カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

フランス・オーヴェルニュ(その2)

2013-07-25 | フランス(オーヴェルニュ)
コンクのすぐ北側からオーヴェルニュ地域圏カンタル県となる。D920号線(Dは地方道)を進み、首府オーリャックを通過し、先のD922号線から、更に北に位置するモーリアック(Mauriac)を越える。20キロメートルほど先の小さな交差点を右折し、林と牧場が続く細い田舎道を北東方面に3キロメートルほど進み、道なりに大きく右に曲がると、イド・ブール(Ydes-Bourg)に到着する(以下、オーベルニュ周辺図を参照)。


イド・ブールは、標高430メートルに位置し、人口は約1800人ほどの村である。目的地の「聖ジョルジュ教会(Eglise St-Georges)」は、周囲にいくつかの住居が建ち並ぶ通りの南側に流れる水路(スミエン川)を渡った先にある。現在、時刻は午後2時半。教会の敷地内の通りを回り込み、西側のファサードに到着した。この時間、清掃業者がいたが、他に人通りはなかった。

ファサードには、一際大きな樽型のアーチで形成されたポーチがあり、半円系の二連アーチ上部には、小さな顔(叫ぶマスク)の彫刻が飾られている。教会に近づく悪魔を追い払う目的としたものとされ、オーヴェルニュ地方の数カ所の教会で見られる。弧帯(アーキヴォルト)を支えるそれぞれ4本の側柱は浮き彫りがなくシンプルなものである。
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一方、ポーチの左右には、二連アーチが施され、奥にレリーフがある。ポーチに向かって左側には、聖母マリアと大天使ガブリエルが表現されている。12世紀末の制作で経年劣化が見られるが、丸みを帯びた素朴な表情が味わい深い印象。アーチを支える中央の柱の柱頭には獅子像の彫刻が施されている。


向かって右側の側面には、ハバクク書の旧約外典「ダニエル書補遺」の一節を題材とした彫刻が施されている。バビロニア人が信仰していた龍を殺害し獅子の洞窟に閉じ込められたダニエルを救おうと、右側には、天使を伴い、食べ物の差し入れを行う預言者ハバスクが表現されている。


後陣側には、3つのアーチ窓があり、それぞれ小さな柱頭のある柱で囲まれている。上部は、ツイストコードで縁取られた半円の内弧で飾られ、左右の円柱は、軒下(モディヨン)を支えている。そのモディヨンには、ロマネスク様式らしい表現豊かな人間の顔が並んでいる。
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次に、再び、D922号線を南下し、モーリアックの手前からD678号線を通り、14キロメートル東に位置するムサージュ(Moussages)に向った。草原や森に覆われた片側一車線のなだらかな田舎道を進んで行くと、突然、大きく鋭角に左に曲がり、右へと蛇行する手前にムサージュへの入口がある。入口から西に300メートルほど進んだ突き当りの丁字路の先が目的の「聖バーソロミュー教会(Eglise Saint-Barthelemy)」になる。


ムサージュは、オーヴェルニュ地域圏カンタル県にある人口僅か250人ほどの小さな村で、なだらかな丘陵地の斜面に位置し、南側の斜面下にムサージュ川の清流が東側から北西方面に向けて流れている。教会は、12世紀に建てられ、その後13世紀と15世紀に改築された。


アプスは建造当時のままらしい。教会内に入って見る。外観の印象より教会内は広く感じる。


祭壇に近づき左側の側面上部を見るとガラスケースに入った聖母子像が見える。12世紀、ロマネスク様式で制作された多色の木像の聖母子像。かつてはムサージュ近郊(北西に約3キロメートル)のジャイアック城の礼拝堂に設置されていた。


荘厳の聖母像(ノートルダム)である。凛とした表情でしっかり前を見据えている。やや、虫食いの跡が多く見られるが、彩色も良く残っている。


次に、D678号線からD922号線に戻り、南側にある「モーリアック(Mauriac)」に向かった。D922号線に入ると、周囲に住宅が立ち並び始め、街の様相を呈してきた。セントレ(Centre)標識に従い、道なりに進んだ先の観光案内所(Office du Tourisme)で左折、南北に走るコレージュ通りを南に下ると、目的地の教会を一望できるジョルジュ ポンピドゥー広場に到着した。モーリアックは丘陵地帯にあり、こちらの中心部で、標高700メートルに位置している。人口は約3500人である。

こちらが、その広場から教会「ノートルダム・デ・ミラクル教会」(Basilique Notre-Dame-des-Miracles Mauriac)を見上げた様子。12世紀(1845年再建)に建てられた八角の鐘塔を持つロマネスク教会である。


コレージュ通りからは、深く重厚なポーチを望むことができる。両側にある浮彫アーチには、19世紀まで彫刻があった。題材は、イド・ブールの聖ジョルジュ教会のポーチ側面にもあったハバクク書の旧約外典「ダニエル書補遺」の一節(ライオンの穴の中のダニエル)で、左右の円柱の足元には、ライオンの彫像(復元)だけが寂しく残されている。


その重厚なポーチのタンパン(ティンパヌム)彫刻が最大の見どころの一つである。オリーブ山上のマンドーラに立ち、右手で祝福し、左手に福音書を持つ「栄光のキリスト」を中心に、左右に、体を反らしてキリストを称える、大使ミカエルとガブリエルが表現されている。その下には、十二使徒と聖母とが並んでいるが、無残にも、1574年、プロテスタント教徒により顔が全て破壊されている。


西側のファサードの塔は17世紀に追加された。


南側の入口から教会内に入り、トランセプト付近から主祭壇の方向を眺めると、半円形の後陣で、その下、中央に黒い聖母子像が飾られている。手前左両側には、聖歌隊席がある。その主祭壇の左右には、2つの礼拝堂が設置され、三身廊構造となっている。身廊から側廊のアーチや天井にかけて黒い石が使われているが、クレルモン・フェランの街で見たのと同じ火山から採掘した黒玄武岩で、主祭壇上のアプス部分は一つ一つ黒い石が積まれているのがはっきりわかる。


こちらは「バプテスマ・フォント」(洗礼フォント)(直径が1.18メートル、高さ0.58メートル)で、側面にヨルダン川で洗礼を受けるキリストの洗礼の様子が浮彫りされている。12世紀に制作されたもので、オーヴェルニュではまれで2か所(もう一か所はシャルヴィニャック教会)しかない。下にS.V.P(触らないでの意味)との手書きがあるが、既に表面はテカテカである。


次に、D22号線を通りカンタル火山帯に入り、20キロメートルほど南東に位置する、標高900メートルほどの高地にある小さな村「サレール」(Salers)に向かった。サレールは、質の良い遺産を多く持つ田舎の小さな村の観光を促進する事を目的に設立された「フランスの最も美しい村」に登録されている。

村の入口となる駐車場からは、南方向に延びる、なだらかな坂「シャトー通り」を200メートルほど上っていく。上り詰めると足元には石畳が広がり、周囲に古びた家が立ち並ぶ広場に到着する。正面には「サン・マチュー教会」(Eglise Saint-Mathieu)が聳えている。12世紀に建造され、15世紀末に再建され現在のゴシック様式の教会となったが、入口周囲にはかつてのロマネスク様式の建築部分が残されている。


教会のファサード前にある水場傍から延びる細い通りを進むと、小さなレストランやアクセサリーショップなどの店舗が数件あり、左側の城壁の先に、時計塔を持つアーチ門が現れる。14世紀頃に防衛のために建てられたものらしい。


そのアーチ門をくぐると、通りは大きく左に曲がり、広場に到着する。ここが、サレールの中心になる。村は、サレール・チーズやサレール牛の産地として世界的に知られているが、これは、村出身者の農学者ティサンディエ デスクー(1813~1889)が、牛のサレール種の品種改良に尽力したことが大きい。その彼を称え、広場は「ティサンディエ デスクー広場」と名付けられ、中央には彼の胸像が飾られている。


広場には、お城を思わせる尖がり屋根の邸宅がいくつかあるが、正面は、バリアージュ(判事の意味)と呼ばれ旧セヴェストル家の所有だったもの。広場にあるインフォメーションセンターでTシャツを購入し、サン・マチュー教会内を見学してサレールを後にした。時間はそろそろ午後6時、これから、東西に延びるD680号線を東に向かい、カンタル火山帯を横断した後、フランス南北を結ぶ高速道路(パリ~ベジエ間)まで向かう。

サレールから、D680号線を東に向かうと、街道右側(南側)は、雄大な縦谷が続く景観が広がり、その後、木々に覆われた山道となる。標高は徐々にあがっていき、サレールから30分ほどで、周囲が開け、すり鉢状の地形(北西側)が望める高台に到着した。
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D680号線は、正面(南側)の山「ピュイ・マリ(Puy Mary)」(1787メートル)を境に三叉路になり、左側に続いている。手前の石が積み重ねられた建物は観光案内所で、ピュイ・マリへの登山道(階段)入口となっている。観光案内所には「Col du Pas de Peyrol、Alt 1589」(パ・ド・ペイヨール)の案内板があり、頂上までの標高差が200メートルほどであることがわかる。
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ちなみに、フランスの中央高地で最も高い山が、ピュイ=ド=ドーム県のピュイ・ド・サンシー(Puy de Sancy)(1886メートル)で、次が、ピュイ・マリの南東側に位置する同じくカンタル県のプロム・デュ・カンタル(Plomb du Cantal)(1855メートル)、そして3番目がピュイ・マリ(1787メートル)となっている。なお、こちらのD680号線(パ・ド・ペイヨール)は、中央高地で最も標高の高い場所を通る車道で積雪の影響を受けることから、毎年11月から5月中旬までは閉鎖されているとのこと。
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カンタル火山帯は、ピュイ・マリを中心に、複数の稜線が放射状に広がる地形を形成している。こちらは北東側を眺めた様子で、起伏に富んだ地形が続いているのが確認できる。これから、東側の稜線を越えてオート=ロワール県に向かう。
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ブリウド(Brioude)は、オーヴェルニュ地域圏オート=ロワール県の最大都市、首府のクレルモン・フェランから南に70キロメートルほどに位置しており、周辺道路網や亜幹線クラスの鉄道網を含め、利便性に恵まれた街である(人口約6700人、標高は約500メートル前後)。そして、こちらが、そのブリウド中心にある12世紀に建設、14世紀に完成した高さ78メートルのオーヴェルニュ最大のロマネスク教会「サン・ジュリアン・ド・ブリウド大聖堂」である。
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東側(北東方向に向いている)の外観は、周歩廊に半円形の放射状シェベット(礼拝堂)が5室あり、それぞれ、明り取りのための、アーチ窓が並んでいる。屋根下には、ロマネスク様式特有の人間、動物、怪物の顔をモチーフにしたコーニス(モディロン)で飾られている。
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シェベット中央上部には、クワイヤがあり、連続するアーチ窓と浮彫アーチに加え、多色石のロゼット・モザイクで飾られている。そして、その後方、中央交差部には八角形の壮麗な鐘塔が聳えている。

外壁にそって南側廊に向かうと、袖廊は八角形の鐘塔の横にはなく、西側にあるファサード近くにある。南袖廊の一階は、三方向にアーチ門が形成され、南広場(サン・ジュリアン広場)への通路門となっている。その階上廊(トリビューン)には、聖堂への明り取りのアーチ窓がある。


サン・ジュリアン広場は、石畳の小さな広場で、南袖廊に密着する様に続く建物には、ショップ、土産店、レストランなどが営業している。午前9時を過ぎたところで、これから、聖堂内を見学する予定にしているが、まずは、広場に面した「カフェ・ラ・ミランデル」(La Mirandelle)のテラス席で、朝食のカプチーノを飲みながら、聖堂(バジリカ)外観を見学することにする。

南袖廊のアーチ門の先にある扉口の美しい錬鉄による金属細工の装飾は見どころの一つ。3メートルほどの高さの大きな木製の観音扉の全面に、金属装飾が施されている。扉の上部には、彩色のある革が残されていることから、鮮やかな装飾扉が全体を彩っていたことがわかる。扉の中央左側には、2メートルほどの高さの小扉になっている。
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扉の左右には、猿と獅子の顔のブロンズ加工の把手(とって)がある。こんなところがロマネスクらしい。
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こちらが、西側(南西に向いている)ファサードで、下部には19世紀に再建された赤白の迫石が交互に組まれたイスラム様式の3つのアーチ扉がある。ファサード最上部には、三連のアーチ窓が二層にわたる角状の鐘楼が聳えている。


聖堂に入ると、足元には多色で大小の石が敷き詰められたアラベスク模様をモチーフにした床が一面に広がっている。


聖堂内は三身廊で、5つのベイで区切られ、支える柱は灰色、赤、白、黒など交互に積まれた多色石で構成されている。柱頭彫刻は、見どころの一つだが、高い身廊のため、裸眼での鑑賞は難しい。


クワイヤの両脇にある階段を下りた長方形の廊下の中央東側には、鉄格子で閉ざされた扉があり、奥に半円のアプス形のクリプトがある。クリプトには、聖堂で最も神聖な場所とされる聖ジュリアン・ド・ブリウドの遺物箱が奉られている。彼は、ローヌ川のヴィエンヌ(イゼール)出身の古代ローマ時代の兵士だったが、キリスト教に改宗し、304年の迫害により殉教したと伝えられている。
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ちなみに、ローマ時代のキリスト教迫害は、1世紀中(64年)のネロ帝の迫害(前期)と、4世紀初(303年)のディオクレティアヌス帝の迫害(後期)が知られている。こちらのクリプトは、聖ジュリアンに捧げられた現在も残る300ほどの教会の中心的な聖地で、オーヴェルニュで最も古い聖域の一つとも言われている。なお、遺物箱自体は19世紀のもので、イコンも近年のものである。

再び、身廊に戻り、見学を続ける。柱には、鮮やかなフレスコ画が描かれている。ナルテックス側の最初と2番目の身廊ベイを支える北側柱には、左側から、モーセと兄のアロン、そして預言者イザヤが描かれている。


そして、2番目と3番目の身廊ベイを支える北側柱頭の身廊側には、凛とした「二尾を持つトリトン」像が、隣の身廊ベイを支える柱頭には盾と槍を持つ「武装した兵士たち」が刻まれている。これらロマネスク様式の柱頭彫刻は、かなり洗練された印象を感じる。


他にも、天使に抱えられ運ばれる人物(魂)や、
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「猿を飼い慣らす人」などの柱頭彫刻がある。こちらは、ロマネスク様式の図像学のテーマで良く見られるが、自己の獣のような気持ちを猿に例え、紐で繋いで戒める寓意表現と言われている。


南側廊には、キリストの十字架像が飾られている。こちらはブリウド近郊のバジャスのハンセン病療養所にあった15世紀初頭にさかのぼるとされる多色の木像で、「ハンセン病のキリスト」と呼ばれている。重症患者が、このキリスト像の上に横たわり癒しを懇願すると、病気は像に移ったと伝わっている。


こちらは、南側廊からナルテックス側を見上げた様子。身廊ベイを支える柱には、色鮮やかな花綱装飾や唐草装飾などが施されている。そして、階上廊(トリビューン)には、フレスコ画天井が望め、南窓からの外光で明るく照らされているのが確認できる。


階上廊へ上る扉には鍵がかけられていたので、諦めて他を見学していたが、しばらくすると、階上廊内に人影が見えたので、再び、扉まで戻ると鍵が開いていた。不思議に思いながらも、らせん状の狭い階段を上って行った。
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こちらの階上廊は「聖ミカエルの礼拝堂」で、残されたフレスコ画は、12~13世紀に制作(19世紀に修復)されたもの。しかし、残念ながら、ファサード側のスリット壁の下半分は失われている。
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上半分には、地獄の炎の中で焼かれる、巨大な悪魔(サタン)と小さな怪物たち、そして、恐怖に顔をゆがませる人間の姿などが描かれている。やや荒っぽい筆使いも思えるが、立ち上る赤い炎で、サタンが、苦しみのあまり両足を折り曲げ身体をよじる臨場感溢れる画面となっている。
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地獄の炎に向かって右端には、烏天狗のような悪魔が二体が、女性を捉え、赤い色をした魂が、悪魔の口に吸い取られていく様子が描かれている。
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天井には、鮮やかな色彩で描かれたフレスコ画で満ち溢れている。天井画は、スリット壁に描かれたサタンに対するキリストの勝利を示しており、巨大なキリスト像を中心に100名を超える多くの天使達が取り囲んでいる。向かって右側の天使は、聖杯を捧げている。天井は、間近にあり、目の前に覆いかぶさってくる感覚に襲われる。
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キリストの上下左右には福音書記者が描かれている。左上の天使は聖マタイ、右側の鷲は聖ヨハネ、左下の獅子が聖マルコ、右下の雄牛が聖ルカを現している。
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この時間、2組の見学者と一緒だったが、その内の一人が帰りたいらしく鍵をもう一組の見学者に渡そうとしている。どうやら普段は施錠されており、見学希望者は鍵を借りに行くシステムになっている。ともかく間近でフレスコ画を見ることができたのはラッキーであった。

次に、ブリウドから、北に15キロメートルほど行ったところにあるオーゾン(Auzon)に向かった。ブリウドからは、クレルモン フェランと、ル ピュイ アン ヴレを結ぶ、N102号線(A75号線)(Nは国道、Aは高速)が交差する大きなロータリーを過ぎて、D14号線を更に北に向かう。ロワール川の支流アリエ川(Allier)に架かる大きなアーチ鉄橋「オーゾン橋(Pont d'Auzon)」を渡るとまもなく到着する。所要時間は約20分ほどである。

街道は、東への上り坂となり、左側の小川(オーゾン川)と並走するように進んで行く。すぐに、Y字の二股道となるが、広域箇所の標識しかないため、まず、オーゾン川沿いの左側の道を200メートルほど進んで、南側を確認すると、高地に城壁らしき構造物が続いているのが見える。
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しかし、周囲には目的地の教会に向かう標識がないことから、二股道に戻り、次に、南側の通りを進む。途中からやや急な坂道となり、通り右下に小川(ゴダレル川)が流れている。200メートル先の右側に駐車スペースがあり、手前左側に、石畳の坂道が城壁方向に延びていたので、歩いて向かうことにした。
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途中、側塔を備えた城門をくぐり、左前方に連続アーチが続く外壁に沿って100メートルほど上っていくと、鐘楼のある古びた教会が現れた。


目的の「サンローラン教会」(Eglise Saint-Laurent d'Auzon)で、ちょうど教会の南側の真下に到着した。ここは、東西に細長い丘の上にある広場となっており、足元は、多色の石畳で覆われている。教会は12世紀のロマネスク様式の建物で、その広場の中ほどに3~4メートルの基壇を設けて建てられている。教会への扉口(ポーチ)は、左右階段を上った南袖廊にあるが、サン・ジュリアン・ド・ブリウド大聖堂の南ポーチと構造がよく似ている。オーヴェルニュ・ロマネスク様式にある構造で”ガニヴェル”と呼ばれるとのこと。
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周囲を見渡すと、2~3階建ての住宅が教会を取り囲む様に建てられている。教会の東側は、やや広いスペースがあり、その先に、下り坂の石畳道が続いている。車が数台駐車していることから、住民や地元関係者は、広場まで乗り入れすることができるようだ。西側は、すぐ先で堡塁らしき建造物が備え付けられた城壁で塞がれているが、車一台が通れる幅の塔門がある。

ガニヴェルを支えるアーチには柱頭彫刻が見られる。南面のアーチ西側には、天使がマリアに「受胎告知」している場面で、天使が柱の陰からそっとマリアに告げている。
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天使の後方には「キリストの降誕」が刻まれている。マリアのお腹にそっと手を当てているのがヨセフ。上部には、誕生したばかりのキリストが見える。雨ざらしに、触れる人も多いのか、かなり彫刻は摩耗しているが、素朴さを感じる柱頭彫刻である
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しかし、受胎告知とキリストの降誕を一緒に眺めると、少し印象が変わる(こちらが、柱頭を斜めから眺めた様子)。ガニヴェルには、他にも、「人物と獅子?」の柱頭や、「人面鳥(怪鳥)」の柱頭などがある。

ポーチは、2枚の木板に、錬鉄を唐草模様(動物の顔も見える。)に細工し、リベット継手で固定した装飾扉(11~12世紀制作)となっている。ところどころに、革が貼られていた痕跡が残っており、こちらも、サン・ジュリアン・ド・ブリウド大聖堂の扉口に良く似ている。
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扉口を入り、右側奥が主祭壇のある後陣方向になる。後陣は、外に張り出しのない3つの礼拝堂からなり、身廊は4つのベイから構成された、プレ・ロマネスク単廊式教会堂である。
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南北の袖廊にある階上廊(トリビューン)に上ることができ、身廊ベイを支えるアーチの柱頭彫刻(その1その2)も間近に見学することができたのは良かった。

礼拝堂の天井には、14世紀及び16世紀のフレスコ画が残っている。やや損傷が激しいが、こちらには、マンドーラに包まれたキリストを中心に、向かって左右にマリアと聖ヨハネが描かれている。その頂部には、赤い文様の縁取りを境にして、十字架を取り囲む聖人(十二使徒?)たちの光輪が輝いている。深青の背景色が、荘厳さを一層引き立てている。
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左側のアーチ窓の側面には、草華紋様や幾何学文様の縁取りをあしらった赤色を基調に、メダイヨン形式で様々な図像が描かれている。何となく、フランス中世時代のタペストリーを思い起こさせる。
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主祭壇に向かって左壁面には、12世紀のものとされる磔刑像が飾られている。。古びた木の風合いと光沢感が、キリストのリアルな質感表現を感じさせてくれる。
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(2013.7.25~26)
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