年生の皆さん、おめでとうございます。
 この時期は、「自分さがし」の時期です。自分はどんな人間なのか。どんな性格なのか。何をやりたいのか。どんな職業に就きたいのか。そして、自分はいったい誰なのか。自分が誰なのかを知ること。つまり、自分自身を発見することが自分らしさの確立なのです。自分を探せば探すほど、自分のことが分からなくなるでしょう。では、どうすれば自分自身を発見することができるのでしょう。皆さんの自分さがしは活動することです。勉強や部活や遊びやけんかや、いろんなことを体験しながら自分自身を見つけていくのです。自分らしさとは、社会との関わりの中で身に付ける自分の役割、自分自身の価値についての確信です。自分は価値のある人間だという自尊感情を持つことが、自分らしさの確立だということです。自分というものを見つめ直してほしい。きっと、良いところが発見できると思います。
 私の尊敬する斉藤喜博さんの著作「教育学のすすめ」の中に、人の可能性ということに書かれたものがあります。実在した人物を中心に書かれたものです。その人物とは島秋人(しまあきと)といい、死刑囚になった人のことです。
 彼は1934年、旧満州(現在の北朝鮮)で生まれました。彼は小学生時代、学校へ行っても素行が悪いので、いつも先生に叱られていて、しばしば 学校を飛び出して河原で遊んでいたそうです。やがて卒業しますが、ろくな仕事に就けなかったせいか、生活は苦しく、飢えに耐えかねて、ある日農家に押し入 り、殺人を犯してしまいます。十五歳の時です。その後は死刑囚になるのですが、死刑を待つ日々を送っているうちに、小学校時代のある先生に手紙を書きたく なったというのです。それはほとんど褒められたことのない彼が、図工の時間に「構図がよい」と褒めてくれたことを思い出したからです。教師との文通をする 中で、短歌を詠み始め、その短歌がすばらしいと感じた教師は、専門家に見せたところ、その才能は並のものではない。ということがわかり、出版しようという 動きになったということです。彼は死刑囚になってから才能が開花したのです。しかし時遅く、死刑囚として死刑執行を迎えることになりました。三十三歳の時 です。彼の死後、彼の書いた短歌は遺愛集として出版されたということです。
 斉藤喜博さんが強く衝撃を受けたのは、彼が図工の先生から「構図がよい」と褒められたというところです。おそらく彼としては、生涯にたった一度 だけ褒められた経験だったのかもしれません。しかし、その短い褒め言葉が、そんなにも人の才能を開花させる原動力になったということです。つい一面的な物 差しだけで人を見てしまいがちですが、人は一人一人違うものであった、その一人一人が他の人にはない良さを持っているのだということを知らされたそうで す。すべての子供はすばらしくなる可能性を秘めているということです。
 子供達は、学校の行事や地域や家庭での行事の中で、教師や地域の人や他の子供の力を借りながら、自分の全身を使って喜び勇んでよじ登っていくようになると思います。そして、自分の良さを見つけるのです。
 皆さんはこの二年間でどんどん明るくなり、堂々と自分の意見を表現できるようになりました。つまり、日本一の雄新中を実現させてくれたのです。 さらに自分の良さを見つける生徒が増え続ければ、雄新中が世界一「信頼と絆を深めた」学校になるのです。そうなることを皆さんに期待して、お祝いの言葉と いたします。
――――――――――――――――――――――――――――――――–
大人への階段を登り始める「少年式」
大切な家族へ、先生へ、友達へ向けて自分の決意を綴った「誓いの言葉」を二年生全員で発表しました。

初々しい中学生たち:我が時代の男子生徒は丸坊主だったが!!




自慢ではないですが、いや自慢です。
吾輩は3年間オール5を続けました。
現在はどんな基準で成績をつけているのか知らないが
当時はクラスで1割が5、でも全教科1割でオール5は??
やっぱ品が無いのでこの記事の継続は恥ずかしくやめておきます。

でもでも初心なあの時代が懐かしいです。

あのう、そしてもう一つだけ自慢
中学1年生で吾輩の高飛びの記録は165cm
小学6年生は125cm この一年の成長が信じられませんでした。

今のように背面ジャンプではなくベリーロールでしたが!!

それに昨日補習校の森本先生から3月からは
絶対にクラスを担当してって嬉しい連絡

最近は小中学校の日本の教育にも興味が出てきています。
そして小中学生の生徒にもうそれはそれは強い興味が好奇心が出てきています。

我が偏見なれど、教師採用にはわれらを世代の採用枠を増やすべし!!

貧しき日本の時代を知り、夢一杯に過ごし人生経験豊富な我等世代は
子供たちに古き日本の文化を伝承でき教育向上に貢献できるって思うが。

さて記事の続き!!

いい言葉が連続です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【誓いの言葉】

僕たち、私たちは、校訓「高い知性・深い情操、強い意志」のもと
日々の学びや部活動に取り組んできました。
自分の目標を目指すことができるのは、多くの方々が支えてくれるおかげです。
今、「生きている」ということに感謝し
命、輝かせながら 
未来へ、羽ばたいていきます。

「自覚」
自分の行動に責任がとれる大人になり、すべての出会いを大切にします。
「立志」
無限の可能性と希望を持ち、笑顔を絶やさず挑戦し、夢を叶える準備をしていきます。
「健康」
真面目に強くたくましく、規律と節度ある生活をし、自分に負けない強い心と健全な体作りをしていきます。
「感謝」
今まで育ててくれてありがとう。いつも優しくそばにいて支えてくれてありがとう。今、私たちがいるのは
家族が、先生が、友達が、みんなが、私たちのことを大切にしてくれたからです。
本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。
責任を持ち、将来について考え、感謝の気持ちを忘れない。
そんな人間を目指し、たくましい心と体を作り、自分を磨き、目標を持ち、
未来へ羽ばたいていくことをここに誓います。
―――――――――――――――――――――――――――――――-
誓いの言葉が終わった後、学年合唱「命が羽ばたくとき」を歌いました。

第50回という歴史と伝統のある「少年式」
今年度の二年生268名も、これまでの先輩方のようにすばらしい姿を見せてくれました。
あと一年間ほどの中学校生活で、自分の進むべき道を見つけ、さらに自分を磨いてほしいと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Fumieさんが又暫く日本帰国って連絡
日曜サロンのVanちゃんから皆で昼食しようって連絡!!

ユンさんや峰さんやロアンさんなども青年文化会館の日本語クラブに
来ているらしい!!!

吾輩は昨日はタンさんにドタキャン
本日はタンさんからドタキャンでフリー

もういちど昨日のりんりんパークへって調べていたところ!!
我が家から10キロ


アドレスはこれ@@


って計画も間もなく1区で昼食会ってことでお流れです。

嬉しいことなれどなかなか日曜日を休ませてくれません!!

1回目の休憩
午前10時34分

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その5 我が母校・松山市立雄新中学校

2018-10-20 15:45:15 | Weblog
その5 我が母校・松山市立雄新中学校

我が5人の孫のうち
最初の孫娘はYui  東京在住 只今中学1年生

我が生まれ故郷
愛媛県・伊予の国では全国で初めて少年式が毎年挙行され
母校・松山市立雄新中学校の関連記事が我がブログの人気記事ってことでここに再掲!!

Yuiは来年14歳 グランパからのプレゼントです。

この式典の内容がいいので我がブログのコピペ編集です。


Part 1 我が母校松山市立雄新中学校

平成26年 2014年2月16日 日曜日

清々しい朝です。

RinRinParkをサイゴンにオープンした人間味あふれるNgoさん高橋さんと知り合いになり昨日は興奮

眠れないので骨の記憶3回目を読破!!
なかなかしびれる本です。
是非とも独身諸氏には
読んでもらって
結婚観を
養って?



そして28歳も年下の、しかしベトナム滞在は大先輩19年の川口君
吾輩など5年半の滞在なんて子供!!!
Ngoさんとてボーt-ピープル
来日して31年も松山

まあまあすごい人がいるものです。

でも吾輩の米国留学生活 そしてベトナム留学生活はいい人生勉強になっています。

ってことで昨日は川口君の雄新中学の校歌の歌にーーー刺激され
本日はネットを検索しました。

我が中学時代の校歌と同じです。

何度も歌いました。

でも歌詞は同じだが楽譜とは若干違った歌い方だったが
いつ変わったかは知りません。

ホンマに影響を受けやすい人間です。
このフレキシビリティが我が健康を維持している可能性も大だが!!



それに昨日の愛媛県人会には我が母校・雄郡小学校の卒業生もいて私しゃ泣けてきました。

雄新中学のホームページを見るとよくできています。
びっくりです。 ちょっとそんじょそこらの大学よりいいです。

ちなみに雄新の名前は雄郡小学校と新玉小学校の卒業生が
入学する中学ってことで雄郡の雄と新玉の新を組み合わせ雄新となった、もの。

もちろん表面玄関の校舎も我が時代とは違います。



でもでも校章は同じです。超懐かしいです。


でもでも松山に帰省した時はいつも訪問です。松山市立雄郡も雄新も愛媛県立南高も!!





ちょっと雄新のサイトを紹介です。コピペです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ようこそ!雄新中学校のホームページへ
松山市立雄新中学校

http://yuushin-j.esnet.ed.jp/
所在地  〒790-0056 愛媛県松山市土居田町1番地
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そして少年式なんて我が時代にはなかった素敵な儀式が!!
立春の日の行われているらしい。今年は記念すべき50回目とか!!

う~~~~ん 吾輩も歳をとりました。我が中学校時代にはなかったものが50年とは

またもやコピペ
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2014年2月4日(火曜日) 平成25年度 
「少年式」

立春の日、ご来賓・保護者の皆様のご臨席を得て、平成25年度「少年式」を挙行しました。
「少年の日」というのは十四歳になった少年少女を大人への階段を登り始めた大切な時期と考え、「自覚・立志・健康」を三本の柱に、愛媛県が全国に先駆けて始めた行事です。今年度は248名の二年生が「少年の日」を迎えました。

【校長式辞】―――――――――――――――――――――――――――――

 少年の日を迎えられた二年生の皆さん、おめでとうございます。
 この時期は、「自分さがし」の時期です。自分はどんな人間なのか。どんな性格なのか。何をやりたいのか。どんな職業に就きたいのか。そして、自分はいったい誰なのか。自分が誰なのかを知ること。つまり、自分自身を発見することが自分らしさの確立なのです。自分を探せば探すほど、自分のことが分からなくなるでしょう。では、どうすれば自分自身を発見することができるのでしょう。皆さんの自分さがしは活動することです。勉強や部活や遊びやけんかや、いろんなことを体験しながら自分自身を見つけていくのです。自分らしさとは、社会との関わりの中で身に付ける自分の役割、自分自身の価値についての確信です。自分は価値のある人間だという自尊感情を持つことが、自分らしさの確立だということです。自分というものを見つめ直してほしい。きっと、良いところが発見できると思います。
 私の尊敬する斉藤喜博さんの著作「教育学のすすめ」の中に、人の可能性ということに書かれたものがあります。実在した人物を中心に書かれたものです。その人物とは島秋人(しまあきと)といい、死刑囚になった人のことです。
 彼は1934年、旧満州(現在の北朝鮮)で生まれました。彼は小学生時代、学校へ行っても素行が悪いので、いつも先生に叱られていて、しばしば 学校を飛び出して河原で遊んでいたそうです。やがて卒業しますが、ろくな仕事に就けなかったせいか、生活は苦しく、飢えに耐えかねて、ある日農家に押し入 り、殺人を犯してしまいます。十五歳の時です。その後は死刑囚になるのですが、死刑を待つ日々を送っているうちに、小学校時代のある先生に手紙を書きたく なったというのです。それはほとんど褒められたことのない彼が、図工の時間に「構図がよい」と褒めてくれたことを思い出したからです。教師との文通をする 中で、短歌を詠み始め、その短歌がすばらしいと感じた教師は、専門家に見せたところ、その才能は並のものではない。ということがわかり、出版しようという 動きになったということです。彼は死刑囚になってから才能が開花したのです。しかし時遅く、死刑囚として死刑執行を迎えることになりました。三十三歳の時 です。彼の死後、彼の書いた短歌は遺愛集として出版されたということです。
 斉藤喜博さんが強く衝撃を受けたのは、彼が図工の先生から「構図がよい」と褒められたというところです。おそらく彼としては、生涯にたった一度 だけ褒められた経験だったのかもしれません。しかし、その短い褒め言葉が、そんなにも人の才能を開花させる原動力になったということです。つい一面的な物 差しだけで人を見てしまいがちですが、人は一人一人違うものであった、その一人一人が他の人にはない良さを持っているのだということを知らされたそうで す。すべての子供はすばらしくなる可能性を秘めているということです。
 子供達は、学校の行事や地域や家庭での行事の中で、教師や地域の人や他の子供の力を借りながら、自分の全身を使って喜び勇んでよじ登っていくようになると思います。そして、自分の良さを見つけるのです。
 皆さんはこの二年間でどんどん明るくなり、堂々と自分の意見を表現できるようになりました。つまり、日本一の雄新中を実現させてくれたのです。 さらに自分の良さを見つける生徒が増え続ければ、雄新中が世界一「信頼と絆を深めた」学校になるのです。そうなることを皆さんに期待して、お祝いの言葉と いたします。
――――――――――――――――――――――――――――――――–
大人への階段を登り始める「少年式」
大切な家族へ、先生へ、友達へ向けて自分の決意を綴った「誓いの言葉」を二年生全員で発表しました。

初々しい中学生たち:我が時代の男子生徒は丸坊主だったが!!




自慢ではないですが、いや自慢です。
吾輩は3年間オール5を続けました。
現在はどんな基準で成績をつけているのか知らないが
当時はクラスで1割が5、でも全教科1割でオール5は??
やっぱ品が無いのでこの記事の継続は恥ずかしくやめておきます。

でもでも初心なあの時代が懐かしいです。

あのう、そしてもう一つだけ自慢
中学1年生で吾輩の高飛びの記録は165cm
小学6年生は125cm この一年の成長が信じられませんでした。

今のように背面ジャンプではなくベリーロールでしたが!!

それに昨日補習校の森本先生から3月からは
絶対にクラスを担当してって嬉しい連絡

最近は小中学校の日本の教育にも興味が出てきています。
そして小中学生の生徒にもうそれはそれは強い興味が好奇心が出てきています。

我が偏見なれど、教師採用にはわれらを世代の採用枠を増やすべし!!

貧しき日本の時代を知り、夢一杯に過ごし人生経験豊富な我等世代は
子供たちに古き日本の文化を伝承でき教育向上に貢献できるって思うが。

さて記事の続き!!

いい言葉が連続です。
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【誓いの言葉】

僕たち、私たちは、校訓「高い知性・深い情操、強い意志」のもと
日々の学びや部活動に取り組んできました。
自分の目標を目指すことができるのは、多くの方々が支えてくれるおかげです。
今、「生きている」ということに感謝し
命、輝かせながら 
未来へ、羽ばたいていきます。

「自覚」
自分の行動に責任がとれる大人になり、すべての出会いを大切にします。
「立志」
無限の可能性と希望を持ち、笑顔を絶やさず挑戦し、夢を叶える準備をしていきます。
「健康」
真面目に強くたくましく、規律と節度ある生活をし、自分に負けない強い心と健全な体作りをしていきます。
「感謝」
今まで育ててくれてありがとう。いつも優しくそばにいて支えてくれてありがとう。今、私たちがいるのは
家族が、先生が、友達が、みんなが、私たちのことを大切にしてくれたからです。
本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。
責任を持ち、将来について考え、感謝の気持ちを忘れない。
そんな人間を目指し、たくましい心と体を作り、自分を磨き、目標を持ち、
未来へ羽ばたいていくことをここに誓います。
―――――――――――――――――――――――――――――――-
誓いの言葉が終わった後、学年合唱「命が羽ばたくとき」を歌いました。

第50回という歴史と伝統のある「少年式」
今年度の二年生268名も、これまでの先輩方のようにすばらしい姿を見せてくれました。
あと一年間ほどの中学校生活で、自分の進むべき道を見つけ、さらに自分を磨いてほしいと思います。
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Fumieさんが又暫く日本帰国って連絡
日曜サロンのVanちゃんから皆で昼食しようって連絡!!

ユンさんや峰さんやロアンさんなども青年文化会館の日本語クラブに
来ているらしい!!!

吾輩は昨日はタンさんにドタキャン
本日はタンさんからドタキャンでフリー

もういちど昨日のりんりんパークへって調べていたところ!!
我が家から10キロ


アドレスはこれ@@


って計画も間もなく1区で昼食会ってことでお流れです。

嬉しいことなれどなかなか日曜日を休ませてくれません!!

1回目の休憩
午前10時34分

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その4 雨上がって晴れ、快晴、そしてポツリ雨

2018-10-20 15:19:12 | Weblog
その4 雨上がって晴れ、快晴、そしてポツリ雨

この5時間の天候変動
凄い常夏VungTauの変動

ほぼ24時間ぶりに雨上がり午前9時45分散策スタート
強風の影響もあり雨雲が流され部分的に青空出現

散策の丘から眺めるLargeMoutain SmallMountainがくっきりはっきりで深呼吸

そしてビーチに出るとぐぐぐーーーンと晴れ間広がり持ち出した雨傘が日傘代わりに!!

私立高等学校やZONE82の前を通り寿司東京へ

昼食後もまだ青空いっぱい
帰宅して30分で雨音が聞こえる。
そしてなんと全天雲が覆っていました。

現在午後3時3分
雨音なしも空は全天を雲が覆っています。

でもなんとなく雨は大丈夫な感じ
でもでも本日はできればパソコンを買いたいのでスクーターでこれから出かけます。

そしてヘアサロンしてから帰宅予定

それではいつものように我がフェイスブックのコピペ編集



その5 くっきりはっきり雨の後のビーチは空気が美味しい 動画1本

我がGetraco教師仲間さんの話では
例のパソコン修理ショップが一番!!
パソコン買うならおすすめ値段はともかく完全保証がいいと!!!

DVDドライブがイマイチの旧パソコン
新パソコンはまったく作動しないDVDドライブ

ってことで
予算は1000万ドンから2000万ドンの範囲で
これから覗きに行ってみます。さて吾輩はどうするでしょか??

午後2時35分


その4 雨上がったと思ったら好天気に!!

昨夜は日付変わってすぐに黄昏症候群第2話鑑賞しながらデザート間食









SUITS 原作米国版のドラマを見て半徹夜
鈴木保奈美と織田裕二のラブコメが大人になって弁護士役



Suitsが面白くて1話と2話を2回も見たため半徹夜

[新]SUITS/スーツ 第1話 2018年10月8日 第2話10月15日

《内容》勝つためなら手段を選ばないエリート敏腕弁護士。一度見たものは忘れない驚異の記憶力を持つフリーター。
    そんな二人がタッグを組み、数々の厄介な訴訟に挑む!

《出演者》織田裕二 中島裕翔 新木優子 中村アン 磯村勇斗 今田美桜 國村隼 田島令子 小手伸也 鈴木保奈美

そして2時間のスリープでゲットアップ

午前10時前にやっと散策スタートでした。

雨音が消え傘を持って外に出ると青空が出現

雨傘から日傘に変身させて懐かしい散策の丘を通りビーチへ

途中、ガレージに大型のトレーラー
格好良くて写真撮り









このところ花の色が鮮やかになってきた散策の丘でも写真





ビーチに出たときにはまるで秋の空に変身
たくさん写真を!!

昨日からほぼ丸一日降った雨で
空気はきれいでおいしく景色もくっきりはっきり!!

Getraco本社ビル
業務移転で6Fから最上階20F その写真撮り











旗の下公園にはまだ1本も掲揚なし























私立高等学校前を通り例のZONE82喫茶店
本日は家族連れがいっぱいで入らず!!

体育館や教室から声が聞こえてきます。 一度はこの高校で日本のことを教えたいが!! 我が夢!! いつか機会見つけて実現を!!











寿司東京の昼食
食べ過ぎも超美味しい!!











そして帰宅





朝ドラまんぷく 本日も面白い!!
そして二人は結婚

来週へ続く!!





なんと快晴状態から急変
雲が全天を多い雨

雨あがるもくもり空です。

午後2時25分アップでした。

くっきりはっきりビーチでの動画あり
風は東風 とても強く波も高し

動画のあと空は快晴に向かいました。

そして3時間の散策後はまたもや雨
不思議VungTauのお天気でした。

午後2時30分アップ



その3 雨で幽閉されています。でも今から散策スタートします!!

懐かしき我が写真にキュウウン連発

雨など関係なし

傘を持っていけばすむこと!!


BLOG.GOO.NE.JP
その3 まだ部屋の中なのでまたもや懐かしき我がブログコピペアップ

  - New Life in VungTau 在越10年目の感動 新ブンタウ生活毎日アップ

まだ雨で部屋から出られないのでアップしたあとは
何が何でも散策にでかけます!!

午前9時半アップ

それでは3年前の記事我が昔の懐かしき写真で...

その2 私の1711の意味は??

4回目の休憩

午後3時18分

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その3 まだ部屋の中なのでまたもや懐かしき我がブログコピペアップ 

2018-10-20 09:32:30 | Weblog
その3 まだ部屋の中なのでまたもや懐かしき我がブログコピペアップ 

まだ雨で部屋から出られないのでアップ

でもこのあとは何が何でも散策にでかけます!!

午前9時半 アップ

それでは3年前の記事
我が昔の懐かしき写真でキュウウンでした。


その1 懐かしい写真 なんの意味??

平成27年 西暦2015年11月10日 火曜日

我が名前で検索して画像を見ると懐かしいのがいっぱい!!



















これ何と書いているのかチンプンカンプン!!
Laお寺のことだけど同じような内容で何度かテレビと新聞にでたが??

Giáo sư Nhật và hành trình gieo chữ trên đất Việt
CAND 30/05/2014 17:57
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TỪ KHOÁ
Giáo Sư
Tiếng Nhật
Dạy Học
Sinh Viên
Nhật Bản
Vợ
Con Người
Ngoại Ngữ
Sài Gòn
Sư Thầy
Mê Hoặc






Lần đầu tiên đặt chân đến đất nước Việt Nam, Giáo sư Ken Uobe đã thật sự bị lôi cuốn bởi cảnh vật và con người. Đôi bàn chân bỡ ngỡ, những bước đi dạn dĩ khắp Sài Gòn của vị giáo sư người Nhật không chỉ để khám phá, không chỉ để tìm hiểu mà còn là để trải nghiệm từng cung bậc cảm xúc tươi mới, đầy mơ mộng trên một xứ sở mà theo như Giáo sư Ken thì thú vị vô cùng. Từ lần đầu ấy đã mê hoặc vị giáo sư này để rồi ông có một quyết định táo bạo, gắn trọn phần đời còn lại của mình ở Việt Nam với nghề dạy học.
Định mệnh từ sự mê hoặc
Tôi gặp ông trong một buổi chiều nắng nhạt tại khuôn viên Chùa Lá quận Gò Vấp, TP Hồ Chí Minh), nơi ông đã có một quãng thời gian đầy ý nghĩa với lớp học ngoại ngữ cùng các em sinh viên Việt Nam. Giáo sư Ken vui vẻ, cởi mở và vô cùng hòa đồng với tất cả mọi người. Những rào cản về ngôn ngữ không hề làm xa cách mối quan hệ thân thiện, nhiệt tình với Giáo sư Ken. Và tôi cũng vậy, cuộc nói chuyện với giáo sư Ken phải nhờ người phiên dịch. Ngồi đối diện với vị giáo sư người Nhật này, tôi không hề có khoảng cách về ngôn ngữ, về vị thế thường được con người quy kết để phân định ranh giới trong xã hội. Giáo sư Ken luôn cười, luôn lắng nghe và dường như ông đã rất am hiểu về con người Việt Nam.
Tính đến nay, Giáo sư Ken Uobe đã ở Việt Nam được 5 năm. Ký ức về ngày đầu tiên đặt chân đến Việt Nam được xem là cột mốc đáng nhớ trong chuyến hành trình của vị giáo sư này. Đó là những ngày giáp Tết âm lịch 2008 ở Việt Nam, Giáo sư Ken Uobe đặt chân đến Hà Nội. Trời miền Bắc khi ấy đang vào đợt rét đậm, ngoài cái lạnh tê tái, ông vẫn cảm nhận được sự ấm áp của con người đất Thủ đô. Một thời gian ngắn, Giáo sư Ken đành cất bước vào Sài Gòn vì ông nghe người ta nói, phương Nam đang có nắng ấm. Vừa đặt chân xuống phi trường Tân Sơn Nhất, Giáo sư Ken đã bị choáng ngợp bởi một thành phố sôi động, tấp nập cảnh xe cộ và bán buôn. Một cuộc sống ồn ào, náo nhiệt và một bầu không khí nắng ấm trải dài khắp nơi. Sự mê hoặc đã khiến Giáo sư Ken dạn dĩ sải những bước chân khắp đường phố Sài Gòn. Một điều nữa, giáo sư Nhật Bản nhận thấy ở Việt Nam, con người và cuộc sống giống với nước Nhật của ông quá.

Giáo sư Ken Uobe và lớp tiếng Nhật tại Chùa Lá.
Từ cách ăn mặc đến màu da đều có nét hao hao khiến ông cảm giác đây giống như ngôi nhà của mình. Cảnh vật và con người ấy khác hoàn toàn so với một số nước ông từng đi qua ví dụ như Malaysia, Thái Lan, Lào… họ mặc đồ kiểu khác và màu da cũng khác. Giáo sư Ken thật sự bị cuốn hút bởi nhịp sống đô hội của thành phố Sài Gòn. Ngoài đường là những dòng xe ngùn ngụt nối đuôi nhau không bao giờ hết, trong đó cả phụ nữ và đàn ông đều lái xe máy. Nước Nhật của ông thì khác, chỉ có đàn ông chạy xe máy thôi, còn phụ nữ hầu như không có.
Là một giáo sư chuyên ngành Nha khoa, Giáo sư Ken đã gửi thư mời đến các trường đại học của Việt Nam ngỏ ý muốn dạy học tại đây. Một thời gian sau thì Trường Đại học Y Dược TP Hồ Chí Minh và Trường Đại học Hùng Vương mời ông tham gia giảng dạy. Nhận được lời mời dạy học, Giáo sư Ken mừng quá reo lên, ông thuê một căn phòng rộng chưa đầy 20m2 ngay gần trường để tiện cho việc đi lại. Trong căn phòng khiêm tốn, chật chội chứa ngổn ngang sách, vị giáo sư Nhật luôn tìm thấy niềm vui không chỉ trong công việc mà trong cuộc sống hằng ngày. Giáo sư Ken tâm sự: “Tôi sống một mình nhưng luôn có các bạn sinh viên chia sẻ. Các em đến phòng tôi, cùng học với tôi và cùng nhau nấu ăn. Thật là ấm cúng như một gia đình. Khi tôi ốm, hàng xóm xung quanh biết đã động viên, chia sẻ và giúp đỡ tôi chữa bệnh. Điều này, tôi chỉ thấy ở Việt Nam mà thôi”.
Nhận thấy việc học ngoại ngữ của các bạn sinh viên còn nhiều khó khăn, Giáo sư Ken đã chuyển hẳn sang dạy tiếng Nhật. Hơn năm tháng đầu tiên, ông Ken đi bộ dạy học. Đôi chân của vị giáo sư 61 tuổi này rong ruổi khắp các con đường, khu phố đến các điểm dạy tiếng Nhật trong một số trung tâm Ngoại ngữ ở TP Hồ Chí Minh. Người dân xung quanh khu vực Giáo sư Ken thuê trọ đã quá quen thuộc với hình ảnh một ông thầy cao lêu nghêu sải những bước chân dài vững vàng trên đường. Một số trung tâm ở xa quá, Giáo sư Ken chọn giải pháp đi xe bus. Mỗi khi lên xe, dù còn ghế trống nhưng vị giáo sư này vẫn chỉ đứng. Nhiều người ngạc nhiên còn ông thì mỉm cười thoải mái.

Sang Việt Nam, Giáo sư Ken đã tập chạy xe máy và lái xe rất thành thạo.
Ông Ken có một sức làm việc phải nói là phi thường. Tôi hỏi ông già rồi sao chưa chịu nghỉ? Còn ông xua tay phản đối: “Đứng xem tôi là người già, tôi vẫn làm việc vẫn hoạt động bình thường như bao người khác. Tôi thấy mình đang còn sức khỏe, còn trí tuệ. Phải 10 năm, 20 năm hay hơn thế nữa hãy nói tôi già”.
Gieo chữ bên hiên chùa
Năm 2010, Giáo sư Ken tìm đến Chùa Lá trình bày nguyện vọng của mình là muốn được dạy tiếng Nhật miễn phí cho các em sinh viên có hoàn cảnh khó khăn. Trước đó, Chùa Lá được biết đến là nơi học ngoại ngữ miễn phí của các em sinh viên do sư thầy trụ trì Thích Nhuận Tâm sáng lập. Thời gian đứng lớp ở Chùa Lá, Giáo sư Ken đã hòa cùng các bạn sinh viên vào mỗi bài giảng của mình. Không chỉ giảng về tiếng Nhật, Giáo sư Ken còn truyền lửa cho các học trò của mình về cách sống và làm việc. Lớp học của Giáo sư Ken luôn rộn rã tiếng cười. Ông truyền cảm hứng học tiếng Nhật cho các bạn sinh viên từ chính sự vui tươi, yêu đời và tràn đầy lạc quan của bản thân ông. Một tuần ba buổi lên lớp, Giáo sư Ken hầu như không vắng mặt ngày nào mặc dù đoạn đường từ nơi ông ở để đến Chùa Lá là cả một vấn đề. Ông bảo, càng ngày ông càng thấy yêu quý và cảm mến với các bạn sinh viên Việt Nam. Họ là thế hệ trẻ tương lai của đất nước nhưng họ rất chịu khó, cần cù và ham học hỏi cho dù cuộc sống của họ rất khó khăn, thiếu thốn.
Tình thầy trò, tình cảm gắn kết giữa một con người hoàn toàn khác tiếng nói, phong tục và những học trò nhỏ bé, hồn nhiên bên hiên Chùa Lá đã trở thành một khối liên kết chặt chẽ. Những ngày rảnh rỗi không đi dạy ở đâu, Giáo sư Ken lại được các bạn sinh viên mời về nhà nấu cơm cho thầy giáo Nhật ăn hay tập trung ở một điểm hẹn nào đó rồi cùng nhau đi chơi. Thế nên, mỗi ngày đối với ông là một ngày đầy ý nghĩa, luôn tràn ngập niềm vui. Tuy ở một mình nhưng đối với Giáo sư Ken không hề thấy cảm giác cô đơn, buồn phiền, trái lại ông rất thích cuộc sống như thế này ở Việt Nam.
Giáo sư Ken bật mí rằng, ông và vợ của mình có quy ước với nhau là cứ một năm vợ ông qua Việt Nam thăm chồng một lần và năm sau ông lại về Nhật với bà. Ông đã kể cho vợ mình nghe về đất nước và con người Việt Nam tuyệt vời như thế nào. Những ngày vợ sang thăm, ông dẫn vợ đi khắp Sài Gòn, cho bà ăn những món ăn đặc sản mà rất bình dị. Đó là những kỷ niệm khó quên ông dành cho vợ mình để bà luôn muốn sang Việt Nam nhiều hơn.
Hơn một năm trước, trên đường đến Chùa Lá dạy học, Giáo sư Ken bị tai nạn xe máy. Chiếc xe máy bị hư hỏng nặng, còn ông cũng bị trầy xước ngoài da. Từ đó, Giáo sư Ken rất sợ phải đi xe máy vào buổi tối nên ông đề nghị sư thầy trụ trì mở lớp ban ngày cho ông tiếp tục dạy. Nói đến việc dạy học, ánh mắt vị giáo sư ánh lên niềm vui, niềm hạnh phúc lấp lánh. Công việc khiến ông quên đi thời gian của tuổi già và sự cô đơn nơi đất khách quê người. Ông cho biết, tiền lương hưu của ông cũng đủ cho ông trang trải cuộc sống một mình ở Việt Nam, còn việc ông đi dạy chỉ là niềm vui. Tôi hỏi ông ý định khi nào thì về Nhật Bản, ông cười đôn hậu mà rằng: “Sẽ ở Việt Nam đến khi nào không còn sức khỏe nữa, vì mảnh đất và con người ở đây vẫn luôn là những thú vị không có giới hạn

1回目の休憩
午前1時32分


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その2 まだ雨が!! ってことで自宅幽閉ってことでブログアップ

2018-10-20 08:37:14 | Weblog
その2 まだ雨が!! ってことで自宅幽閉ってことでブログアップ

団塊の世代 BabyBoomer が死を考え始めたってちょっと古いが我が2012年のブログのコピペ編集

サブタイトルは我が大好き1711 昭和21年の1 誕生日が7月11日で711
ってことで我が暗証番号によく使用する1711は大好きな番号

サイゴン時代の6年半お世話になったホームステイ先の大家さんのバイクのプレートが1711


昨日の早朝散策のあとは終日雨
学生と約束の3時のお茶も夕方の散策と食事も今朝の早朝も散策できておらず
身体がムズムズで精神衛生にも肉体的にも我が恒常性の維持にはよくない状況!!

もう我慢出来ないので傘を差してでも
このブログをアップしたあと散策に出かけます。

午前8時23分

それでは2012年6年前の我がGooブログのコピペ編集アップです。


その1 VTC10出演画像 白楽天「六十六」 団塊の世代は死を考え始めた@サイゴン

2012年8月27日 月曜日

今朝も2時過ぎに目覚め:TVはライブでリトルリーグ世界シリーズを!!
日本が米国に10:2と圧勝して優勝しました。
しかしこんなに小さい時から野球一筋??
まあ米国まで来てゲームができる幸せ?。
でも人生が小さくなるのでは??
って思った。

Gooブログ編集によれば我がブログは毎日平均300人くらいが訪問読んでくれるが
閲覧はその3倍から5倍くらい!!!!
一人の人が3回から5回くらい??
でも本日はスペシャル!!!!
昨日の閲覧数は我が愛する
数字1711でした。



数年前バンコク市内でマクドナルド
1711を見つけ嬉しく
飛び込みました。



ベトナム政府はどうしてマクドナルドの進出を認めないの??
KFCやロッテリアで競合してサービスがよくなるのにって思いました。

11時から20分ほど大雨
ちょっぴり涼しくなってブログ書きです。

何度か読み直して少々食傷気味?ってこともないが:あいつと私
一段落したところで週刊誌を昨夜と今朝はじっくり読む。

それにしても毎週毎週死をテーマにした記事が多い
ベビーブーマー団塊の世代が身近に「死」を考え
準備し始めた機会をとらえたものか??

死と日本人、私の大往生、老いかたレッスン、白楽天七十四歳の宴会、
新書では池上彰の宗教がわかれば世界が見えるなんて本も
   

小生なんて生き方死に方はほぼ固まってきているが
それでも素敵な出会いからより楽しい
生き方死に方の探求ってトライも
おこなうフレキシビリティあり。

でも基本は
人間到るとこの青山あり
地球で死ぬのであれば問題なし
そしてできれば誰もが発見でいないところで死ぬつもりだが!!

決して病院や家で死ぬことはなく
自然の中でって計画!!!!
つまり余力残してsuicide
です。

でも昨日ロアンが持ってきてくれたImpressive Vietnam@VTC10の我が出演24分番組!!を見ているとそんな不遜な考えは消えました。

番組のスタート:毎週火曜日のVTC10印象的ベトナムにようこそ!!
KenUOBEを御紹介、放送しますってな感じです。
感動!!ベトナム語と字幕英語で@美人アナウンサー
 

そしてラスト前に字幕にアナウンサーの感動的言葉が示されます。

Ken Uobe's enthusiasm is so respectable!!
In 10 or 20 years' time, he'll get older but his dream to devote
the rest of his life to Vietnamese students stays young forever.....

テレビでは10年、20年経てば年をとるであろうが
我が人生をベトナムの若者に捧げたいという夢は
永遠に若いままでしょうなんて
美人のアナウンサーさんが
ベトナム語でしゃべって
それが字幕英語に
なってました。

できれば10年20年も生きてみたいですが!!


我が志の情熱はいいって!!


10年20年すれば年をとられるでしょうが(当然です)。


しかし我が夢は永遠に青年のままでしょう!!
まるでウルマンのポエムの中みたいでした。

大好きなタム和尚


そしてお世話になったLuyenの名前もちゃんと!!
恐らくカメラマンも?でも名前がわかんないです。
写真左からLuyenとカメラマンです。
 

ロアンも


QuangTrung通りを走る小生のスクーター


義妹弟も一緒
  

我が家もベランダとハンモックも
 

今は日本にいるチャンとチャウ


そして孫たち
 

ああロアンありがとうネ!!

そしてビデオを見ていると我が大好きなポエムが
はい、ウルマンの 青春 のなかの言葉が思い出され音読でした。

青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心意味する。
ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。

年を重ねただけでは人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。

六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、
驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。

頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、八十歳であろうと人は青春にしてやむ。

ことばを何度も何度も反芻もしました。


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本日2018年10月20日はいつもと違った翻訳を見つけたので全文をアップしてみます。
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青  春

サミエル・ウルマン

青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,
こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ
恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、

その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、
人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く
人は自信と共に若く
希望ある限り若く
    
疑惑と共に老ゆる
恐怖と共に老ゆる
失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば

この時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。

原文

YOUTH
Youth is not a time of life-it is a state of mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.


you are yang as your faith, as old as doubt ;
as young as your self-confidence, as old as your fear;
as young as your hope, as old as your despair.

So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.

When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.

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やっぱし我がブログに何度も何度も掲載の従来のものを載せます。こちらのほうが我が心を打ちます。

サムエル・ウルマン 「青春」

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意思、
豊かな想像力、燃える情熱をさす。 青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心意味する。
ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。

年を重ねただけでは人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥になる。

六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、
驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への
探求心、人生への興味の歓喜がある。

君にも吾にも見えざる駅逓がこころにある。
人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。

霊感(アンテナ)が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、
ひかんの氷にとざされるとき、二十歳であろうと人は老いる。

頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、八十歳であろうと人は青春にしてやむ。
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Original 版
Youth   YOUTHの原詩です。
Samuel Ullman

Youth is not a time of life, it is a state of mind.
It is not a matter of rosy cheeks, red lips and supple knees,
it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions,
it is the freshness of the deep springs of ilfe.
Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetite, for adventure over the love of ease.
This often exists in man of sixty more than a boy of twenty.
Nobody grows old merely by a number of years . We grow old by deserting our ideals.
Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles soul.
Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.
Whether sixty or sixteen, there is in every being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of the game of living. In the center of your heart and my heart there is wireless station, so long as it receives message of beauty, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.
When the aerials are down, and your spirit is covered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.

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Youth  The Reader's Digest 版
原詩とは異なりますが、“How to Stay Young”という題で1945年12月号の『リーダーズ・ダイジェスト』に掲載されたとされている詩です。

Youth is not a time of life, it is a state of mind;
it is a temper of the will, a quality of the imagination,
a vigor of the emotions,a predominance of courage over
timidity,of the appetite for adventure over love of ease.
Nobody grows old by merely living a number of years;
people grow old only by deserting their ideals.
Years wrinkle the skin,but to give up enthusiasm wrinkles the soul.
Worry, doubt, self-distrust, fear and despair-these are the long,

long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.
Whether seventy or sixteen,there is in every being's
heart the love of wonder, the sweet amazement at the
stars and the starlike things and thoughts, the undaunted
challenge of events,the unfailing childlike appetite for
what next,and the joy and the game of life.
You are as young as your faith, as old as your doubt; as
young as your self-confidence, as old as your fear, as
young as your hope, as old as your despair.
So long as your heart receives messages of beauty, cheer,
courage, grandeur and power from the earth, from man and
from the infinite, so long you are young.
When the wires are all down and all the central place
of your heart is covered with the snows of pessimism and
the ice of cynicism, then your are grown old indeed and
may God have mercy on your soul.


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このブログ書き中に我が3Fのルームまで20Lの水を持ってきてくれました。
わたしゃこのおっちゃんが大好きで3階まで持ってあがってくれる
ありがたさに、3万5千ドンをいつも5万ドンあげている。
いつも笑顔で帰ってくれる。
小さな幸せでした。

嵐山光三郎の記事に
白楽天の詩「六十六」を見出し!!我が今の年齢大満足!!

そして七十一歳で
達なる哉、達なる哉、白楽天;愉快なり愉快なりって詠んだと!!
小生もそのあたりで死にたいが!! どうなるでしょうか?? あと5年!!

5年はあまりに短いが
それでも一日一生の気持ちで生きれば1825回もある!!

十分である。

今年74歳になる我が師匠から10月1日にサイゴンに来るってコメント!!
息子さんが小学校一年生になるって喜びを
感じたくてと!!

楽しい嬉しいコメントでした。

1回目の休憩
午後0時10分
28度

2回目の休憩 午前8時35分 アップ

2018年10月20日 土曜日 曇り~雨 室温27度 外は25度とちょっと涼しい

今朝は寒くてタートルネックを着たほど!!

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その1 昨日はドナルド・キーン 怒鳴門鬼 の記事オンパレードだったがもういちど我が2015年の記事をコピペ

2018-10-20 07:50:58 | Weblog
その1 昨日はドナルド・キーン 怒鳴門鬼 の記事オンパレードだったがもういちど我が2015年の記事をコピペ

平成30年 西暦2018年10月20日 土曜日

昨日の我がフェイスブックは圧倒的にドナルド・キーン関連の記事
本日は我がGooブログに我がブログの掲載した記事をコピペ編集アップです。


昨日は終日降った雨なのに今朝も降ったりやんだり
散策に出かけようとすると雨

ってことで外出できず服装は準備したままでブログアップです。

午前7時47分アップ

それでは

2015年11月17日の我がブログその1とその2のコピペ編集です。



その1 怒鳴門鬼さんの素敵な生き方

平成27年 西暦2015年11月17日 火曜日

昨夜のドナルドキーン(怒鳴門鬼)さんの日本文化を日本の小説を世界に発信
とっても素敵な番組でした。
我がFacebookに
動画をアップ!!

文化勲章をもらい、東北大地震で日本に帰化を!!
そしてお墓も!!

日本の小説を、三島由紀夫を川端康成を世界の小説家にした翻訳
さすがにNHK素敵な画像がいっぱいでした。













ホントいい番組です。
アメリカ生まれの日本文学研究者、ドナルド・キーンさん93歳。「日本人よりも日本人のことを考え続けてきた」と言われる人物だ。
東日本大震災の時に「日本人と共にありたい」と日本国籍を取り多くの共感を得た。そのキーンさんの人生をドキュメンタリーと
ドラマを交えて描き、彼の目に映った日本や日本人の姿を見つめる。今週と来週の2回シリーズ。
今日は前編。番組ナビゲーター・インタビュアーは、俳優の渡辺謙。

http://www.myvi.ru/watch/14230027112_vSYrf-bH4keV3JZVWmwrvg2
ETV特集 戦後70年企画▽ドナルド・キーンの日本 後編 日本人とは何者なのか
の放送は11月21日。








その2  ブランチはフルーツと緑茶

平成27年 西暦2015年11月17日 火曜日

今朝ももう一度ドナルドキーン(怒鳴門鬼)さんの日本文化を日本の小説を世界に発信を見る。

スタートは俳優の渡辺謙そしてドナルドキーンとの対談です。














そして現在は日本国籍
パスポートは日本人です。


沢山の日本文学を翻訳












でもスタートは源氏物語との出会いだったって!!


本日のブランチは昨夜食べすぎでフルーツのみ!! あとは緑茶



リンゴとバナナは全部、葡萄は4分の一くらい お腹一杯になりマンゴースライスは今朝はキャンセル。








新庄君の会社はスイティン公園の近くってことで遠いです。本日は訪問をキャンセル。
自宅でフリーな時間ができました。
お風呂は二回も!!


2回目の休憩
午前11時5分


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