その4 日曜日の出来事
我がフェイスブックのコピペ編集
その6 今朝の散策の動画5本
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こちらの動画はフェイスブックのみ
Gooブログは動画がアップできません!! 我がFBを訪問されたし!!
このところiPadからデジカメに浮気しています。
本日の写真と動画はすべてデジカメ撮影です。
午後5時35分
まだお腹が全然すきません!! 夕食へはのちほど出発
その5 日曜日の写真動画
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昨日の干潮島までの歩いての印象が強く、今朝も出かけてみる。
あんな引き潮、干潮はまた数ヶ月待たないと出会いそうにありません。
ってことで写真撮りながら動画撮りながらSmallMountain,LargeMountainブンタウ島のスクーター散策でした。
先ずは写真、ついで動画
よく食べても体重67キロ代をキープではしゃいでよく食べ間食もたくさん、なんと午後5時69キロに!!
体重って油断するとスgにアップします。
一昨年までは70±1キロがベスト体重
昨年の慢性炎症事件で67±1キロの変更が無理な設定かも!!
誕生日にもらった花に愛情を注いでいます。
小一時間は太陽の直射をプレゼント、そしてお水も!!
本日のヘアサロンは顔のマッサージが一番上手な女性が当たる。
そして手足の爪ケアもグー、なによりも耳掃除が天才乙女でした。
とってもいい気分の吾輩
それにしても小学生のような丸坊主姿です。
毎週行っているのだから髪は切らなくてもいいのに切られますから!!
それでは今朝のスタートから先ずは校庭内の教室や講師控室工事現場の写真を!!
散策へ出発、まずはバックビーチの引き潮写真 ハロン通りをSmallMountainにそってBackBeach、そしてLargeMountainのケーブル乗り場へ!!
そしてヘアサロンへ!!
一度帰宅して体重確認して悦
間食沢山
花に太陽をプレゼントして昼食は寿司東京
裏切りませんサモンづくし
ファミまで買い物沢山して帰宅でした。
帰宅して又もや間食
なんと体重は69キロ
油断も隙もありません体重君は!!
動画はその6にします。
午後5時半
その4 明るいニュースにホッ
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上野のパンダの赤ちゃん 両目をうっすら…
7/23(日) 11:55配信 日テレNEWS24
上野動物園のジャイアントパンダ・シンシンの赤ちゃん誕生から40日。初めて両目をうっすら開ける様子が公開された。
抱きかかえられる生後40日のメスの赤ちゃん。22日の身体検査では両目がうっすらと開きかけ、こちらを見つめる様子が確認された。健康状態は良く、10日前より体重は500グラムあまり増え、1656.5グラムに。体長は5センチ近く伸び34.1センチにまで成長した。
先週からは、全身を使ってハイハイをしたり、方向転換をしたりする様子が見られ、足の裏に毛が生えてきたことも確認された。赤ちゃんの名前は今月28日からインターネットなどで募集される。
上野のパンダの赤ちゃん 両目をうっすら…(日本テレビ系(NNN)) - Yahoo!ニュース
上野動物園のジャイアントパンダ・シンシンの赤ちゃん誕生から40日。初めて両目をう - Yahoo!ニュース(日本テレビ系(NNN))
HEADLINES.YAHOO.CO.JP
その3 今朝はスクーターで散策
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引き潮も昨夕の干潮ってなわけにはいきません!!
あんな干潮は数ヶ月に1回ですから!!
でも楽しみながら写真しながらブンタウ半島グルット一周
曇り空で肌寒いほど!!
のちほど写真や動画をアップします。
でも1週間に1回のベトナム文化一番のヘアサロンデー
そのあと昼食でアップは夕方予定
でもフェイスブックはその都度早くがモットーです。
早めにします。
午前9時7分
その1 炎症を考える - New Life in VungTau 在越10年目の感動 新ブンタウ生活毎日アップ
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その1 炎症を考える 昨日は感動いっぱいもブログする時間がなく1回だけ ってことで本日はその後から今朝までのブログをアップです。…
BLOG.GOO.NE.JP
その2 大好きだった平尾昌晃さんがご逝去
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7/23(日) 1:38配信 Fuji News Network
「瀬戸の花嫁」や「よこはま・たそがれ」など、昭和の大ヒット曲で知られる作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃さんが亡くなったことがわかった。79歳だった。
平尾さんは東京出身で、歌手として爆発的人気となった1950年代のロカビリーブームの中心的存在だった。
その後は、作曲家として小柳 ルミ子さんの「わたしの城下町」、「瀬戸の花嫁」、五木 ひろしさんの「よこはま・たそがれ」、アグネス・チャンさんの「草原の輝き」などを提供。
昭和の歌謡界をけん引し続けた。
そのほかにも、新人歌手の発掘やパーソナリティーなど幅広く活躍し、2003年には紫綬褒章を受章した。
平尾さんは体調を崩し入院していたが、21日午後11時40分、入院先の病院で亡くなったという。
死因は肺炎だった。
作曲家・平尾昌晃氏死去(フジテレビ系(FNN)) - Yahoo!ニュース
「瀬戸の花嫁」や「よこはま・たそがれ」など、昭和の大ヒット曲で知られる作曲家で、 - Yahoo!ニュース(フジテレビ系(FNN))
HEADLINES.YAHOO.CO.JP
その1 ご冥福を!!
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平尾昌晃さん肺炎で死去、21日急変家族に見守られ
[2017年7月23日0時55分]
「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」「カナダからの手紙」などのヒット曲で知られる作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため、都内の病院で死去した。79歳だった。
ロカビリー歌手として社会現象を起こし、作曲家に転身後も多くのヒット曲を世に送り出した。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。
平尾さんはもともと肺に疾患があり、15年1月に肺炎のため、約3週間入院したこともあった。所属事務所によると、今月13日に体調を崩し、都内のかかりつけの医師がいる病院に外来で訪れた。その後、暑い日が続いたこともあり、数日後に体調を悪化させてしまい入院し、たんの吸引などをしていた。入院中も仕事に対して前向きだったが、21日に容体が急変。家族やスタッフらに見守られて亡くなった。
小学校時代から、ラジオで英語の歌詞を覚えるほど熱心に洋楽を聴いた。高校時代はできたばかりの日本ジャズ学校に通い、進駐軍キャンプやジャズ喫茶で腕を磨いた。ウエスタンバンドを組んだが、エルビス・プレスリーの音楽に衝撃を受け、ドラムを取り入れてロックバンドに仕立てた。58年に歌手デビュー。第1回日劇ウエスタンカーニバルに参加。ミッキー・カーチス、山下敬二郎さんとロカビリー旋風を巻き起こし、「和製プレスリー」と呼ばれ、ロカビリーブームの立役者になった。
60年代半ばから作曲家に転身した。以前から肺を患っており、当時、医師から「3年間は肺を使ってはいけない。歌わないように」と告げられ、歌手活動は断念した。
67年に作曲した布施明「霧の摩周湖」や梓みちよ「渚のセニョリーナ」の両曲で日本レコード大賞作曲賞を受賞した。その前後、結核で倒れたりしたため信州で療養生活を送った。のちに日刊スポーツの取材に「この時の経験が作曲家としての分岐点になりました。療養中、見ず知らずの人が野沢菜を漬けて持ってきてくれたり、初めて人間の温かさを感じた。心の故郷をテーマに曲を書きたいと思った」と振り返った。こうして「よこはま・たそがれ」「私の城下町」などが誕生した。その後もポップスから演歌まで幅広い曲を手掛け、ヒットメーカーとして一時代を築いた。
74年に平尾昌晃歌謡教室(現平尾昌晃ミュージックスクール)を開校。狩人、松田聖子、中村あゆみ、森口博子らを育てた。78年にはスクール出身の畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」がヒットした。03年には紫綬褒章を受章。06年から宮川泰さんの後を受けてNHK紅白歌合戦のフィナーレ「蛍の光」の指揮も務め
4回目の休憩
午後6時0分
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その6 今朝の散策の動画5本
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午後5時35分
まだお腹が全然すきません!! 夕食へはのちほど出発
その5 日曜日の写真動画
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昨日の干潮島までの歩いての印象が強く、今朝も出かけてみる。
あんな引き潮、干潮はまた数ヶ月待たないと出会いそうにありません。
ってことで写真撮りながら動画撮りながらSmallMountain,LargeMountainブンタウ島のスクーター散策でした。
先ずは写真、ついで動画
よく食べても体重67キロ代をキープではしゃいでよく食べ間食もたくさん、なんと午後5時69キロに!!
体重って油断するとスgにアップします。
一昨年までは70±1キロがベスト体重
昨年の慢性炎症事件で67±1キロの変更が無理な設定かも!!
誕生日にもらった花に愛情を注いでいます。
小一時間は太陽の直射をプレゼント、そしてお水も!!
本日のヘアサロンは顔のマッサージが一番上手な女性が当たる。
そして手足の爪ケアもグー、なによりも耳掃除が天才乙女でした。
とってもいい気分の吾輩
それにしても小学生のような丸坊主姿です。
毎週行っているのだから髪は切らなくてもいいのに切られますから!!
それでは今朝のスタートから先ずは校庭内の教室や講師控室工事現場の写真を!!
散策へ出発、まずはバックビーチの引き潮写真 ハロン通りをSmallMountainにそってBackBeach、そしてLargeMountainのケーブル乗り場へ!!
そしてヘアサロンへ!!
一度帰宅して体重確認して悦
間食沢山
花に太陽をプレゼントして昼食は寿司東京
裏切りませんサモンづくし
ファミまで買い物沢山して帰宅でした。
帰宅して又もや間食
なんと体重は69キロ
油断も隙もありません体重君は!!
動画はその6にします。
午後5時半
その4 明るいニュースにホッ
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上野のパンダの赤ちゃん 両目をうっすら…
7/23(日) 11:55配信 日テレNEWS24
上野動物園のジャイアントパンダ・シンシンの赤ちゃん誕生から40日。初めて両目をうっすら開ける様子が公開された。
抱きかかえられる生後40日のメスの赤ちゃん。22日の身体検査では両目がうっすらと開きかけ、こちらを見つめる様子が確認された。健康状態は良く、10日前より体重は500グラムあまり増え、1656.5グラムに。体長は5センチ近く伸び34.1センチにまで成長した。
先週からは、全身を使ってハイハイをしたり、方向転換をしたりする様子が見られ、足の裏に毛が生えてきたことも確認された。赤ちゃんの名前は今月28日からインターネットなどで募集される。
上野のパンダの赤ちゃん 両目をうっすら…(日本テレビ系(NNN)) - Yahoo!ニュース
上野動物園のジャイアントパンダ・シンシンの赤ちゃん誕生から40日。初めて両目をう - Yahoo!ニュース(日本テレビ系(NNN))
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その3 今朝はスクーターで散策
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引き潮も昨夕の干潮ってなわけにはいきません!!
あんな干潮は数ヶ月に1回ですから!!
でも楽しみながら写真しながらブンタウ半島グルット一周
曇り空で肌寒いほど!!
のちほど写真や動画をアップします。
でも1週間に1回のベトナム文化一番のヘアサロンデー
そのあと昼食でアップは夕方予定
でもフェイスブックはその都度早くがモットーです。
早めにします。
午前9時7分
その1 炎症を考える - New Life in VungTau 在越10年目の感動 新ブンタウ生活毎日アップ
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その1 炎症を考える 昨日は感動いっぱいもブログする時間がなく1回だけ ってことで本日はその後から今朝までのブログをアップです。…
BLOG.GOO.NE.JP
その2 大好きだった平尾昌晃さんがご逝去
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7/23(日) 1:38配信 Fuji News Network
「瀬戸の花嫁」や「よこはま・たそがれ」など、昭和の大ヒット曲で知られる作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃さんが亡くなったことがわかった。79歳だった。
平尾さんは東京出身で、歌手として爆発的人気となった1950年代のロカビリーブームの中心的存在だった。
その後は、作曲家として小柳 ルミ子さんの「わたしの城下町」、「瀬戸の花嫁」、五木 ひろしさんの「よこはま・たそがれ」、アグネス・チャンさんの「草原の輝き」などを提供。
昭和の歌謡界をけん引し続けた。
そのほかにも、新人歌手の発掘やパーソナリティーなど幅広く活躍し、2003年には紫綬褒章を受章した。
平尾さんは体調を崩し入院していたが、21日午後11時40分、入院先の病院で亡くなったという。
死因は肺炎だった。
作曲家・平尾昌晃氏死去(フジテレビ系(FNN)) - Yahoo!ニュース
「瀬戸の花嫁」や「よこはま・たそがれ」など、昭和の大ヒット曲で知られる作曲家で、 - Yahoo!ニュース(フジテレビ系(FNN))
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その1 ご冥福を!!
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平尾昌晃さん肺炎で死去、21日急変家族に見守られ
[2017年7月23日0時55分]
「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」「カナダからの手紙」などのヒット曲で知られる作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため、都内の病院で死去した。79歳だった。
ロカビリー歌手として社会現象を起こし、作曲家に転身後も多くのヒット曲を世に送り出した。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。
平尾さんはもともと肺に疾患があり、15年1月に肺炎のため、約3週間入院したこともあった。所属事務所によると、今月13日に体調を崩し、都内のかかりつけの医師がいる病院に外来で訪れた。その後、暑い日が続いたこともあり、数日後に体調を悪化させてしまい入院し、たんの吸引などをしていた。入院中も仕事に対して前向きだったが、21日に容体が急変。家族やスタッフらに見守られて亡くなった。
小学校時代から、ラジオで英語の歌詞を覚えるほど熱心に洋楽を聴いた。高校時代はできたばかりの日本ジャズ学校に通い、進駐軍キャンプやジャズ喫茶で腕を磨いた。ウエスタンバンドを組んだが、エルビス・プレスリーの音楽に衝撃を受け、ドラムを取り入れてロックバンドに仕立てた。58年に歌手デビュー。第1回日劇ウエスタンカーニバルに参加。ミッキー・カーチス、山下敬二郎さんとロカビリー旋風を巻き起こし、「和製プレスリー」と呼ばれ、ロカビリーブームの立役者になった。
60年代半ばから作曲家に転身した。以前から肺を患っており、当時、医師から「3年間は肺を使ってはいけない。歌わないように」と告げられ、歌手活動は断念した。
67年に作曲した布施明「霧の摩周湖」や梓みちよ「渚のセニョリーナ」の両曲で日本レコード大賞作曲賞を受賞した。その前後、結核で倒れたりしたため信州で療養生活を送った。のちに日刊スポーツの取材に「この時の経験が作曲家としての分岐点になりました。療養中、見ず知らずの人が野沢菜を漬けて持ってきてくれたり、初めて人間の温かさを感じた。心の故郷をテーマに曲を書きたいと思った」と振り返った。こうして「よこはま・たそがれ」「私の城下町」などが誕生した。その後もポップスから演歌まで幅広い曲を手掛け、ヒットメーカーとして一時代を築いた。
74年に平尾昌晃歌謡教室(現平尾昌晃ミュージックスクール)を開校。狩人、松田聖子、中村あゆみ、森口博子らを育てた。78年にはスクール出身の畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」がヒットした。03年には紫綬褒章を受章。06年から宮川泰さんの後を受けてNHK紅白歌合戦のフィナーレ「蛍の光」の指揮も務め
4回目の休憩
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